喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

令和3年豪雪④ ~1月9日 42豪雪の話~

2021-01-10 | 自然環境

 大雪の様子を写真に撮っていた。

深く積もった雪の中、杖を付きながら歩くあばちゃん(77歳)がいた。

後ろ姿からヨシエおばちゃんと分かり、声をかけると、こちらを振り返った。

 私: すごい雪やなー

 おばちゃん: がいな雪やなー。 平礒へ嫁に来て、こんな雪、見たことないなー。みかんが心配やなー。

 私: 本当そうやな。 滑らんように気を付けてな。

 おばちゃん: はーい! ありがとう。

 

 ヨシエおばちゃんが言っていたみかんへの雪害。

母屋の両親から話を聞いてみた。

私: こんな大雪は今まであったかな。

父: こんな大雪は2度あった。

   昭和42年と10年後の昭和52年やった。全国的には昭和38年の「サンパチ豪雪」がすごかったけど、

   このへんは、それよりも昭和42年がすごかった。何日も雪が降り続いた。

私: みかんはどうなったん?

父: 全滅よ。あの頃は橙やったが、糖分が低いけん寒さに弱い。

   雪にやられて、苦くなり、商品にはならんなった。

   雪が溶けて、収穫し、全部、ヤマンダキに捨てた。その年は収入ゼロやった。

昭和42年。これは、私が生まれるちょうど1年前の大惨事。

 

 2回目の昭和53年のときはのことは、強烈な出来事として鮮明に覚えている。

同じようにトラックいっぱいに積んだ甘夏を、父母はヤマンダキから次々に捨てていた。

その1つを剥いて食べて、とても苦かったことをはっきりと覚えている。

 その時には、はっきり分からなかったことがある。

1年かけ汗を流し育てた甘夏を、涙ながらに捨てる両親の心境。

自然を相手にする農家にとって、自然はどうすることもできない。

それでも、生きるため、引き継ぐために、あきらめず工夫や努力をしながら立ち上がっていく。

 そんな話を聞きながら父母の顔を見ると、熱いものがこみ上げてくる。

尊敬と感謝。

語り継いでいきたい話だ。

                       岬人(はなんちゅう)

 


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