『絶対の愛』『うつせみ』など繊細(せんさい)かつ大胆な作風でカルト的な人気を誇る韓国の映画監督キム・ギドクが放つ、生と死、そして愛の哀歓をつづる恋愛ドラマ。自殺願望のある死刑囚と、夫の浮気に絶望する主婦の奇妙で温かい関係を描く。『呉清源 極みの棋譜』の台湾人俳優チャン・チェンが、一切せりふを発せず感情も抑えがちに死刑囚を熱演。面会室で主婦が死刑囚に贈る、四季を感じさせる風景と歌が息をのむほど感動的。[もっと詳しく]
僕たちは大きく深呼吸をし、自分の呼吸のありかを確かめたくなる。
いつも、ギドクには驚かされる。
今回の『ブレス』は14作目。
過去のギドクの作品群と、いくつか重なるところがあり、この作品を凝視しながら、過去の作品が突然のように、頭をよぎるようになる。
キャストでみれば、ヒロインのヨン役を演じたチア。ギドク監督の『コースト・ガード』(02年)のヒロインであるミヨン役が強烈であった。
もちろんこの映画は、すでに人気を確立していたチャン・ドンゴンが南北軍事境界線上で民間人をスパイと誤認し、射殺してしまい、恐怖の中で狂気に陥っていく映画なのだが、射殺された男性は、ミヨンと情事中であり、ミヨンもまた狂っていくのであった。
チアは『春夏秋冬そして春』(03年)でも出演している。赤ん坊を連れて寺を訪れる女を演じていた。
美人ではない。しかし、舞台女優出身の彼女は、不思議と濃厚な存在感がある。
キャストでいえば、ヨンの旦那を演じているのが、ハ・ジョンウ。
『絶対の愛』で整形をしながら根源の愛を求める女に対して、自らも整形をして愛の証を立てようとする青年ジウを演じている。
ヨンが刑務所を訪れ、失語の死刑囚であるチャン・ジンに尽くすわけだが、そこではなにもないモノクロームの面接室を四季に彩り、彼女はいきなりミュージカル風に死刑囚に向かって、歌を披露するのである。
もちろん、『春夏秋冬そして春』の人間の輪廻にも似た季節の移り変わりの自然の中での表象を、面接室という特殊な空間の中で擬似的な四季の再現をする表象と、重ねて見ることも出来る。
あるいは、『うつせみ』(07年)で演じられた失語の男が監獄の中でひたすら自分の存在を消そうとする様と、死刑囚であるチャン・ジンの絶対孤独を重ね合わせることも出来るかもしれない。
あるいは同じく『うつせみ』で無言で抱擁を繰り返す男女の非日常性と、面接室の中での無言の抱擁をダブらせることにもなるかもしれない。
ヨンが用意する壁紙の四季の美術描写に、『弓』(05年)などでも披露されたもともと画家志望であったギドクの美意識を見て取ることも出来る。
『ブレス』という作品は、そのタイトルにあるように、登場人物たちの「呼吸」=生きることの意味が、浮き彫りにされた作品である。
僕たちは当たり前のように呼吸することで、その生を持続させているわけだが、逆に言えば、呼吸が苦しくなったり、呼吸を停止しようとしたり、呼吸が高揚したり、呼吸を相手に伝えたり、つまりは生のさまざまな様相のなかで、いつも呼吸を意識することになる。
この作品で言えば、ヨンは亭主の浮気という裏切りの中で、自分の存在意義が一挙に希薄化され、どこか夢遊病のように朦朧とした息継ぎの中で、偶然のように死刑囚であるチャン・ジンを見出し、彼に尽くすことによって、自分の輪郭を確かめていく女のように描かれている。
彼女は監獄で下手くそな音程も定かでないような歌を披露するのだが、そこには明確に自分の呼吸を、チャン・ジンという消え行く運命の死刑囚に吹き込むことで、生気を奪還しようとしている。
死刑囚であるチャン・ジンは、希望を持ったこともないし、幸福を経験したこともない。
もう、息もしたくない。彼は、喉を突き刺して、自殺未遂を繰り返す。
「鳥になった、風になった、私がいない、息が詰まる・・・」。
彼は、自死を望んでいる。
ヨンの旦那は、ヨンを裏切ったことを悔いている。
