サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 09357「歩いても歩いても」★★★★★★★★☆☆

2009年03月04日 | 座布団シネマ:あ行

『誰も知らない』『花よりもなほ』の是枝裕和が、家族の情景を鋭くとらえ、しんみりと描いたホームドラマ。15年前に死んだ兄と比較されて育ち、実家に居心地の悪さを抱いている男を阿部寛がユーモアと悲哀を込めて演じる。そのほか、夏川結衣、樹木希林、原田芳雄などが家族にふんし、家族の何でもない会話や日常を絶妙な間合いで表現する。[もっと詳しく]

横山家の記憶は、古びた家とともに、母親が保存している。

僕が葉山の家を手に入れたのは、現在25歳の息子が5歳の頃だったから、もう20年ほど前のことになる。
ほどなくして、相方と別れたので、葉山から東京に通うこともなくなり、それからは月に一度、葉山に行けばいいほうだった。
だから湘南にそんなに土地勘があるわけではないが、それでもこのあたりを舞台にした映画を観たりすると、どこか親近感のようなものが湧くのを禁じえない。
「歩いても歩いても」という映画もそうだった。



横山良太(阿部寛)とゆかり(夏川結衣)がゆかりの連れ子であるあつし(田中祥平)とともにやってくるのは赤い京浜急行電車である。僕も、ときどき始発である新逗子駅から乗り込んだことがある。
もう引退した医師である横山恭平(原田芳雄)が杖をつきながらせいいっぱい背中を伸ばしてゆっくりとした足取りで散歩をするのは、葉山の住宅地に入っていく階段のあるなかなか風情のある坂道だ。階段が好きな是枝監督が気に入りそうなロケーションだといえる。
15年前に溺れている少年を助けるために逆に自分の命を落とした良太の兄の純平の最後は、袖ヶ浜海岸だ。平塚駅からまっすぐ海に向かうと、ふだんは穏やかなこの海岸に行き当たる。
この家族が、最初は長男を、ラストでは恭平と母とし子(樹希樹林)を墓参することになるのが久里浜霊園だ。海を見下ろす高台にたたずむ風光明媚な公園霊園だ。



ふだんはテレビドラマなど滅多に観ることがない僕だが、珍しく早く帰っては楽しみにしていたのがフジテレビ「結婚できない男」(06年)だった。
独身生活に独特の美意識を持つ偏屈な建築家である主人公を演じるのが阿部寛。そんな男に呆れながらもなぜか放っておけなくなる女医役に夏川結衣。
ゲラゲラと笑いながらも、阿部寛と夏川結衣を好意的に観ている自分自身に驚かされたのが、この番組だ。
阿部寛は、もちろん雑誌のカリスマモデルとして有名だった。190cmはあろうかという大男であり、奇妙な風貌の怪奇的な性格を演じることがはまり役のように見做されていた。
夏川結衣は今さらながらイケメン芸人であるチュートリアルの徳井などとの交際が報じられ、腹立たしいだけなのだが(笑)、ユニチカキャンペーンガールとしてデヴューし、その当時は夏目雅子の再来などとも言われたものだ。
実力派女優などといわれているが、それほど主役は多くはない。だから今回の作品で東京スポーツ映画大賞の助演女優賞や高崎映画祭でも同じく最高助演女優賞などを獲っているのを知ると、素直に嬉しくなる。



是枝裕和監督は、好きな監督だ。
「誰も知らない」(04)や「花よりもなほ」(06)は、日本のどの若手監督よりもカメラワークが大胆だな、と感心させられた。
構図そのものは一見すると安定的な落ち着いたカットの連続や長回しに見えたりするのだが、よく観察すれば、驚くようなポジションからカメラを回してきたり、階段や坂道を絶妙にフレームカットしたりしているのに唸らされる。
今回、是枝監督が、たぶん細心の注意を払いながら、大胆にやってのけたのが、フレームの外から登場人物の声を重ねてしまうという遣り方だ。
たとえば、墓参りの帰りに良太はぼそぼそと母親と話をするのだが、カメラはふたりの話をしている背中姿を撮っている。けれども、声は、もっと後方から、カメラの位置からといってもいいし、観客席からといってもいいところから発されている。
ナレーションではない。
目を瞑れば、ラジオドラマを聞いてでもいるかのような、そしてそこから喚起された映像が、実際のスクリーン上に映っているかのような、気配がするのだ。



もうひとつ、脚本も書いている是枝監督がこだわっただろうシーンは、横山家の描写の中心に台所や食卓を置いて、ひたすらとし子に料理をつくらせているところだ。
大根のきんぴらや、豚の角煮や、とうもろこしの掻揚げや、枝豆と茗荷の入った混ぜ寿司や・・・。
料理番組も顔負けの、見事な手つきと生活感にあふれた撮り方だ。
こういう場面で、たぶん多くの観客が自分の里帰り先や実家での母親の手つきを懐かしむに違いない。
たまに兄弟や親戚が集まると、なんだかぎごちないままにそれでも台所や食卓に交代に顔を出して、なんということもない会話を交わしたり、ちょっと苛立った感情を溢れさせたり、黙り込んだりしながら・・・。
そんなシーンをもちろん樹木希林はもう演技というものを超えたかのような身のこなしで表現している。
それに見事に拮抗するかのような存在感を出しているのは妹・ちなみ役のYOUだ。
芸能界では不思議キャラでお笑い芸人ともためをはっているYOUだが、天性の素質なのだろう、演技以前の反応の良さというか、この人はセリフをセリフと感じさせず、独り言のようにあるいは普通の家族の日常会話のような呼吸で、対応することが出来る人だ。
いまのところ、彼女を女優と規定するならば、こんな才能を持った女優を僕は他に知らない。



