サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

小美人/伊藤エミ(ザ・ピーナッツ)/71歳

2012年06月28日 | 毎日がメメント・モリ

「ザ・ピーナッツ」の伊藤エミさん死去 「恋のフーガ」などがヒット

産経新聞 6月27日(水)21時29分配信

 「恋のバカンス」や「恋のフーガ」のヒット曲で知られる双子の歌手「ザ・ピーナッツ」の姉、伊藤エミ(いとう・えみ、本名・日出代=ひでよ)さんが15日に亡くなったことが27日、分かった。71歳だった。葬儀・告別式は近親者で済ませた。

 伊藤さんは昭和16年、愛知県生まれ。ジャズクラブで歌っているところをスカウトされ、上京。一卵性双生児の妹のユミ(本名・月子)さんと「ザ・ピーナッツ」を結成し、昭和34年に「可愛い花」でレコードデビューした。

 卓越した歌唱力とハーモニーの美しさで注目され、音楽バラエティー番組「ザ・ヒットパレード」や「シャボン玉ホリデー」に出演。「恋のバカンス」や「ふりむかないで」など数々のヒット曲を送り出し、高度成長を背景に、テレビの普及とともにお茶の間の人気者となった。

 NHK紅白歌合戦には、34年から49年にかけて16回連続出場。女優としても活躍し、「クレージー黄金作戦」など20本以上の映画に出演した。特に、昭和36年の怪獣映画「モスラ」では、双子の妖精「小美人」を演じて「♪モスラヤ、モスラ…」と歌い、印象的な歌詞とメロディーで話題を集めた。

 日本の歌謡界のトップを走り続けたが、50年に引退を発表。以来、マスメディアからは遠ざかった生活を送っていた。

 伊藤さんは解散直後、歌手の沢田研二さん(64)と結婚したが、62年に離婚していた。

ザ・ピーナッツのデヴューは1959年のことだが、僕らは小学校のガキだったがすぐに夢中になった。「ザ・ヒットパレード」のレギュラーが1959年から70年まで続き、そして「都会」のおしゃれを感じさせた「シャボン玉ホリデー」が61年から72年である。
家では母などは「こまどり姉妹」が好きだったようだが、僕はなんかザ・ピーナッツのハーモニーが聞こえてくると、それだけで幸せな気分になったものだ。

教室では、女の子たちが学芸会でザ・ピーナッツを真似たりしていた。
また姉のエミと妹のユミは、姉がハーモニー部を受け持ったが、本当に一卵性双生児だから当たり前なのだからそっくりで、ほくろのあるなしで見分けをつけるしかなかったらしい。
70年代前半にはキャンディーズが70年代後半にはピンク・レディが大人気になるのだが、ザ・ピーナッツは75年には引退表明をしている。
その後、再結成することもなく、伝説は本当の伝説となった。

もっと下の世代の子にも「伝説」になったのが、やはり『モスラ』(61年)で、インファント島の小妖精「小美人」で登場したことだ。
モスラは怪獣としてはそれほど強くは無いが、人気が出たのはザ・ピーナッツの妖精が他の怪獣とは異なり、ファンタジー性の強い造形に一役買ったためだろう。
ザ・ピーナッツとしては、怪獣シリーズには三作の登場となる。
その映像は、やはり今になっても「お宝」である・・・合掌!


 


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