サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

魂の舞踏/大野一雄(舞踏家)/103歳

2010年06月02日 | 毎日がメメント・モリ

訃報 大野一雄さん103歳=国際的舞踏家


6月2日1時26分配信 毎日新聞




訃報
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大野一雄さんによる舞踏=京都市左京区の京都精華大で2002年、梅村直承撮影
 世界に「BUTOHブーム」を巻き起こし最晩年まで踊り続けた国際的な舞踏家の大野一雄(おおの・かずお)さんが1日午後4時38分、呼吸不全のため横浜市内の病院で死去した。103歳。葬儀の日取りなどは未定。

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 北海道出身。日本体育会体操学校(現日本体育大)在学中に舞踏家を志した。卒業後、横浜市の女子高に体操教師として勤める傍ら、モダンダンスを習い始めた。第二次大戦中は召集されて中国などを転戦。復員後の49年、舞踏家として初公演。以後も教員として働きながら、活動を続けた。

 60年代に土方巽さんと共に、白塗りの化粧にすり足というスタイルで、日本の大地に根差した前衛的な舞踏を作り上げた。土方さんが「暗黒舞踏」と称されたのに対し、大野さんは即興性を重視した「魂の舞踏」と呼ばれた。

 80年「ラ・アルヘンチーナ頌(しょう)」をフランスのナンシー国際演劇祭で舞い、絶賛を浴びた。以後、海外公演が相次ぎ、世界の「カズオ・オオノ」として名声を確立する。他の作品は「わたしのお母さん」「花」など。

 100歳を超えても舞台に立ち続け、最晩年はアルツハイマー症とも闘ったが、踊りへの意欲は衰えなかった。99年、イタリアのミケランジェロ・アントニオーニ芸術賞。息子の大野慶人さんも舞踏家。

大学の友人が、30年以上舞踏というかパフォーマンスをしている。
世界中を放浪し、国内でも世界パフォマンス祭のような催しを自己リスクでもう20年ほどやっている。毎年、数箇所で世界中からパフォーマーを数十人招致している。立派なものだ。
学生時代から土方さんにしても大野さんにしても伝説中の人物であった。
当然、友人は深い影響を受けている。
山海塾にしても大駱駝鑑にしても、僕たちの学生時代に基盤を築いている。
僕自身は、舞踏につきあったのは数回しかないから、とてもなにか言える資格もない。
昔、現代思想の編集者として信頼のあった三浦雅士が身体論からか舞踏の世界に入り込んで、興味深い仕事をしている。
彼の著作などを読みながら、身心論=表現論の奥の深さを感じたりもする。
友人はいまもなにかあればすっと海外に行き、「現場」で世界に拮抗している。
「おい、おまえ何歳までやるんだ?」と馬鹿なことを言ってしまった事が一度あり、それは恥じ入ったものだ。
大野一雄は百歳を越えてもなお、新作を発表し、舞台に立ち続けた。
そのことに何人の人間が生きる勇気を得たことだろう・・・合掌!


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