サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 10457「ジェイン・オースティン 秘められた恋」★★★★★★☆☆☆☆

2010年06月03日 | 座布団シネマ:さ行

「高慢と偏見」などで知られるイギリスの女流作家ジェイン・オースティンに迫る伝記ラブストーリー。監督は『キンキーブーツ』のジュリアン・ジャロルド。ジェインを『プラダを着た悪魔』のアン・ハサウェイ、その一世一代の恋の相手となる青年トムを『つぐない』のジェームズ・マカヴォイが演じている。自著の主人公たちをハッピーエンドへ導いてきた、ジェインの知られざる恋の物語が堪能できる。[もっと詳しく]

「200年前」のオースティン文学は、なぜまだ女性たちを魅了するのだろう。

ある意味で二百年余り前のジェイン・オースティンの恋愛小説など、いくら近代心理小説の原型を築いたものであり近代文学の最高峰だと言われても、現在では英文学を専攻する娘さんたちの玩具に過ぎないと言ってみたい気もするが、どっこいいざジェイン・オースティンを翻訳だとしても読み始めると、これが面白くて止まらないのだ。
たしかに18世紀末のイギリスの時代背景がある。
その頃は、女性に自由な恋愛感情が仮に芽生えたとしても、家族という与件を無視して世帯を持つなどということは、ある種の階層にとっては非常識なものであった。
言って見れば「家」を離れての個人間の自由恋愛というものが成立しがたい、最後の時代であったといってもいい。



近代というものは良かれ悪しかれ、大衆社会を招き寄せ、階級社会というものを解体させることになる。
そのことに、ハンプシャーで牧師館を営みながら8人の子供を育てるオースティン一家が、自覚的であったかどうかはわからない。
けれども、「貧しさ」にプライドを危うくされながらも娘の「納得」を一番に考えようとする父親も、口うるさくも家族というものの受け皿としての幅をどこかで信じている母親も、結局独身で生涯を終えたオースティンや姉のカサンドラを不承不承も受容していくだけの度量を持っている様に見える。
その無意識は、近代という時代がもたらした無意識のように思える。
ジェイン・オースティンは別にラディカルな女性意識を持っているわけでもなく、現実の世界をその作品にアクチュアルに組み込んでいくような社会性を持っているわけではない。
ある意味では、保守であり、臆病であり、閉ざされた関係意識から積極的に抜け出ようとはしない。
自意識としては結局周辺の世界を「馬鹿にしている」ようなところがあるといわれても仕方がないところもあるのかもしれない。



しかしこの時代に「ペン」によって(たとえそれが匿名による発表を余儀なくされたとしても)自立していくということは、とんでもなく勇気と才能が必要であったということは僕などにもわかる。
彼女の長編はたったの六編しかない。
この映画の時間の流れから言えば、1795年、お互いに二十歳のジェイン・オースティンとアイルランド生まれのトム・ルプロイが出会い、翌年にはトムの厳格な法律家の叔父を彼女は訪れている。
そしてたぶん生涯に一度の彼女の恋愛が実らずに終わってから、二十代半ばで「高慢と偏見」「分別と多感」「ノーサンガー僧院」の代表作三作が相次いで発表されている。
そしてその後十年にわたる沈黙を経て、「エマ」「マンスフィールド・パーク」「説得」が執筆されることになる。



結局、興味深いのは、それ以降現代まで、多くの女流作家が輩出しているにもかかわらず、「古典」とされるジェイン・オースティンが相変わらず幅広い読者層を有し、次々と若い文学少女をも虜にするのは何故か?ということなのだ。
それを「ハーレークィーンロマンス」に通じるような、通俗性であると言ってしまえば簡単なのだが、そうと言うには抵抗がある。
「ハーレークインロマンス」は類型的で消耗品といってもいいお手軽物語としての安心感、止められないお菓子のような軽い麻薬性みたいなものがあるのだが、オースティン文学はひとつひとつの作品世界に深くどっぷりと浸ることが出来る。
皮肉な観察眼と現代的な機知とにもかかわらず底流に流れるロマン主義への憧憬と、そのあたりの調和が見事なのだ。



つまりは文学というものになにほどかの慰藉を感じる鋭敏な女性たちにとって、結局のところこの200年余りの目まぐるしい価値意識の変遷などより、もっと根強い「恋愛」物語の構造が強固に存在していて、そのことをよく現わしているのがオースティン文学であるような気がする。
それはどれほど現代的な情報化社会のなかで複雑な未来社会が描かれつつあったとしても、相変わらず子供たちが夢中になる物語が「指輪物語」の説話構造をそれほど逸脱することはないということと似ているのかもしれない。
このあたりをアメリカ特有の「読書会」ということで、ジェイン・オースティンの作品が取り上げられ、その作品のひとつひとつとサークルのメンバーの嗜好性・性癖が二重写しになる『ジェイン・オースティンの読書会』という作品もなかなか現代にも通じるオースティン作品の不思議な魅力をコメディ仕上げにしていて興味深かった。



2003年に発表されたジョン・スペンスのオースティンの伝記がそれまでのオースティン像を塗り替えることになった。この映画のエピソードの多くは、その伝記に触発されている。
あのオースティンに本当に人生を代えるような大恋愛事件があったのだ。
監督は『キンキーブーツ』(05年)のジュリアン・ジャロルド監督。才能ある監督だ。
オースティン役に、高校時代からオースティンファンであり、大学の論文も「オースティン文学」であり、今回の演技のために作品の再読はもとより多くのオースティンの評伝を片っ端から読んで役造りに生かしたというアン・ハサウェイ。
『ブロークバック・マウンテン』(05年)『プラダを着た悪魔』(06年)と来て、07年にこの作品、翌年には『パッセンジャーズ』『レイチェルの結婚』に主演しているが、油が乗っている感じがする。
相手役のトムにはジャームズ・マカヴォイ。オースティン同様女流作家として安定した人気を持つイアン・マキューアンの原作を基にした『つぐない』(07年)の演技が印象に残る。

kimion20002000の関連レヴュー

プライドと偏見
ジェイン・オースティンの読書会
つぐない
ブロークバック・マウンテン
パッセンジャーズ
レイチェルの結婚


 


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
彼女の作品の (sakurai)
2010-06-08 12:38:42
魅力は、やはりカタルシスではないかと思います。
凡百の恋愛物語と通じるところがあるにもかかわらず、恋愛成就の達成感は、どこか陶酔の域まで感じるものがありますわ。
その根源が彼女の悲恋にあったのかと思わせるこの作品は、秀逸でした。
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sakuraiさん (kimion20002000)
2010-06-08 14:44:18
こんにちは。
もう少し後の時代の作家さんはタイプライターを使いますよね。
彼女の時代はまだペン書きだったわけですね。
そのあたりもなんか面白かったなぁ。
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矛盾する印象 (オカピー)
2010-09-04 20:46:00
オースティンの小説が実体験を元に書かれたことが解るという意味では面白く、書かれた小説と同じような場面が続くという意味では面白さに限界があるような印象を覚えました。
対照的な幕切れは小説とは違いますけどね。

十代の時に「高慢と偏見」を読みましたが、子供故に面白さが解らなかったなあ。
今なら楽しめそうな気がします。
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オカピーさん (kimion20002000)
2010-09-05 21:43:11
こんにちは。
恋愛にかんして、現代的であることと古典的であることと、その差はいったいどういうものなのだろう、という興味が湧き起こってくるんです。
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