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サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

ドンキーカルテット/小野ヤスシ(タレント)/72歳

2012年06月29日 | 毎日がメメント・モリ

小野ヤスシさん 3日前に加藤茶と最後の別れ 涙で手を握り締め…

スポニチアネックス 6月29日(金)7時45分配信

 

 テレビ番組の司会やリポーターとして活躍したタレントの小野ヤスシさんが28日午後10時24分、東京都世田谷区内の病院で腎うがんのため死去した。72歳。

 小野さんは09年に悪性の腎う腫瘍が見つかり、腎臓を摘出する大手術を受けた。闘病をしながら芸能活動を続けていたが、今月13日に抗がん剤治療を続けることを断念。関係者によると、3日前にザ・ドリフターズ時代からの盟友である加藤茶(69)が病院に見舞いに訪れ、最後の別れをしていた。2人は言葉はなかったものの、手を握りながら互いに涙を流していたという。

 今年3月1日の加藤と綾菜夫人(23)の結婚披露宴では、小野さんが司会を務めた。顔色は悪くげっそりと痩せていて、出席者らが小野さんの体調を心配していた。

「ザ・ドリフターズ」の初期メンバーで、いかりや長介とソリが合わずに脱退した。
だけど、その頃のことはあまり記憶に無い。
その後、自分がリーダーとなってコミックバンド「ドンキーカルテット」を結成。僕の中学生ぐらいだったか、こちらはよく覚えている。

それなりのブームを呼んだが、70年にはソロとなって、バラエティをやったり、司会をしたり、レポーターで走り回ったり。
話芸は達者であったが、いつもその才能の半分ぐらいしか出していないような感じだった。
当意即妙の受け答えから、彼が都会派の洗練されたギャグやペーソスが出来ることはわかっていたが、どこかあまりに便利屋風に使われているなと哀しく思ったこともある。

そういう意味では、ソロ芸人として、面白いなあと思ったのは、僕の場合は実はこの小野ヤスシと 小松政夫が双璧であったのだ。
境港出身の彼は、「鳥取が生んだ最大の芸術家」と称して、地元の観光大使も引き受けていたが、鬼太郎キャラのように、これからも地元に根付いてくれるのだろうか・・・合掌! 


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