サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

388日目「92歳の報道写真家/福島菊次郎展(日本新聞博物館)」横浜

2013年09月01日 | 姪っ子メグとお出かけ

姪っ子メグ おじさん、ろうあの写真家井上孝治さんの写真展が神楽坂であったんでしょ。
キミオン叔父 うん。神楽坂のアートギャラリーでね。写真そのものは彼のもっとも有名な写真集「思い出の街」からかな。
おじさんに黒岩比佐子さんの評伝『音のない記憶/ろうあの写真家 井上孝治』をもらって読んだけど、黒岩さんは「思い出の街」の写真集の年譜を作る仕事で井上さんと最初にお会いしたのね。 そして不思議なさまざまな縁の中で、十年後に評伝を上梓し、それが彼女の最初の本となるのね。それから十年、彼女は評伝・ルポールタージュの世界で質の高い仕事を続けたけど、まだ志半ばで2011年にお亡くなりになった。
今回の展示は、黒岩比佐子さんの仕事を偲ぶ意味もあって、関係者が企画したものだった。オジサンも最終日は知り合いに声をかけられて、打ち上げに参加した。井上孝治さんの息子さんで広告写真家でもある井上一さんが来ておられた。出席者に、彼が今回展示された写真から1枚焼いてくださると言うことで希望を取られていたんだけど、オジサンは迷いに迷ったけど、最後に展示されていたワンちゃんが背中を向けて、のびる道を見つめている印象深い写真にした。
ああ、その写真覚えているよ。
これ、撮られたのが1954年7月。オジサン生まれたのが1953年だからその頃。「思い出の街」は九州の老舗百貨店の岩田屋が「思い出の街」というキャンペーンテーマを決めてそれにふさわしい写真を探していたんだよね。でも見つからず企画もなくなろうかという時に、井上孝治さんが「自分のために」撮りためていたネガに突き当たって、「これだ!!」ということになり、連続新聞広告で採用、それが大きな話題になったわけだ。
で、その写真群は、1930年代の福岡の街や子供たちや戦後が終わろうとするあたりのおとなたちの写真。だから被写体で写っているのは、おじさんと同学年のガキンチョかちょっと上のお兄ちゃん、お姉ちゃんたち。彼の1枚の洟垂れ小僧の写真から、オジサンもまったく忘れていた小さい頃の街の情景が次から次へと浮かんでくるの。もう、写真の前を離れられない。
その頃、ろうあの写真家である井上孝治さんは、写真の腕は地元でもピカ一、アマチュアカメラマンのコンテストでも地元の入賞常連だった。写真館は開くんだけど、経営は奥さんに任せっぱなし、「道楽」で毎日のように街や人の写真を撮り続けるのね。
その後、ろうあの写真家たちのネットワークづくりに走り回り、また沖縄での多くの撮影や、海外で撮った写真のネガなども次々と見つかる。海外でもまるでアンリ・ブレッソンのようだと評価され、アルル国際写真フェスティバルでまさに表彰されようというときに、残念ながらお亡くなりになったけど、アルルの名誉市民ともなり、彼のドキュメンタリー作品も撮られている。


井上孝治さんは1919年生まれで、74歳でお亡くなりになったわけだけど、福島菊次郎さんは1921年生まれ、今は92歳になられたけど、反骨精神はまったく衰えていない。
この人はカメラを武器にしたけど、ジャーナリストでもあり、作家でもあり、ある意味運動家でもあったと思う。オジサンは高校時代、大学時代と新聞会に所属してたりして、まあたいしたことはやってないけど、それなりに60年代後半から70年代にかけては、社会派のドキュメント的な写真やルポはたくさん見ていた。菊次郎さんは、とにかくグラビアカメラマンだったわけ。『中央公論』『文藝春秋』『朝日ジャーナル』などのグラビア面で3300枚も掲載されたらしい。今より、もっとグラビアが注目されていた時代だしさ。もちろん、最初は「ピカドン」つまり広島原爆被害者の記録だけど、その後、公害、学生運動、三里塚、貧困・差別・・・・さまざまな社会問題、政治問題の記録の時に、いつも菊次郎さんが現場に立っていたわけだ。 
原点は1960年の日本写真評論家賞特別賞を受賞されたけど、『ピカドン/ある原爆被災者の記録』。10年にわたって被爆者家族(なかなか認定されず困窮の極北の生活をしている)を撮り続け、菊次郎さんも不眠症となり三ヶ月も寝込んだのね。10年ってすごいよね。
おじさん、泣いてたでしょう。
見られちゃった?今回の写真の並べ方がさ、入り口から「ピカドン」「三里塚」「東大闘争とあさま山荘事件」「水俣病などの公害」「瀬戸内離島物語」という流れで、壁際に「原宿族」「ウーマンリブ」「捨てられた日本人」「鶴の来る村」「ある老後」と世相史的なテーマが来ている。やっぱ、現場に入り込まないと撮れない写真ばかり、ちょっとマスコミの所属カメラマンの位置や写真雑誌づきの契約カメラマンとも異なっている。 戦場カメラマンに近いものがあるかもしれない。
1982年には自給自足の生活を目指して瀬戸内海の無人島にも6年間入植したりもしたのよね。そんな彼のドキュメンタリーも撮られた。『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』(長谷川三郎監督)。これ、ぜひ、見に行きたい。今年、2013年は13冊目の写真集『証言と遺言』刊行。もちろん、3.11直後から福島入りしている。日本の戦後を、ずっと見続けてきた。「なかったことにしてしまおう」というこの風潮の中で、彼はまだ「見つめること」や「記録すること」そして「告発すること」 を手放そうとしない。迫力老人ね。穴あきのジーパンが今でもよく似合っておられる。
井上孝治さんの写真からは、貧しい時代でもなにか温かいもの、ほのぼのとしたもの、小さいけれどしっかりとした希望のようなものがみえる。もちろん、福島菊次郎の写真からも、ほっとする懐かしの情景もあるんだけど、やっぱり、権力の理不尽さや困窮の悲惨さや異議申し立ての体を張った覚悟のようなものが伝わってくる。もちろんどちらも戦後のリアルなんだけど。 

 



 

 


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