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「ザ・ピーナッツ」の伊藤エミさん死去 「恋のフーガ」などがヒット
産経新聞 6月27日(水)21時29分配信
伊藤さんは昭和16年、愛知県生まれ。ジャズクラブで歌っているところをスカウトされ、上京。一卵性双生児の妹のユミ(本名・月子)さんと「ザ・ピーナッツ」を結成し、昭和34年に「可愛い花」でレコードデビューした。
卓越した歌唱力とハーモニーの美しさで注目され、音楽バラエティー番組「ザ・ヒットパレード」や「シャボン玉ホリデー」に出演。「恋のバカンス」や「ふりむかないで」など数々のヒット曲を送り出し、高度成長を背景に、テレビの普及とともにお茶の間の人気者となった。
NHK紅白歌合戦には、34年から49年にかけて16回連続出場。女優としても活躍し、「クレージー黄金作戦」など20本以上の映画に出演した。特に、昭和36年の怪獣映画「モスラ」では、双子の妖精「小美人」を演じて「♪モスラヤ、モスラ…」と歌い、印象的な歌詞とメロディーで話題を集めた。
日本の歌謡界のトップを走り続けたが、50年に引退を発表。以来、マスメディアからは遠ざかった生活を送っていた。
伊藤さんは解散直後、歌手の沢田研二さん(64)と結婚したが、62年に離婚していた。
ザ・ピーナッツのデヴューは1959年のことだが、僕らは小学校のガキだったがすぐに夢中になった。「ザ・ヒットパレード」のレギュラーが1959年から70年まで続き、そして「都会」のおしゃれを感じさせた「シャボン玉ホリデー」が61年から72年である。
家では母などは「こまどり姉妹」が好きだったようだが、僕はなんかザ・ピーナッツのハーモニーが聞こえてくると、それだけで幸せな気分になったものだ。
教室では、女の子たちが学芸会でザ・ピーナッツを真似たりしていた。
また姉のエミと妹のユミは、姉がハーモニー部を受け持ったが、本当に一卵性双生児だから当たり前なのだからそっくりで、ほくろのあるなしで見分けをつけるしかなかったらしい。
70年代前半にはキャンディーズが70年代後半にはピンク・レディが大人気になるのだが、ザ・ピーナッツは75年には引退表明をしている。
その後、再結成することもなく、伝説は本当の伝説となった。
もっと下の世代の子にも「伝説」になったのが、やはり『モスラ』(61年)で、インファント島の小妖精「小美人」で登場したことだ。
モスラは怪獣としてはそれほど強くは無いが、人気が出たのはザ・ピーナッツの妖精が他の怪獣とは異なり、ファンタジー性の強い造形に一役買ったためだろう。
ザ・ピーナッツとしては、怪獣シリーズには三作の登場となる。
その映像は、やはり今になっても「お宝」である・・・合掌!
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