サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 10499「人の砂漠」★★★★★☆☆☆☆☆

2010年11月04日 | 座布団シネマ:は行

ノンフィクション作家・沢木耕太郎による同名ルポルタージュを、東京藝術大学映像研究科の学生が映画化した4編からなるオムニバス・ドラマ。町の人たちをだまし続けた70歳の女詐欺師やゴミ屋敷で亡くなった老女、家族に捨てられた元売春婦など、社会の片隅に生きる人々の生きざまを若い感性で描き出す。強烈な存在感を放つ実在したアウトローたちを、室井滋、小池栄子、石橋蓮司、夏木マリが迫真の演技を披露するほか、忍成修吾、MEGUMIら多彩な共演陣が脇を固める。[もっと詳しく]

沢木耕太郎と一瞬、僕も「交差」したときがあった。

沢木耕太郎は1947年生まれだから、僕より6歳ほど上になる。
全共闘世代のど真ん中であるといっていいが、そして僕より下の世代にとってみれば、1953年生まれの僕も一緒ぐらいに見えるのだろうが、僕は自意識過剰なぐらいに全共闘世代には<異和>を持ってきたところがある。
もちろん、共通の話題もあるし、尊敬している何人かもいるし、酒飲み友達もいる。
いまさら世代論を持ってきて、逆に自分の世代を細分化してのアイデンティファイをしても、仕方がないこともよくわかっているつもりだ。
全共闘世代が踏み荒らした場所で、僕たちの世代はそれに同調したりあがらったりしながら、冷静になれないままに、勝手に自分たちがしらけた空虚な場所に迷い込んできてしまったところもある。



そんななかで1973年のことであったが、僕は沢木耕太郎の『若き実力者たち』を手にした。
記憶が間違っているかもしれないが、そのルポルタージュは『エコノミスト』だったかのフィールド違いの雑誌に連載されていたもののような気がする。
まだ僕もアメリカの「ニュージャーナリズム」の潮流などにそれほど分け入ってなかった頃だ。
その文体は新しく、そこからはほとんど勝手にこしらえていたイメージかもしれないが、「全共闘世代」の匂いが不思議と希薄だった。



『敗れざる者たち』(76年)、『人の砂漠』(77年)を読み終えた頃、僕は大学時代からの先輩たちがつくったあるベンチャー企業に合流することになり、東京に出てくることになった。
そしてある企画を任され、気になっていた沢木耕太郎をインタヴューすることになった。
その後『テロルの決算』(79年)を上梓する前後のことだったと思うが、彼から一緒にやってみないか、というような誘いを受けた。
仕事も増え、「私ノンフィクション」とも呼ばれる彼の取材の方法論のなかで、時間の都合が難しくなり、データーマンのような人間が必要になったのかもしれない。



「君はインタヴュアーとしての素質がある」と言ったようなたぶんリップサービスだったのだろうが、「もしかしたら君であれば」と言ったような声をかけていただいた。
20代半ばの僕は、誰かの推薦で、ある放送局からもちょっと若者番組のレギュラー進行役として最終候補にもあがっていたが、結局どちらのプロポーザルも踏ん切りがつかなかった。
しばらくして、沢木耕太郎に会ったとき、「あの時はちょっと迷ったけど、結局ひとりでやるというスタイルを貫くことにした」と、笑いながら言ってくれた。
『一瞬の夏』(81年)を上梓して、しばらくして海外を彷徨する『深夜特急』の世界に向かっていった。



遠い昔のことだ。
沢木耕太郎が『人の砂漠』のノンフィクション8篇のための取材を続けていたのは70年代で、彼が20代後半であった。
そのなかから、「孤独死の老女」や「元売春婦のユートピア」や「鉄屑の仕切り人」や「70歳の天才詐欺師」をとりあげた四篇を選んで、2010年に東京芸大の映画専攻の20代の大学院生たちが映画化した。
黒沢清や北野武などが指南役となって、この東京芸大映画専攻の大学院は、開設6年目を迎えた。
この映像研究科の学生たちによる劇場映画作品としては伊坂幸太郎の人気小説を四編のオムニバスとした『ラッシュライフ』という作品があった。残念ながら、僕は結構厳しい評点をつけている(★ふたつ)。
また、卒業生になるが第一期生にあたる世代が組んで『東南角部屋二階の女』という作品が作られたが、こちらは結構、高い評点をつけた(★7つ)。
今回の作品は、と言えば、うーんと考え込んでしまう。



企画決定から半年をかけてさまざまな準備がなされ、それぞれの本編の撮影は各1週間、そして3ヶ月をポスプロに充て、上映開始を迎えた。
石橋蓮司、夏木マリ、室井滋、小池栄子など、癖がありそうな役者たちが、若き20代の映画人たちと一緒のときを過ごした。
資金面やロケハンや多くの協力者たちを巻き込んで、膨大な工程が費やされる。
映画の水準がどうのこうのということよりも、それはとても貴重なことだと思われる。
当たり前だが、邦画の制作環境が、そしてその育成システムが、とても厳しい環境であることは誰だって知っている。
だから、ともあれこの映画専攻の大学院にも、プロの「大人」たちが、何かの思いをもって(たぶん限りなく安価な報酬で)参加しているのだ。



市民社会から逸脱していってしまう者たちの、しかしどこかで「人の砂漠」なのだが、そこに生存を賭けたプライドのようなものを持っている人間たちを、20代の沢木耕太郎は追い続けた。
沢木耕太郎の有名なエピソードだが、横浜国立大学を出て富士銀行に就職が決まったが、初出社の日に信号待ちをしている時に、彼は「異和」を感じて、その日に退社届けを出すことになる。
そんなエピソードもどこか、彼らしくて好きだったし、僕もまともな就職活動などとは無縁であったのも、どこかで沢木耕太郎の影響があったのかもしれない。
そして僕も20代のときは、もしかしたらいくつかの可能性があったのかなかったのか、それでも多くの人に会い続けた。
そしてその頃からすでに時代は、30年以上が経過しているのだが、その沢木耕太郎の見てきた世界(たぶん僕も違う世界でそれらの人たちと交差していた)を、2010年の20代の映画青年たちが、自分たちなりに追体験をしようとしている。
そのことに、きっと意味はあるはずだ。

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ラッシュライフ
東南角部屋二階の女



 


 


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2 コメント

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TB有難うございます。 (MIEKO)
2010-11-06 16:15:31
この作品、DVD化されたのですね。

沢木目線への敬意、描かれていた時代と現代をリンクさせようとしたような試みは、伝わってきた、感触でした。沢木さん自身は、これをどう見たのだろうか、と思うのですけれど・・。
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MIEKOさん (kimion20002000)
2010-11-06 21:15:21
こんにちは。
もちろん、本人の承諾は得ていますけどね。
沢木さんの作品の映画化ははじめてかしら。
いろいろ肖像権とかかかわるので、映画化するのは難しいようなんですね。
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