喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

東洋のマチュピチュ

2011-05-27 | ブログ


 ここが最近有名な観光地となっている「別子銅山の東平地区」
ポスターのネーミングにひかれました。

 「1万人が暮らした天空の村」

 銅を掘り出す最盛期には、この奥深い山に1万人が暮らしていたというのです。
 閉山されてからは人がいなくなり、木が生い茂っていて、
今や当時をしのぶことはできません。

 松尾芭蕉が書いた「奥の細道」での終点の句を思い出します。

 「夏草や兵どもが夢の跡」

 その天空の村に今再び光があたっています。
わからないものですね。
地域の魅力って。      

                     岬人(はなんちゅう)
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2 コメント

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Unknown (おぎ)
2011-05-28 03:25:23
この前行ってきました
雨と霧で景色はあまり見えませんでしたが途中の狭い道で対向車来たらどうしょうかと思いながら行きましたが…高い山奥に1万人が暮らし娯楽施設や学校などあったのが驚きです。今は静かな山奥になってますが…当時の建物とか残ってるのがすばらしいですよね。

マイントピア別子にも色々とありましたよ。いよかんソフトもおいしかったです



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野村の山奥 (岬人)
2011-05-28 15:26:52
 おぎさん、野村の山奥も深いですが、
あそこに1万人の暮らしがあったと思うと
驚きですね。

 世界のゴールドラッシュ、日本の炭鉱などではよくあった様子です。

 でも農業を生活の糧とするところでは、
こんなことはおこりません。
 大地にしっかりと根をはった生活がそこにはあります。
 野村町渓筋も伊方町平礒も同じです。
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