サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 09405「チェイサー」★★★★★★★☆☆☆

2009年10月14日 | 座布団シネマ:た行

10か月に21人を殺害した疑いで逮捕された、韓国で“殺人機械”と言われた連続殺人鬼ユ・ヨンチョルの事件をベースにした衝撃のクライム・サスペンス。狂気のシリアルキラーをたった一人で追う元刑事の追走劇が、緊迫感あふれるダイナミックかつハイスピードな展開で描かれる。長編初監督の新鋭ナ・ホンジンのもと、連続殺人鬼役のハ・ジョンウと、元刑事役のキム・ユンソクが圧倒的な演技を披露。事件を追う過程で垣間見える人間の心の闇に戦慄(せんりつ)する。[もっと詳しく]

酷い雨に見舞われた空っぽの村にいた2匹の犬の話

海の向こうの韓国の事件であったが、『チェイサー』の下敷きになっている連続殺人鬼ユ・ヨンチョル(柳永哲)の騒ぎは強く印象に残っている。
逮捕されたのは2004年7月、殺人確認は20人であったが、本人は31人とも供述している。
逮捕時点で33歳であったが、大きなマスクをつけ、ミステリアスな風貌にもうつった。
虚実があるのかもしれないが、ユ・ヨンチョルは暴力的な父と継母に虐待され、実母を求めて6歳で家出をしている。
ゴッホが好きで美術に秀でていたようだが、色覚障害が発覚、希望していた美術の道を断念した。
学生時代はゲバラやニーチェを耽読していたともいわれるが、十代の頃から窃盗、詐欺、強姦などを繰り返し、11年服役している。



退所後結婚もし、子供も出来たが、妻とは離縁され、売春婦や金持ちの老人など次々と猟奇的な殺人を繰り返すことになる。
遺体はばらばらにされ山に埋められ、一部臓器が食されたともいわれている。
ユ・ヨンチョルは当局に対しても挑戦的で、100人は殺す予定であったと言い放っている。
2006年に死刑が確定したが、その求刑に対して「感謝する」とコメントした。
『チェイサー』という映画の中でも、この事件をモデルにしたと思われるいくつかの事実が伏線となっている。
たとえば、現実のこの鳴り物入りの大捕り物劇でも、当局は何度も凡ミスを繰り返し、逃亡されたり、逮捕のチャンスを2回も逃していたりする。
また、犯人逮捕には、出張マーサージ店の店長や店員の行動が基点になっている。



脚本・監督はこれが長編初監督のナ・ホンジン。1974年生まれだから、まだ30代半ばだ。
とても荒々しいが、映画の醍醐味が充分に伝わってくる。
韓国では年齢制限にもかかわらず、500万人が劇場にかけつけた。
2008年の韓国アカデミー賞、大韓民国映画大賞で、主要な賞を独占している。
この映画の冒頭から、ポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』(03年)をすぐに思い浮かべることになった。
田舎の泥臭い刑事にソン・ガンホ、対極的に都会型の刑事にキム・サンギョン、ふたりの刑事を嘲笑うかのように次々と猟奇殺人を繰り返す犯人にパク・ヘイル。
雨の中を、刑事たちの無力感と絶望がつのる。
この事件も、1980年代実際に10人を連続殺害した「華城連続殺人事件」が下敷きとなっている。
韓国映画には、歴史武侠劇、社会派軍事ドラマ、美少女ホラー、ラブコメディー、悲恋ストーリーなどのこれぞ「韓流」といいたくなるようないくつかのジャンルがあるのだが、そのひとつとして泥臭い刑事ものがあり、その分野を水準的にも開拓したと言ってもいいのが『殺人の追憶』であった。



『チェイサー』で追いかける役どころは、元刑事で現在は主張デルヘルを経営しているジュンホ(キム・ユンソク)。店の女の子が次々といなくなり、同業者に売り払われたのではと疑い、子持ちのミジン(ソ・ヨンヒ)を警戒しながら送り込むが、また連絡が途絶える。
一方で、追われる役どころは、一見すると普通の青年のように見えるヨンミン(ハ・ジョンウ)。
このハ・ジョンウはギドク監督の『絶対の愛』(06年)、『ブレス』(07年)にも出演している。
ミジンを探しているジュンホに発見され警察に突き出されるが、そこで意外にも「殺した」と呟く。
しかし死体遺棄場所は明らかにせず、拘束期限は迫り、当局は捏造してでも証拠をつかめと焦る。
元刑事のジュンホは最初はまさか殺人事件などと思いもしなかったが、ミジンの幼い娘を連れながら、必死になって生きているかもしれない彼女の居所を探すことになる。



