人生に退屈し、自分の世界に閉じこもって生きる三兄妹が、心を開いて家族のきずなを深めるまでを描く感動ドラマ。『かもめ食堂』『めがね』の荻上直子監督が、海外で自分のオリジナル脚本の映画を撮るという念願の企画を実現。三兄妹と触れ合うばーちゃん役に荻上作品の常連もたいまさこ、謎の女性役に『西の魔女が死んだ』のサチ・パーカー。荻上作品ではおなじみのフードスタイリスト飯島奈美による美食の数々にも期待。[もっと詳しく]
ばーちゃんはいったい何を伝えたかったのだろうか。
時々祖母のことを思い出す。
祖母が死んだのは、十代の終わり頃、僕が大学生の時だった。
久しぶりに大阪から、地元に帰省し駅に降りた瞬間、僕は激しい動悸に襲われた。
そして祖母になにかがおこったことを察知した。いわゆる「虫の知らせ」という奴だ。
家の前に消防車が横付けされていて、人並みが出来ていた。
祖母は、煙管が好きで、どうやらその火の不始末で部屋が焼け、逃げた祖母はショック死のようなかたちで、病院で息を引き取った。
徳川紀州藩の絵付け藩士であった和歌山狩野家の直系の娘であった祖母は、江戸から明治への移行期に養女に出され、そこから花柳界の流れをくむ世界に入ることとなった。
芸事に秀でて、それなりの美貌もあったのだろうが、若くして売れっ子になったらしい。
博多で一、ニを競う置屋を切り盛りするようになり、そこで祖父に出会った。
祖父は丹後の有名な武家の出で、維新以降は大阪で商いを目指し、苦労の末上海に渡り、貿易商を営なみ一時期は栄華を誇ったらしい。
祖母はいわゆる二号さんであった。
丹後の家のおばあさんはある小説のモデルともなり、自伝も残しているが、教育熱心な厳しい人で、祖母と息子との結婚を認めなかった。
だから父にも、それほど祖父との幸せな記憶はないかもしれない。
祖母も大陸に渡り、軍人相手の社交場の経営を任され、敗戦で命からがら叔母らを連れて逃げ帰ることになる。
それからは、国内を転々とし、結婚してすぐに夫を戦地にとられ娘を身ごもったまま戦死の報を受けた叔母とその一人娘と、一緒に生活することになった。
父とまた僕の生まれる頃に結核で亡くなった父の弟もまた、祖母の面倒をみながら、戦後の厳しい時代を生きることになった。
僕が中学生の頃、祖母は松阪の家に一時期引き取られることになり、僕は数年を祖母の煙管の匂いを意識しながら過ごすことになった。
ほとんど言葉を交わすことはなかったし、祖母と父との関係も微妙な緊張があったように思うが、父の死後叔母の昔語りのなかで過去の話を聞くにつれ、ある程度理解できるようにはなった。
『かもめ食堂』ではフィンランドを、『めがね』では与論島あたりの南島を舞台に定めた荻上直子は、今回は自らも94年から6年間留学していた北米を舞台にした映画を製作することになった。
そこで登場するのが、ばーちゃん(もたいまさこ)である。
ロボットプラモオタクのレイ、引きこもりピアニストのモリー、勝気でわがままなリサの三兄妹の母が死に、家と、センセーと呼ばれる猫と、母が日本から呼び寄せたばーちゃんが残された。
ばーちゃんは一切、英語を話さず、三兄妹もばらばらな生活でストレスがたまっている。
四年間発作が起きることを怖れて外出も出来なかったモリーは母の足踏みミシンを見つけ出し、ばーちゃんに操作の仕方を教えてもらいながら、布を買うためにばーちゃんにお金を借り、思い切って外出することになる。
リサはある晩、ばーちゃんがエアギターのテレビを見ていることに触発され、自分もフェイクでないことを証明するため、エアギター選手権に出場するための費用を、ばーちゃんにお願いすることになる。
企業の実験室に勤めるレイはプラモ以外にはなににも興味は持たず、周囲からは冷たい人間だと揶揄されている。なにもかもうまくいかず、部屋で悶々としているレイに、ばーちゃんは煙草を勧めたり、おいしい餃子を振舞ってくれたりする。
ばーちゃんはなにも話さない。朝、トイレから出てきては、深いため息をついている。
三兄妹とばーちゃんの壁が少しづつ取り払われてきた頃に、ばーちゃんは倒れて入院することになるのだが・・・。