息ぐるしい日常を、どう回復していいかわからない。
妻は、子どもと私を置いて、どこに行ってしまうのだろう。
不安で、息苦しくなる。
旦那は、ヨンを理解するために、ヨンの自由に寄り添うことを決意する。
自分の車で、ヨンを死刑囚の下に送り届ける。
チャン・ジンと同室の若い囚人(カン・イニョン)は胸を患っている。呼吸が苦しい。その苦しい呼吸は、チャン・ジンに向かう。同性愛的なすがるような思い。甘ったるい空気がつかの間満ちたり、逆に暴力に転化したり。
ただでも息苦しい牢獄が、湿り気を帯びた息苦しさに変わる。
僕たちは、この作品で、しかしこのさまざまな息遣いの場面を、鳥瞰的に神のような視線で、見守っているもうひとりの存在、その密やかな姿を決して見せることのない、一人の男の息遣いを感じることになる。
それはここハンソン刑務所の保安課長の存在である。
実際のこの役柄は、ギドク監督自身が演じているらしいのだが、この不思議な面談を許可したり、あるいは遮ったりという位置で、まさに、全体を観察しているようなポジションで場を仕切っていることを感じることになるのである。
ほんとうはこの物語のみえざる主人公は、姿を現さないこの保安課長ではないのか、と思いたくもなってしまうのだ。
ヨンは9歳の時に、5分間ではあるが死を体験している。
そのヨンが死刑囚であり自殺を試みる死を前にした男に惹かれていく。
ヨンの経験は、苦い体験だったのか、あるいはどこか甘美な体験だったのか・・・。
人を寄せ付けない孤独なチャン・ジンはヨンに関心を抱き、待ち焦がれ、笑みを浮かべ、抱擁を求めるようになる。
ヨンはチャン・ジンにとっての絶対の存在に登りつめる。面接室の中だけの、いつ終わるかもしれない、瞬間の絶対性。
そのふたりを、見つめる保安所長あるいはギドク監督・・・。
僕たちは、大きく深呼吸する。
そして、自分の呼吸のありかを、ふと確かめたくなる。
kimion20002000の関連レヴュー
『春夏秋冬そして春』
『受取人不明』
『サマリア』
『弓』
『うつせみ』
『絶対の愛』
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こちらからのTBが反映されないようです、すいません。
この作品、前情報なしに観賞したのですが私にはかなり難解で理解しきれませんでした(汗)
でも解らないながらも飽きずに引き付けられる魅力はありましたね~
強くなれたヨンが最初と違って幸せそうな穏やかな顔になれたのが嬉しかったです。
ヨンは、空虚な気持ちのなかで生きる意味を見失っていたのですが、チャン・ジンにかかわることによって、自分の存在意義に目覚め、自信をもってきたんでしょうね。
それ以外は旧作の焼き直しみたいな感じでしたが、映像設計はやはり凄い。
解説読むまで、保安課長がギドクが演じているって、わかんなかったから、ずっとなんなんだ、この課長はという感じがあって・・・。
メタ・フィクションですね。
私は、最近のギドク監督作品で、うおー!!というのには、久しく巡り会って無い感じです。
チャン・チェンはこの役にピッタリで素敵だったな、って思いました。
私はあの刑務所内での男子同士の関係をもっと一杯描いてもらいたかったかな・・と思いました。
そういや、パクチアさんの旦那役のハ・ジョンウ、この映画や絶対の~で見た時は、特に印象に残る役者さんじゃなかったのに、チェイサーでは凄い存在感でした。昨日ツマブキ君と日韓合同で撮った「ノーボーイズ、ノークライ」って映画を見ました。
ギドク監督は、ちょっと方向転換をしていますね。それが、昔の衝撃的作品に出会った人には、なんだか上手にまとめている、あるいは芸術的にまとまリ過ぎているという感じにもなることがあると思います。
>チェイサーでは凄い存在感
そうでしたね。生身のぶつかり合いという感じで、犯罪者の不気味、闇を感じさせて、秀逸でしたね。