『亀も空を飛ぶ』などのイランのクルド人監督、バフマン・ゴバディが初めて故郷クルドを離れ、大都市テヘランを舞台に描く青春音楽映画。ポップ音楽の規制の厳しいイランで、さまざまな苦労をしながら音楽活動に情熱を傾ける若者たちの日常をゲリラ撮影で切り取る。主演の二人をはじめ、出演者には実在のミュージシャンたちが名を連ねている。ロックやフォーク、ヘビーメタルにラップなどの素晴らしい才能が眠るイランの多様な音楽シーンに驚嘆する。[もっと詳しく]
テヘランのリアルな現在を、たぶん僕たちははじめて、「目撃」することになる。
イラン映画でとても印象深かったのがジャファル・パナヒ監督の『オフサイド・ガールズ』(06年)だ。
「なんでイランでは女性のサッカー観戦が禁じられているの?」
サッカー好きの女の子たちは、男に化けたりして、競技場に入り込むが、警備に拘束されてしまう。
とてもユーモラスに抗議の声をあげる女の子たちを描き、ベルリン映画祭で銀熊賞を射止めたが、本国では上映されなかった。
もちろん、政府の文化政策批判であり、全編が隠し撮りのゲリラ撮影、撮影済みのフィルムをまず海外に「避難」させたといういわくつきだ。
イラクのフセイン政権崩壊後、はじめてイラク内で撮影された映画だと言われる『亀も空を飛ぶ』(04年)は、クルドの少年・少女のなかの「戦争体験」を描き秀逸であったが、そのハフマン・ゴバディ監督の『ペルシャ猫を誰も知らない』も、全編無許可のゲリラ撮影である。
イランではイスラム文化指導省の検閲を経なければ、映画の撮影さえも許可されない。
イラン・イラク国境のクルディンスタンの町バネーに生まれ、クルド紛争の歴史を見つめてきたハフマン・ゴバディ監督は、イラン内では問題児である。
当局の許可など、降りるわけがない。
制作したくてもできないゴバディ監督は壁に突き当たっていた。
そんな時に出会ったのが、この映画に登場するネガルとアシュガンのふたり組みのミュージシャンだ。
ふたりはパスポートとビザを手にいれて、バンドを再結成しなおしてCDをつくり、ロンドンに雄飛しようとしている。
しかし音楽の世界も、自由にCDをつくったり、コンサートを開いたりできないイランでは、畢竟アンダーグラウンドの世界に表現は流れていく。
そこに、現在のイランとりわけ首都であるテヘランに住むアーチストたちのエネルギーは、熱を持って潜行していく。
ゴバディは半ばドキュメンタリーのように、アンダーグラウンドなミュージシャンたちの生態に、機動的なビデオカメラを向け始めた。
当然のことのように、彼らが生息するテヘランという町のあちらこちらにも、レンズは向けられることになる。
17日間の撮影記録の間に、監督は当局に2日拘束されている。
ネガルとアシュガンは、さまざまなミュージシャンたちと邂逅する。
牛舎の匂いにまみれて練習するメタル・バンド、フォーク・ロックの調べを奏でるバンド、フュ-ジョン・ジャズやR&Bがベースのバンド、エレクトロニック・ブルースで哀愁を漂わせる中年バンド、伝統音楽の流れを組む民族的なバンド、そしてとてもゴキゲンでたぶん僕ははじめて耳にするイスラム・ラップのバンド・・・・、さまざまなアンダーグラウンドミュージシャンたちが、次から次に交錯する。
そこにテヘランの街角や屋上や隠れ家や道路や・・・そこで起こっている出来事の断片や人々の表情がコラージュされる。
最高にゴキゲンな映像とリズムだ。
僕たちは、そこに生きている人々の、「長いものには巻かれろ」という処世術の背後にある、「自由」へのやまない希求を見ることになる。
ネガルとアシュガンは、撮影終了の4時間後にはイランを離れて、イギリスに向かい、現在も音楽活動を続けている。
出演したミュージシャンたちには、イランでも有名なアーティストも混じってはいるが、当局からなんらかの嫌がらせを受けているかもしれない。
この作品の、「テヘラン」という町の水先案内人のような役どころでなんともユーモリッシュな演技を披露しているナデル役のハメット・ベンダードという役者さんは、イランでも有名な存在らしいが、その後の活動に影響があるのかもしれない。
ハフマン・ゴメディ監督は、この作品で第62回カンヌ国際映画祭「ある視点部門」特別賞や第10回東京フィルメックス審査員特別賞を受けたりしたが、現在はイランを離れており、日本からの招待も本国ではパスポートの再発行が受けられないため辞退している。
しばらく、国に戻れないのだろう。
「イラン国内でのこの作品の上映の可能性は?」と記者に訊かれ、「100%ありえない」と、彼は断言している。
この映画の製作の一人で、監督の恋人とされるロクサナ・カベリという女性は、日系米人とイラン系米人の間で生まれたが、イラン政府からスパイ嫌疑がかかり、アメリカとイランの緊張のひとつの種ともなっている。
『ペルシャ猫を誰も知らない』。
イランはかつて世界最高の文化を誇ったペルシャ帝国でもあった。
誇り高いペルシャ猫たちは、イランでは現在は、家の中でこっそりと飼わなければならない。
ミュージシャンたちの多くも、隠れるように練習をして、ひっそりと仲間を呼んで演奏を披露している。
けれども、いつかこのミュージシャンたちが、大きなうねりをつくっていくだろう。
かれらは誇り高さを喪わない、「ペルシャ猫」そのものでもあるのだから。
kimion20002000の関連レヴュー
『オフサイド・ガールズ』
ぜひとも報われてほしいのですが、その後の彼の映画は一体どのようなものになるのかも興味深いです。
僕、この映画が大好きですね。
音楽映画としても、ちょっと忘れがたいものになります。
イスラム・ラップをちょっと探してみようかなと思っています。
この作品に出てきた音楽は非常に良いですよ。
本当はイランで演奏できるのが一番良いのでしょうが、暫くは無理でしょうから海外に出て我々に聴かせてくれれば有難いと思います。
カトリックでさえ時代に合せて変化しているのに、イスラム教の、この因循から抜け出せない理由は何なんでしょうかねえ。
音楽は正直ですね。
必ず、因循は変わると思いますね。