サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

行けなかった美術館/俵萌子(評論家)/77歳

2008年12月01日 | 毎日がメメント・モリ

評論家の俵萠子さんが死去、女性・教育問題で論陣


12月1日20時17分配信/FONT>読売新聞




 評論家の俵萠子(たわら・もえこ、本名・中野萠子)さんが11月27日午前8時5分、肺炎のため死去した。77歳だった。

 自宅は東京都中野区。告別式は近親者で30日に済ませた。後日、しのぶ会を開催する。

 俵さんは大阪市出身。大阪外国語大卒業後、1953年にサンケイ新聞社入社。同期で政治部記者だった俵孝太郎氏と結婚した。

 子どもが生まれ、仕事と育児の両立に限界を感じて、作家として独立しようと決断。自身の体験を交え、働く母親の苦境を訴えた「ママ、日曜でありがとう」を出版、同じ悩みを持つ女性から反響を呼び、テレビドラマ化された。

 女性解放運動にも取り組み、市川房枝さんらと活動。81年、国内初の準公選により、中野区の教育委員に就任し、4年間務めた。孝太郎氏とは離婚している。95年、群馬県富士見村の赤城山麓(さんろく)に「俵萠子美術館」を開館。乳がん患者としての経験を踏まえ、NPO法人「がん患者団体支援機構」の理事長も務めた。

 評論家としてともに活動してきた樋口恵子さん(76)は「作家としても女性としても、私の目標で、姉のように慕っていた。母の介護で悩んでいた時には、毎日慰めてもらった」と話した。

もともと日本のジャーナリズムとりわけ新聞の世界で女性の活躍の場はきわめて限られているように思える。
俵萌子さんは、珍しい年期がはいった女性記者の草分けであり、かつ評論家・作家に転進を遂げた人であった。

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僕自身は、彼女の女性解放論や教育論などの熱心な読者ではなかったし、ほとんど関心もなかった。
けれど、お父様の故郷であろう群馬県赤木山麓にある「俵萌子美術館」は関心があったので、機会があれば立ち寄ろうと思っていた。
50歳を過ぎて、陶芸や絵画を学ばれ、セカンド(シニア)ライフ支援と言うことも含めて、この山麓に静かな拠点を構えておられたようだ。
13年ぐらい続いたらしいが、俵孝太郎さんとの離婚の後なのだろう。
俵萌子さんの死去に伴い、12月1日付けで、美術館の閉館も発表されていた。
いつかいつか、と思っていても、時間は過ぎていくのである。・・・合掌!!--- __entry_body_end__ --->


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