サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

269日目「秋岡芳夫展/モノへの思想と関係のデザイン(目黒区美術館)」目黒

2011年11月12日 | 姪っ子メグとお出かけ

姪っ子メグ おじさん、グーグー寝ていたね。せっかくDNPルーブルミュージアムからの映画のご招待なのに(笑)
キミオン叔父 なんか3500年前のエジプトのファラオの航海の再現みたいな半分、学術ビデオでしょ。ファラオの王女が、船を造らせたんだとか。
そうだけどね、そんな航海史の記録は残っていないわけよ。でも、エジプト文字というか、船っぽいものが描かれていて、それでどうも交易していたようなのね。で、十人位乗ったらいっぱいになりそうな木造船を当時を想像しながら、現地の船大工さんたちが作り出すのね。そして、帆をはって海に浮かべて、いざ出発と。まあ、学術用の試験船だけどね。
寝てたからわかんないけど、うまく操縦できたの?
ロープがいっぱいあるんだけど、ちゃんと風を受けて走っていたよ。交易地から王女さまが持ち帰ったのは、香木みたいなものね。でもその王女さまが本当に実在したかどうか、記録は残っていない。
だいたいあの時代に実権を持った王女が存在すること自体が、考えられなかったりもする。でもまあ、やっぱりエリザベス・テーラーみたいな色気のある王女が出てきて、威厳を持って振舞う姿が映っていたら、居眠りなんかしないんだけどさ。
それはローマ帝政時代だから、ずっと後の時代よね。まあたしかに、地味なドキュメント映像だったし、せめてDNPだったら3D映像ぐらい見せてくれてもいいものなのにね。

目黒美術館の「秋岡芳夫展」はよかったな。
会場入り口に、晩年に彼が作った「タケトンボ」が3000体ぐらいずらっと並べられていて、壮観だったね。それとご自分が使っておられた仕事部屋のモノたち。
秋岡さんは50年代には早くも3人で「KAK(カック)」というデザイングループを立ち上げている。たぶん日本ではじめてのデザイングループ。
3人が代表取締役で、本当に楽しそうに、工業デザインをやっている。ラジオキャビネットやカメラ機器や家電製品。当時、メカとデザインの両方がわかるデザイナー集団なんていなくて、重宝されたらしいね。なつかしい昭和の時代。でもとても洗練されながら温かいデザインで。
面白いのは、さかんに3人で「科学」や「学習」といった教材デザインや付録を担当するのね。60年代だけど。これ、オジサンの小学校、中学校のときの雑誌の付録だね。いくつか自分で組み立てた思い出あるもの。いっきょに「モノ」を見て、その頃の記憶が甦ってくるんだ。
高度成長期に入って、消費の時代になるのが60年代から70年代。で、その頃に大量生産、大量消費のマスプロダクツに飽き足りなくなった秋岡さんは、日本各地の生産者というか職人文化を探し当て、いまでいうワークセッションを次々と仕掛けるのね。「手の復権」ということね。
自分でも、いろんな作業道具を収集したりしている。きちっと分類したりしてね。それに「一人一芸の村」なんていうのを提唱していく。昔、平松知事が大分で「一村一品」運動を仕掛けたけど、それよりすごいよ。
なんかだけど、若いときから晩年まで、いい顔をなさっているわね。それにやっぱりデザイナーだから、企画書なんかの書き方が、とてもヴィジュアル思考。うまいなあ、と。
この人の新書が出たのが74年だったかな。『デザインとはなにか』みたいなタイトルだった気がするけど、一時期オジサンのバイブルだったからね。この人のインダストリアルで一番好きなのは椅子。肘掛がなくて、背が低くて、座る面が大きいの。大人の男が。胡坐をかける椅子というのがコンセプトだったみたい。嬉しいよ。
若い時は絵本とかペーパークラフトとかを出しながら、壮年期からはどんどん手仕事に入り込んでいく。彼が20年ぐらいかけて作った小間箪笥みたいのがあったじゃない。職人さんが、「こんなの逆立ちしてもあっしらには作れませんぜ」、と感嘆したらしいわよ。
でもなあ、「手」を上手に使えない僕は、一番こういう人たちにコンプレックスを感じるなぁ。心底、羨ましいんだよ。


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