荻上直子は『かもめ食堂』では、フィンランドの食堂を舞台に、ゆるい擬似家族のような共同性を描き出した。
登場人物たちは過去の自分を切断するようなかたちで、自分が自分らしく立ち現れるかもしれない新しい場所に、一縷の解放を求めていたようにも思える。
『めがね』では、南島の奇妙なゲストハウスでお互いにかまわない、けれどもゆるい認め合う関係を、奇妙なメルヘンのように描き出した。
どちらも、現実のしがらみからの脱出かもしれないし、逃避かもしれないところで、「自分が自分である場所」にそれとなく気づいていくという構成をとっている。
そこではもう半分は「死」の側に身体を預けていて、「生」への意志といったものは極端に希薄化されているようにも思えた。
確かに、透き通った空気や、強制しあわないゆるい関係や、おいしそうに丁寧につくられた食事の数々は「癒し」をもたらしてくれるのだが、その底流には、果てしない虚無の時間が流れているようにも感じられた。
映画評は、まったりとした時間の流れを取り戻すことでの「生」の再確認といったトーンに満ちていたが、僕はどこか「死」への親和性のような感覚がつきまとったのである。
その荻上直子は三年ぶりの『トイレット』という作品では、少し転回しているように感じさせる。
三兄妹に映画の冒頭で、ママの死が訪れる。
そして映画のラストで、ばーちゃんの死が訪れる。
このふたつの「死」に挟まれて、三兄妹はもう一度「絆」を確かめることになる。
母が残した足踏みミシンであったり、ばーちゃんがつくる料理であったり、日本の偉大なウォッシュレットトイレへの驚嘆であったり、どこかで家族を無条件につないでいるセンセーと呼ばれる6歳雄のネコであったり、道具立てはいくつもあるのだが、結局は「みんな、ホントウの自分でおやんなさい」というばーちゃんの、つまりは脚本を書いた荻上直子のメッセージに収斂されることになる。
ばーちゃんは何もしゃべらない。
自分からは働きかけはしない。
けれども、どこかで、ちゃんと目を見て話をすれば、あるいはちゃんと気持ちを伝えようとすれば、理解してくれる砦のような存在としてある。
ばーちゃんが発した言葉は、この作品を通じて、再起しようとするモリーがピアノの舞台に立ちまた発作がおきようとしたとき、観客席からすくっと立ち上がり、「モリー」と呼びかけ、親指を下に立てて「クールダウン」と伝えたのみであった。
それぞれが生き惑っていた三兄妹は、言葉でも血のつながりでもなく、ばーちゃんの無言の存在を通して、自分を知ることを再確認したのだ。
僕の祖母は「やりたいことをやりなさい」というのが口癖だった。
父も母も、祖母がそういうと、ちょっと鼻白むような感じになることが多かった。
祖母は、ある意味では、家族の中では厄介な存在でもあったのかもしれない。
けれども、僕の中では、いまでもありありと祖母の姿を思い浮かべることが出来る。
いつも着物をきちんと着て、煙管をくわえながら、子どもにもちゃんと座布団に座らせて、そして正面から覗き込むようにおもむろに言うのだった。
「やりたいことをやってるかい」。
kimion20002000の関連レヴュー
『かもめ食堂』
『めがね』
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「ばあちゃん」も僕たち子供を放任主義に近い状態で自由にさせてくれましたが、殆ど恩返しできないまま急死されてしまいました。
翻って、僕の祖父(婿)が祖母が父を産んだ直後に亡くなった後家を出ているので、僕は祖父母のいない家で育ったわけです。
だから祖父母が孫にとってどういうものが本当の意味では解っていないんですよ。
従って、映画でその辺りを一生懸命勉強しておりますが、本作は些か特殊でちょっと解りにくかったです。
でももう僕たちの世代も含めて、どういう親になったらいいのかわかんないままで来たので、じいちゃん、ばあちゃん論もでさぐりです。
『孫の力』という雑誌も、そんな団塊の世代中心に売れているようです。