「歩いても歩いても」では、別に事件らしい事件が起こるわけではない。
15年ぶりの兄の命日に集まった家族の1日を淡々と描いているだけである。
けれどこの作品は、血の繋がっている者たち同士の奇妙な間合いを描いて絶妙である。
たぶんどこの家族にも、懐かしさや率直さや親近感と同じぐらいの、哀しみやこだわりや気遣いのようなものが存在する。
そうした微妙な感情もいつかは溶解する時期が来る。
あるいはそういう家族の微妙な確執の様なものも、いつしか老いと死がかき消してしまう。いや、そして初めて、受容の季節が訪れるのかもしれない。
また、そうした家族の濃密な空間に、肉親以外のものが薄い皮膜を挟んで存在することになる。
横山家で言えば、夫と死別したゆかりとあつし、妹の亭主がそうだ。
ゆかりは夏の日のワンピースを軽やかに風に吹かせながらも、緊張に笑顔が強張る時がある。
あつしは10歳の少年だが、良太に寄り添いながらも、亡き父の面影を忘れようとはしない。
妹の亭主もお気楽者を装いながら、横山家のちょっとした会話に反応している。



結局のところ、横山家を仕切っているのは母とし子である。
家が古びているその分、窓枠には雨の染みが黒ずみ、浴槽の黄ばみもなかなか洗い落とせず、そんな中でとし子の翳が家中に拡がっている。
跡継ぎを期待された長男の不在、気位は高いがもう隠居の身の夫、しゃあしゃあと甘えてくる妹、絵画修復士をしながら父と反目してしまう良太、毎年長男の命日になると線香を上げに来る助けられた青年・・・。
けれど横山家を、その近親と微妙な距離を、記憶を含めてこの古びた家とともに保存しているのは、この母だ。
そして、僕のような年代を経てしまった観客の多くは、自分の母の仕種を思い出しながら、その優しさとときには頑固さのような仕種を思い出しながら、なるほど胸を詰まらせることになるのである。

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誰も知らない
花よりもなほ



 


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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは~ (hito)
2009-03-09 17:30:10
TBありがとうございます。

大きな起伏があるわけじゃないのだけれど、とってもいい映画ですよね。
まるで自分の親戚の家に行ったかのような、自分もその場にいるかのような感覚になりました。
特別ではないたくさんの料理と、何でもない日常の会話なんだけどちょっとぎくしゃくしたり・・

何度も繰り返し見たくなるような気がします。
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hitoさん (kimion20002000)
2009-03-09 18:07:52
こんにちは。

もう僕は、だいぶん前に両親を亡くしていますが、田舎のうちでの会話は、まさにこの映画のようでした。
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一応健在の (sakurai)
2009-03-10 15:12:48
うちの両親です。
70過ぎましたが、二人で暮らしている我が両親を思い出しました。
まさにあの二人ですわ。
茗荷と枝豆ご飯、やりました。
しゃきしゃきとおいしかったです。
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sakuraiさん (kimion20002000)
2009-03-11 00:19:18
こんにちは。
ご健在ですか、それはなにより。
僕も、料理好きなので、茗荷と枝豆ごはんは、挑戦してみます(笑)
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気になる映画でした (うつこ)
2009-03-30 20:14:40
TB有り難うございました。
是枝さんの映画で「幻の光」もいい映画ですよ。
原作は宮本輝です。主演は江角マキコで…生まれたばかりの子供と妻を残して夫が自殺するんです。
是枝さんの家族を描いた映画っていいです。
「誰もしらない」も家族でした。
「歩いても歩いても」は見た後も、何か引きつけられる映画でした。
なぜ長男は死んでしまったのか?本当に事故だったのか?なんだか妙に気になりました。
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うつこさん (kimion20002000)
2009-03-31 01:27:05
こんにちは。
「幻の光」はまだ見ていないんです。
宮本輝は好きなんですけど、江角マキコが妙に苦手で・・・(笑)
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TBありがとうございました。 (hyoutan2005)
2009-04-02 23:56:20
是枝監督の視線には、女性のような視点が感じられて、時々はっとさせられます。
その視線で樹木希林さんや夏川結衣さんやゆうさんたちが演じる女性のふとした日常の仕草を切り取って見せられたとき、実にリアルな家族の姿が浮び上がってくるのです。
監督の実に細やかな観察力に脱帽です。
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hyoutan2005さん (kimion20002000)
2009-04-03 01:40:56
こんにちは。
ちょっと女性監督も、かなわないような観察眼があるのかもしれませんね。
夏川結衣が夫婦だけで和室に入って、ほっとしたように足を投げ出すシーンが印象に残っています。
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私も☆ (latifa)
2010-04-14 08:56:38
是枝裕和監督と、夏川さんが好きです~。
是枝裕和監督の作品では、もしかしたら、これが一番好き・・って思っていたのですが、その後、空気人形を見て、そちらもすごく好きで、今はこちらと空気人形と、どっちが一番好きか?迷います。
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latifaさん (kimion20002000)
2010-04-15 08:37:37
こんにちは。
僕はまだ「空気人形」見てないんです。
DVDで見るのをとても楽しみにしています。
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