別にミステリーも、どんでん返しもなにもない、追いつ追われつそのまんまであり、ただし猟奇殺人がからむため重苦しくなんのカタルシスもないような映画ではある。
そしてこの作品では、決してジュンホが「正義」として扱われているわけではない。
不祥事で刑事も懲戒免職になり、女の稼ぎをピンはねしているケチな野郎のように描かれてもいる。
そして、ヨンミンの犯行動機も生い立ちも不明であり、性格異常なのかどうなのか、それもどうにでもとれるような描き方しかされていない。
けれど、その救いのなさが、逆にこの映画を、直接的な「闇」を覗かせ身震いするような映画的快楽に導いている。
韓国打楽器だろうか、リズミカルなサウンドにせかされるように、観客の鼓動も高鳴ってくる。
「不条理」などという、上品な観念劇も、成立しないようなところで・・・。



ナ・ホンジュン監督は「映画に寄せて」、次のような一文を記している。

(前略)
私が村に戻った時、遠くから私をじっと見つめる白く大きな犬の姿を目撃した。
雨でびしょ濡れとなったその犬は、我々の犬に咬みつき、口の周りは血だらけだった。
その眼はとても黒く、すべてを照らし出すような輝きに満ちていた。
思わず身の危険を感じ、落ちていた棒を拾い手に取った。
すると、白い犬は、我々の犬の元から離れていった。
(中略)
そしてあの犬は、未だに近所の家で飼われている。
この映画は酷い雨に見舞われた空っぽの村にいた2匹の犬の話なのかもしれない。




ヨンミンが犯行に使ったお屋敷で、雨に打たれた白い犬が、遺体を貪り喰っていた。
ジュンホもヨンミンも、溟い闇の世界で、憑かれたように、情念のゆくえに迷っている。
誰も闇を闇としてみようとしない。
当局も間抜けな醜態を曝け出すだけだ。
ジュンホもこの闇に呑まれ込もうとしている。
教会のキリストの像も答えをくれない。
たぶん、病院で母を亡くし、もう誰にも頼ることが出来ない幼女の手の温もりだけが、この闇から引き戻してくれるかもしれない・・・。

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6 コメント

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TBありがとうございました (シムウナ)
2010-03-26 23:15:57
TB有難うございました。
日本映画ではお目にかかれない
圧倒的な暴力、絶望感など観る者に
衝撃を与えるほどの完成度に
驚くばかりです。

今度、訪れた際には、
【評価ポイント】~と
ブログの記事の最後に、☆5つがあり
クリックすることで5段階評価ができます。
もし、見た映画があったらぽちっとお願いします!!
返信する
シムウナさん (kimion20002000)
2010-03-28 03:16:32
こんにちは。
韓国映画というと甘いドラマばかり想像する人もいますが、こういう作品をちゃんと見て欲しいものですね。
返信する
弊記事までTB&コメント有難うございました。 (オカピー)
2010-04-28 01:19:26
サスペンスの重厚さでは「殺人の追憶」を凌駕するかもしれない傑作でしたね。

犯行の理由が解明されないところに不満を覚える方もいらっしゃるようですが、だからこそ人間の精神の闇に戦慄することになるわけですよね。

しか~し、残念ながら、女刑事が犯人と犯行を見逃すところがいい加減なんで、僕は【大傑作】と太鼓判が押せなかったです。
【九仭の功を一簣に欠く】という諺が当てはまるような終盤でした。
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オカピーさん (kimion20002000)
2010-04-28 10:57:47
こんにちは。

>九仭の功を一簣に欠く

おっ、国語力テストで正解率が5%ぐらいの言葉ですね(笑)。
韓国の警察組織は、いつも虚仮にされていますが、どうなんだろう、レベルが低いんですかねぇ。
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実際に・・・ (latifa)
2010-11-06 09:18:32
kimionさん、こんにちは。
本当にあった事件を映画化するのって、韓国映画では、結構多いですよね。
私はそういう映画が大好きなので、とても興味深く見ました。
ファンタジーものよりも、やっぱり本当にあった事ってだけでもソソられるし、怖いです・・・
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latifaさん (kimion20002000)
2010-11-06 21:08:58
こんにちは。
ちよっと震撼させられる事件ですね。
日本でいくつか実話犯罪から映画になっていますが、こういう猟奇的犯罪は、映画にしにくい風土もありますね。
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