サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

マカロニ・ウェスタン/ジュリアーノ・ジェンマ(俳優)/

2013年10月02日 | 毎日がメメント・モリ

『夕陽の用心棒』ジュリアーノ・ジェンマさんが交通事故死 

シネマトゥデイ 10月2日(水)10時34分配信

 『夕陽の用心棒』などで知られるイタリアの俳優ジュリアーノ・ジェンマさんが現地時間1日、交通事故のため死去した。75歳。現地紙La Gazzetta dello Sportなどが伝えた。


ジュリアーノさんの遺作となった『ローマでアモーレ』作品情報

 報道によると、ジュリアーノさんは1日、ローマ近郊のチェルヴェーテリで車を運転していたところ、正面衝突の事故を起こしたとのこと。そのまま病院に運ばれたが、同日夜に死亡が確認された。なお、車にはジュリアーノさんの息子が同乗していたが、こちらは軽傷で済んだという。

 1938年にローマで生まれたジュリアーノさんは、1965年の映画『夕陽の用心棒』を皮切りに、『荒野の1ドル銀貨』『南から来た用心棒』といったマカロニ・ウエスタンに立て続けに出演してブレイク。日本でもスズキのオートバイが「ジェンマ」と名付けられるなど人気を博し、ジュリアーノさんは「ジェンマ」のCMにも出演した。また、1991年の日本映画『フィレンツェの風に抱かれて』にも出演している。

 近年はテレビを中心に活躍していたほか、彫刻家としても活動。俳優としては、2012年のウディ・アレン監督の映画『ローマでアモーレ』が遺作となった。(編集部・福田麗)

とにかく1960年代半ばの「マカロニ・ウェスタンブーム」はすごかった。
もともとはアメリカ西部劇を、安上がりにつくるためにイタリアのスタジオを使い、スペインなどでロケをし、大スターではなくB級俳優を使った作品群だ。
その俳優で生き残ったのがアメリカで言えばクリント・イーストウッドやバート・レイノルズやリー・ヴァン・クリーフであり、イタリアで言えばフランコ・ネロやジュリアーノ・ジェンマであったのだ。
粗製乱造であったかもしれないが数年間で数百本製作されたらしい。
ジュリアーノ・ジェンマは『荒野の1ドル銀貨』を皮切りに、名作『夕日の用心棒』はじめ20本近くのマカロニウェスタンに数年間で出演している。 

そのあたりは僕の中学頃だったから、僕はカウボーイハットをかぶり、ジーンズの腰に太い穴あきベルトをして、首にはスカーフをするという恥ずかしい格好をしてまあジェンマを気取って、犬の散歩に毎日近くの城址に行っていたのだった。
イーストウッドやネロに比べ、ジュリアーノ・ジェンマはなんともアイドルのような軽さがあった。
もともと「マカロニ・ウェスタン」は 和製の名前であり、イタリアで創られたから「スパゲッティ・ウェスタン」と半分馬鹿にして言われていたのを、映画評論家の淀川長治が、スパゲッティだと細くて弱いイメージなので、「マカロニ」に変えたと言われていた。
ただ、どちらにせよ、セルジオ・レオーニ監督がそれまでの西部劇の文法を次々と破り、エンニオ・モリコーネの音楽は力強く哀愁を帯びており、物語にはたいした深みも知性もないが、スタイリッシュなある種の様式と美意識を持っており、それがまた日本でも『子連れ狼』 『木枯らし紋次郎』『必殺シリーズ』などに影響を与えたこともたしかたったのである。
いわば、西部劇も、この時代に「劇画化」したのである・・・合掌! 

 


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