喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

もしも明日、世界が終わるなら、僕は最後の一日を、ふるさとの平礒で過ごしたい

2017-01-08 | ふるさと
 2年前のブログ。


 1月6日、いとこの広が次のような思いを、ふるさと平礒の風景写真12枚と一緒にブログにのせていた。
とてもグッとくるものがあった。



「実家」
 お正月、約二ヶ月ぶりに実家の平礒に帰った。
 人口50人に満たないこの村には、かつての天才たちが夢見た未来、2015年になっても、
スマホを持っている人が一割も居ない。

 そもそも未成年者を含めれば、携帯電話を持っている人の方が少ない、かもしれない。
流行に流されない、クールな村だ^ ^

 アインシュタインは、世界の”最後”を想像の中で見てベロを出したと言うが、
きっと、2015年の平礒をアインシュタインが見たら、ベロを引っ込めて息を呑むだろう(≧∇≦)

 もしも明日、世界が終わるなら、僕は最後の一日を、故郷、平礒で過ごしたい☆




このブログにコメントをして、次のようなやりとりがあった。
 
(私)「ヒロ、いいね。 この小径のある風景、よく撮れているな。」



(ヒロシ)「ありがとう!写真に撮ると、改めて石垣の多さに驚く!
また、今はもう居ない人たちが、写真の中にだけ浮かび上がってくる様な気がする。
ほぼろを背負って杖をつく、ふぅ婆ちゃんの姿が見えるなぁ^ ^

 

(私)「そう、平礒は、石垣の郷。 
ヒロには、見えるかい。
思い出の中に生きている人たちが。 
すごいことやね。 それが、生き続けるということかな。」



(ヒロシ)「確かに!生きている人の記憶の中で、みんな生きているんやろなぁ^ ^」



(私)「そうやね。 生きている。 みんな生きている。 
平磯での暮らしは、幸せな暮らしやね。」



 ふるさとを大切に思う気持ち、ふるさとをなつかしく思う気持ち。
そんな気持ちは、誰の中にもあるようだ。

               岬人(はなんちゅう)

まぶたを閉じれば、まぶたの裏側に浮かんでくる様々な佐田岬の景色

2017-01-08 | 佐田岬の風景
 2年前のブログ。
お世話になった上司を思い浮かべ、グッときた。



 私がかつてたいへんお世話になった上司がいる。
定年を迎えられ、年に1度の年賀状のやりとりだけになっていた。

 そんな昨年末、フェイスブックを始められたようで、友だちリクエストが届いた。
それからというものの、お互いの様子がよく分かるようになり、コメントまでいただいている。

 尊敬する上司からのコメントは、とてもうれしいもので、心に響く。
10日ほど前からシリーズで書いてきた「松集落のブログ」。

 これに対して、次のようなうれしいコメントがあった。



『半世紀前、父親が勤務したので、母と弟が松へ一緒に行きました。
夏休みに妹と行ってスズキ等の大物を沢山釣った覚えが鮮明に残っています!

 写真のような夕日と夜釣りでの鶴見岳のロープウェイの明かりを見たことも記憶されています。
最も印象的だったのは、冬場の北西の風と防波堤をはるかに越える大波でした…!!



 弟の後輩がサスケ兄弟で、亡父の仏壇に手を合わせに来てくれたことも、松との縁の深さを感じます!
長くなりましたが、この素晴らしい写真を仏壇の遺影に見せます!

 どうも有難うございました!!!』



 上司からのコメントを読んでいると、松集落の防波堤での景色が、
セピア色となって思い浮かぶ。

 松集落とこのようなご縁があったとは、初めて知った。

 まぶたを閉じれば、まぶたの裏側に浮かんでくるさまざまな景色。

いつまでも、いつまでも、大切なふるさと。

              岬人(はなんちゅう)

ふるさとを離れた友からの便り ~郷をみんなで護る~

2017-01-08 | ふるさと
 2年前のブログ。
一つひとつの言葉に彼女の想い出がぎっしりとつまっている。



 ふるさと佐田岬には、貴重なしきたり・習慣・行事等が残っている。
その年に亡くなった人を供養する初盆行事も、その1つ。

お盆の期間にそんな初盆行事が、浦々で行われる。
「モウナの人形回し」「おしょろ船」「モウリョウ」の3行事は、文化庁の選択無形民俗文化財に2010年春に選ばれた。
でも過疎高齢化で行事を担う人は減っている。
それでも地域の人たちは、手間をかけて静かに供養を行う。
 
 松集落に伝わる「モウナの人形回し」は、佐田岬半島の中でも特徴ある供養だ。
高さ約4メートルの竹の先に取り付けた人形が身につけているのは子どものいない女性の着物。
「モーナ、モーナ、モミドブ」の掛け声とともに男性たちが新仏の数だけ回す。



