サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 11546「人生万歳!」★★★★★★☆☆☆☆

2011年11月11日 | 座布団シネマ:さ行

『それでも恋するバルセロナ』などの名匠、ウディ・アレン監督の通算40作目となるラブコメディー。久々に舞台をヨーロッパから古巣ニューヨークに移し、くたびれた中年男性と若い娘の奇妙な恋愛模様を映し出す。主役を務めるのは、アメリカを代表するコメディアンのラリー・デヴィッド。その恋人を『レスラー』のエヴァン・レイチェル・ウッドが熱演する。いかにも都会的ウイットに富んだ会話と、複雑な人間ドラマに笑いがこみ上げる。[もっと詳しく]

厭世の感覚と、人生万歳の感覚は、紙一重なのかもしれない。

ボリス(ラリー・デヴィッド)は、とにかくよくしゃべる。
モロッコレストランだろうか、カフェ・モガドールの店の前のオープンテーブルで、知人に囲まれながら、世の中を皮肉リ続けている。
腹を空かせた家出娘のメロディ(エヴァン・レイチェルウッド)を馬鹿娘と罵倒しながら、話題もなにもかみ合わないくせに、しゃべり続けている。
公園で幼い子どもたちとチェスをしながら、大人げもなく、こてんぱてんにやっつけて、脳みそが足りない子どもだと、トラウマになりそうなことを平気で言っている。
メロディの母親が現れた時は、どういうわけかボリスとメロディが結婚してしまったあとなのだが、照れ隠しの挨拶ぐらいすれば良さそうなものなのに、相手の恰好を皮肉り失神させてしまう。
今に始まったことではないのだろう。
別れた妻との回想シーンでも、相変わらず減らず口をたたいている。
そのくせ、孤独に耐えられなくなると、発作的に窓から飛び降りて、大怪我をしてしまったりするのだが。
どれだけ、喋り捲っても足りないのか、スクリーンを見つめるこちら側(観客)にまで、話しかけてくるぐらいだ。
この偏屈で皮肉屋で躁鬱気味でペシミストの初老の男は、まぎれもなく、ウディ・アレンそのものだ。



『メリンダ、メリンダ』(04年)以来の、ニューヨークを舞台にした作品である。
『マッチポイント』(05年)、『タロット・カード殺人事件』(06年)、『ウディ・アレンの夢と犯罪』(07年)、『それでも恋するバルセロナ』(08年)と、この数年間はロンドンやバルセロナなどヨーロッパを舞台にしてきたウディ・アレンがまたニューヨークに帰ってきた。
『人生万歳』の脚本を書いたのは、70年代のことであるらしい。
『アニー・ホール』(77年)や、『マンハッタン』(79年)の、ニューヨークの美しく抒情あふれた風景や、一方で神経症的に病みつかれた風景や、そのどちらの顔をも絶妙にブレンドする都会派でスノッブな、ウディ・アレンの本領発揮である。
グラント基地や、マダム・タッソーの博物館や、シネマ・ヴィレッジや、ユニクロ・ニューヨークや、チャイナ・タウンや、ユダヤ系揚げ団子を売るクニッシュ・ベーカリーや・・・知られたニューヨークの情景が次々と出てくる。
もちろん、30年まえの脚本は、現代風の味付けがされている。
地球温暖化問題や、放射能の恐怖や、9.11事件とその後のテロ・パニックや、金融恐慌とウォール街の小ずるい狐たちのことや、オバマの登場や・・・といった話題は、速射砲のようなボリスのおしゃべりには当然のことのように、織り込まれることになる。



ノーベル賞候補にもなったことのある物理学者という設定でボリスは登場するが、もちろんもう先端の研究をしているふうではなく、ただひたすら世の中を呪いつつ、自分を棚に上げて、周囲に悪罵を吐き続けている。
僕などは、こんなにおしゃべりではないが、また頭の回転は速くはないが、口の悪さや自己憐憫や斜に構えて世の中を見たり、真っ当らしさについ突っ込みを入れてみたがるところなど、この偏屈じいさんに似ているところがないとはいえない。
世の中からは嫌われるよなぁ、素直じゃないし、と思うこともしばしばだ。
けれども異なるのは、メロディのようなお人よしで、楽観的で、夢見るような女の子が、登場してくれる気配はないことだ(笑)。
メロディの天真爛漫さに、ボリスは掛け合い漫才のペアのように、慣れ親しんできて離れられなくなる。
都会ではなんでもありだから、こんな年の差と性格の異なるカップルが出来ても不思議ではない。
『人生万歳』はしかしそのことを無条件に「万歳」しているわけではない。
当然のようにメロディは若い男と恋するようになり、ボリスは本当は寂しいのだろうが、「来るべき時がとうとう来たな」、と少し寂しそうにそれを受け入れるのだ。
夢を見ていたような、本来はありえないような時間だったのだと・・・。



しかし、この夢のようにありえないような時間は、周りの人間たちにも、伝染することになる。
メロディの母親は、芸術的才能に目覚めて、男二人と同棲するようになる。
そんな変貌に驚いたメロディの父親も、ゲイの資質に目覚めて偶然出会った男と睦まじくなる。
そしてボリス自身も、メロディと別れた寂しさから発作的にまた窓から飛び降りるのだが、下にいたのは昔の妻で、よりを戻すことになるのである。
ここまでくると、ちょっとスラップスティックの「なんでもあり」なのだが、ボリスはまた観客に向かっておしゃべりをしてみせるのである。
「所詮幸せというのは儚い束の間の夢なんだから、なんでもありなんだよ」とでもいうように。
こういうお話を果たして、ラブ・コメディ、ロマンチック・コメディと呼んでもいいものなのだろうか。
僕は腹を抱えて、あるいはクスっと笑いながら、これってとんでもないブラックユーモアだな、と思ってしまうのである。
もうここまできたら、世界はどん詰まりでしょ。だから、なんでもありさ、笑うしかないもの。
だからこそ逆説的に「人生万歳」と思えることがあるんだよ。
人間という愚かで素晴らしい生き物は、せいぜいそんな程度のものだから・・・。
こんな、ウディ・アレンの半ば厭世観であり、半ば好奇心の塊のような声が、聞こえてくるのである。



DVDの特典には、相変わらず、日本の女性レポーターなのか、映画解説者なのか、配給会社の社員なのか知らないが、ウディ・アレンへのインタヴューが収録されている。
いつものように、欠伸を繰り返しつつ、「なんて言ったんだい?」と惚けて聞こえないふりをするウディ・アレン。
相変わらず、とことん、喰えない、「監督」である。

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マッチポイント
ウディ・アレンの夢と犯罪
それでも恋するバルセロナ





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2 コメント

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弊記事までTB有難うございました。 (オカピー)
2011-11-15 20:12:27
アレンの3種類くらいある系列のうち一番主流となると思われるタイプですから、また同じようなことをやっていると思うとそう面白くないし、作品間の微妙な差を楽しむという手もあって☆6つくらいかなあ、というところになりますね。

>厭世の感覚と、人生万歳の感覚は、紙一重なのかもしれない
本当にそうですね。
今年の僕は精神的にもの凄いアップダウンを感じましたし、落ち込んでいる時にも妙に楽観的になれる時もありました。その逆も・・・。
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オカピーさん (kimion20002000)
2011-11-15 23:10:56
こんにちは。ウディ・アレンは職人さんだと思いますし、なかなかしたたかな人だと思います。
僕は、この人の「芸」のようなものを見たくて付き合っている感じであり、映画がすごいとかそういうようには思いません。
でも彼がいてくれることにより、映画の見方というものがいい意味で拡張されるわけです。
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