喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

昭和42年・52年豪雪と父母の苦労

2021-01-10 | 自然環境

 1月9日午後、時折太陽が顔をのぞかせるものの、雪は降り止まず。

 両親から昭和42年や昭和52年の豪雪の話を聞いた。

父曰く、「自然相手でどうしようもないことはあるが、何とかなることもある。」。

最悪の事態で最善を尽くす、ということ。

 

 どういうことかというと、大雪が降り続き、それでも何とかしたいという思いで、甘夏の収穫に出かけたということ。

膝にとどきそうな積雪の中、二人でみかん畑に入って行った。

下枝の甘夏だけでも収穫し、摘み取ったものは、そのまま雪の中に置いたらしい。

収穫袋やコンテナは、なかなか使えず、雪の中に置いたほうが寒さをしのげると考えたようだ。

やがて雪が溶け、拾って回った。

 

 両親の何とかしたいという思いと、雪が降る中での収穫を想像したとき、改めて尊敬と感謝の念がわきおこる。

こんな話を聞けてよかった。

子どもたちに語り継いでいきたい。

家やふるさとは、このような物語があって引き継がれてきたのだから。

 

   

       岬人(はなんちゅう)


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