 私は、平礒のモウリョウに出なければならないので、松集落のモウナの人形回しを詳しくは知らない。
どなたかに、教えていただきたいものだ。


 昨日のブログに対して、「松集落」を離れた同級生から次のようなコメントが寄せられた。

『モウナのレアな画像をありがとう。
あー未だに、続けているんだね。
昔から流通のないどん詰まりの半島ならではだからこそ、残っているんだね。

 人形が生け贄のようでちょっと不気味だけど、お盆で先祖の霊が迎え火を目印にそれぞれのお宅に戻るでしょ。
当然、その年に亡くなった人も戻って来られる。
居心地いいだろうけど、この後、あの世へ帰ってよーっていう意味かな?
「モウナ」の語源は、「もう来るな」から来ているのかな?
今、思いついた(笑)
 今度お年寄りにインタビューしてみてください。



 田舎って業者さんいないから、みんなで助け合って冠婚葬祭するよね。
気持ちを1つにして物事をなしとげる。
それは今でも、どの社会でも感動を呼びますね。

 自由、合理化、個人主義、自己研鑽、個の尊重など、
それはそれでどれも大切な要素だけれど、スリムでかっこいいけど、それだけでは人生つまんないね。

 幼い頃、「男性は、なんで青年になったら、消防団に入るんやろー」
って思ってたけど、消防署があるわけじゃないから、村のみんなで消火しなきゃなんない。
常日頃、年上の人を団長に、火事がおこった時のために訓練していたんだね。

 お葬式も、おばあちゃんたちが集まってお料理を作ってたね。
お念仏なんかは、我流で誰かがやってたね。
自然に役割分担されてて、本当は尊いすてきなことですね。

 村中のみんなが誰かのために集まり、今回はモウナ。
誰もが真剣なまなざし、死者と交信している時間というか?
死を悲しみ、ご遺族をいたわり、なぐさめる?
そんな写真をありがとう。
見るだけで、まるで、そこにいるかのようなメッセージが伝わってきました。



 3年前に亡くなった父を思い出します。』


 人はみんな、ふるさとを抱いて生きている。
その人たちの思いを知ると、もっとふるさとを大切にしていきたいと思う。

 住んでいるところは違えども、ふるさとに対してそれぞれができることはある。
過疎のふるさとに住んでいる人だけではなく、離れた人みんなで盛り上げていかなければならない時代になっている。

 大切なふるさと。

 盛り上げよう、ふるさと。

                 岬人(はなんちゅう) 

ふるさとを離れた友からの便り ~寂れていくふるさと。自分の歴史がなくなっていくようです~

2017-01-08 | ふるさと
 2年前のブログ。
彼女の想いにグッとくる。



 ふるさとを離れた同級生に、
「離れてもふるさとを大切に思ってくれてありがとう。
そんな気持ちに感動しています。」
という返事をしたら、次のような返事が返ってきた。

『えー、こちらこそ感動してます。
守り続けてくれている人がいて~。本当にありがとう。

 二名津中学校まで閉校。
ふるさとの松地区は、ゴーストタウン。
漁に出ても釣れず、獲れずでしょ。
里へ行くにも獣道でしょ。
 
 年寄りが、みーんな順番にいなくなり、いつのまにか、子どもも減って。

 やっぱり寂しくなるよ。
自分の歴史がなくなるようでね。

 そんな中、まだ、田舎を守ってくれている人って貴重です。
ふと一人になって、辛いとき、悲しい時に、思い出すのはやっぱりふるさとよ。
苦しい時、思い出すのはふるさと松地区での生活だよ。
だから、都会でふんばれます。

 あっ、「Nのために」というドラマ見てる?
そこの三崎の生活を思い出してたわ。
だから、これからもよろしくお願いします。』


 彼女のふるさと松地区には、「もうな」という独特な初盆行事がある。
亡くなった人の人形送り。





 この貴重な伝統行事を絶やすことなく、受けついでいる人たち。
なくするのは、簡単。
でも復活させるのは、ものすごい力が必要だろう。

 先祖や伝統、歴史を大切にするふるさとの人たち。



 私もそんな一人でありたい。

        岬人(はなんちゅう)


ふるさとを離れた友からの便り ~夏の天の川、冬のオリオン座が見たい~

2017-01-08 | ふるさと
 2年前のブログ。
ふるさとを離れて暮らす人の想いにふれた。


 ふるさと「松地区」を離れた同級生の便りをこのブログに載せさせてもらった。
そして彼女に事後承諾の連絡をし、ブログを見てみてほしいと連絡した。

 すると彼女からまた次のようなすてきなメールが送られてきた。

『 懐かしすぎて涙が出てきたじゃん。
なんで松地区の写真を撮っているの。
詩人だね~。
一言一言がグッと心に染みるわ。
これからも、時々、松地区の景色見せてね。

 あっ、夏でいいから、天の川が見たい。
冬もオリオン座がハッキリ見える。
何せ、電柱も自動販売機もないからな~(笑)
明かりと言えばたまに通り過ぎていく車のライトのみ。(笑)

 夜空は最高、だからよろしくね。
流れ星の流れた瞬間もいいな~。(笑)
私、半円を描くようにゆっくり流れていく流れ星を見たことあるんよ。(笑)

「事後承諾」のお返しにリクエストしておきます(笑)
倍返しだ~~。

 平礒に行ったことないんよ。
坂が多いのね。
素敵な写真がいっぱいだね。
写真コンテストに応募したら~。

 本当に勤勉な民族、日本人の鏡で頭が下がります。
おばあちゃんたちの働きの礎に都会の生活が成り立っています。

 西宇和産みかん、最近は、こちらにもすごく出回っています。 

(追伸)
 今年は、実家がなくなりましたので、より恋しいのかもしれません。
どうもありがと~。』


 彼女からの夜空のリクエストには、私のカメラでは応えられないが、
できるだけ、ふるさとを感じることができる写真は、撮ってみたいと思う。

 あの頃、私も彼女も自転車通学で、彼女の松地区からは、
二名津中学校まで5㎞。
三崎高校までは、8㎞の上ったり下ったりの坂道。
 しかも冬場は、海岸沿いはものすごい強風で、
防波堤を越えた波しぶきが雨のように降ってくることもあった。
今思えば、そんな苦労さえなつかしい。

見舞崎の上に建つ松灯台。


見舞崎の下の奇岩。


松地区から平礒方面の長崎鼻を望む。


 ひとまず、こんな写真を載せておこう。

 でもすばらしい彼女の自然体験。
夜空の思い出を聞いていると、目の前に広がるようだ。
 
 田舎をふるさとにもっている人は、都会の夜空を見上げ、何を思うのだろうか。
彼女の思い出の中にしかない夜空を、毎日見ることができる私たち田舎者は、
実はとても、とても幸せなひとかけらを手にしている。

 さまざまな場面を「幸せと思うことが幸せ」だとも
思わせてもらった彼女の便りだった。

              岬人(はなんちゅう)

ふるさとを離れた友からの便り

2017-01-08 | ふるさと
 2年前のブログになる。
読み返して、グッときた。


二名津小学校から二名津中学校、三崎高校までいっしょだった同級生がいる。
彼女は、今、結婚して神奈川県に住んでいる。

 同窓会の案内などで連絡をたまにとることがある。
先日も正月同窓会の案内と私が書いているふるさとブログを紹介したところ、次のようなメールが返ってきた。

「ブログ、愛あふれるものでした。
思考が大人!(笑)
いつの間に大人になったの~(笑)

 サスケ、隣の人だよ。
私の弟は、こっちでコンサートにも行っている。
 タカさんが亡くなって寂しくなったね。
でもこうして三崎でもコンサートをやってたなんて、知らなかったわ~。
 サスケの曲も三崎を歌ったやつ多いよね。
段々だ~ん畑~。

 三崎の景色最高。
何ともいえない潮の香り。
真っ青な大空と海にミカン畑。

 ブログの一言一言に癒されます。

 じゃあまた時々読ませていただきます。
ありがと~。」


 まさに同級生らしいメッセージ。
とても明るくて、感性豊かな彼女。

 今は、子育てが忙しく同窓会には参加できていないが、落ち着いたらぜひ参加したいと言っている。

 彼女が子どもの頃に暮らした松地区の実家は、今はもうない。
一昨年の秋、お母さんはふるさとを出て、都会に住む彼女の妹たちと一緒に暮らし始めた。

 彼女が、これほどまでにふるさとをなつかしく思い、心を寄せているのがよくわかる。
みんなふるさとを抱いて生きている。

 だからこそ、そんな彼女たちのためにも、ふるさとの様子をお知らせするこのブログは、
書きつづけていきたい。

 彼女のすばらしいふるさとの写真を撮っていたので紹介したい。
 
 松灯台。海の安全とふるさとの未来を照らす。


 漁船。


 湾と船蔵。


 たくさんの釣り人でにぎわう。 夕日は九州大分県へ沈んでいく。


 秋の夕暮れのうろこ雲。


 旧松小学校跡に立っている二宮尊徳(二宮金次郎)の像。


 住む人がいなくなった家も多く見られる。 


 土地に根を下ろし、住む人の家から煙があがる。


 佐田岬に柑橘を持ちこんだ宇都宮誠集のふるさと。


 初盆行事「もうな」が行われるお寺周辺の家々。


 すばらしいふるさと、松地区。

 先人から受けついだ、大切なふるさとを護る人たち。
ふるさとを離れた遠くからふるさとを応援する人たち。
 関わり方は違えども、その人だからできることがある。

 いつまでも、いつまでも、私たちと共に歩む。
いつまでも、いつまでも、大切なふるさと。

               岬人(はなんちゅう)