喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

ブータン王国の幸せについて考える

2012-01-26 | ブログ


 NEWS ポストセブンに興味深い記事があった。

 『幸せの国と呼ばれるブータン。
先代国王によるGNH宣言(1972年)に端を発する。
GNH=Gross National Happiness国民総幸福量を国是として、
GNP(国民総生産)による物質的な豊かさよりも幸福感を追求しているのだ。

 2009年からこの地を訪れ取材を続ける写真家の関口照生氏も、
「“本当の幸せとは何か”を思い起こさせてくれる国だ。」
と語る。

「青空や空気など自然の恵みに感謝し、チベット仏教の教えを大切にし、共に生活できる家族や家畜に感謝する。
そこに自分が存在するということで十分。
彼らはおそらく幸せの概念を意識していない。
心と身体でありのままに感じるものが“幸せ”の原点なのでしょう。」

 7年前の調査では、ブータン国民の97%が「幸せ」を感じると答えている。
JICA関係者として同国に計5年間暮らし、GNH研究所の代表幹事を務める平山修一氏がその背景を解説する。

「衣食住や教育など、国民が生活するための環境整備は国が行ないます。
外国人旅行者を含めて医療費は無償。
いい意味での平等感が前提にあるので幸せを感じやすく、幸せをみんなで分かち合おうと穏やかな気持ちにもなれる。
『ブータン』を維持しようとひとりひとりが考え、自然や伝統文化を守る気持ちが根付いているんです。」

 日本からタイやインドを経由して飛行機で約10時間。
かつての日本を思わせるのどかな風景が広がる国土。
仏教的倫理観を尊び、人々の絆を大切にするなど、精神的な共通点も多い。

 主食は同じく米で、日本米も生産されている。
旅行者には秘境だが、農業開拓や建築物の修復などに日本人が多く関わり、実はつながりが深い国でもある。』

 これを考えると、私はずいぶんと幸せな暮らしをしている。
 佐田岬の空気。
海や大地でとれる自然の恵みに感謝し、
 神様や仏様への信仰を大切にし、
共に生活できる家族に感謝する。

 都会に比べると生活の不便さはあるが、
それとひきかえに幸せのもとがある。

 写真は、先日の休みに、家族みんなで甘夏の収穫作業をしたもの。
幸せのカタチがそこにあった。




若松さんのブログに感動 ~人はいつまでもふるさとを身につけている~

2012-01-26 | ふるさと
 私が、尊敬する双海町の若松進一さん。
そのブログを毎日の日課として早6年が過ぎます。
 先日、涙が出そうなブログがありましたので、ぜひ紹介します。



『人はいつまでもふるさとを身につけている

 これまで殆んど交流のなかった同級生の友人から、還暦の同級会を境に時々お便りが届くようになりました。
その同級生は中学校を出るとすぐに集団就職列車に乗って兵庫県へ就職をしたのです。
私は漁師の長男でありながら運よく水産高校へ進学することができましたが、彼は家が貧しく長男であっても家に残らず、就職の道を選んだのです。
 16歳から都会に出てどういう働きをしていたかは、時々狸が石を投げるように開いた同窓会にも案内するも帰郷せず、音信は途絶えたかに見えましたが、私が発起人代表となって出した還暦の同級会案内を見た同級生は、何を思ったのか返信用ハガキを同封して私に手紙をくれたのです。

 要点は、「先日あなたが出演したラジオ深夜便心の時代を聞いた。
あなたの出演した列島12000㌔の旅というテレビ番組を見た。
懐かしく少年のころのことを思い出した。
あなたに見送ってもらって集団就職列車に乗ったが、いつの間にか60歳の定年となった。
いつでも帰れると思っていたふるさとの親父やおふくろも死に、私の帰る場所はない。
歳をとるとよくふるさとの夢を見る。
私の心からふるさとの思い出が離れない」というものでした。

 「同窓会に出席するため帰るが、ラジオとテレビで吹いていたハーモニカを吹いてくれないか」
と付け加えた手紙どおり、同級生は帰って来ました。
そして彼のリクエストに応えて「ああ上野駅」や「ふるさと」「北国の春」をメドレーで吹いてやりました。
彼は目にいっぱい涙をためて泣いていました。
そして私に「生まれたこの町で暮らし、生まれたこの町で死ねるお前が羨ましい」
と言って帰って行きました。

 それ以来望郷の念に駆られるのか時々私のところへ手紙をよこし、私も受け取る度に一日に三枚のハガキの一枚を書いているのです。
人間は弱いものです。
特に歳をとると無性にふるさとが恋しくなったり、亡き父母の思い出が蘇ってくるのです。

 私は彼が言うように幸いにして自分の生まれた町で育ち、自分の生まれた町で暮らしています。
そして多分自分の生まれた町で死んで行くことでしょう。
何げないことですが、この何げないことさえ私たちは気付かずに暮らしているのです。
私にこの何げない幸せの意味を教えてくれた彼に感謝しなければならないようです。


 「人はいつまでもふるさとを身に付けている」
とは、フランスの詩人ラ・フョンテーヌの言葉ですが、けだし名言です。
意に反して生まれた所を離れ他所で住まざるを得なくなった人にとっては、望郷の念に駆られるもののようです。
私の同級生のためにも住んでいる地域を、しっかりと守って行かねばならないとしみじみ思うのです。

 二日前その友人にふるさとの味と香りがするであろうみかんを送ってやりました。
現代の宅配便は余程のことがない限り京阪神地方だと明くる日には配達されるようで、昨日の夜外出先から帰ると早速同級生からお礼の電話が入りました。
 お彼岸頃には両親のお墓参りに帰るそうですが、その時は必ず立ち寄るからと弾んだ声で喋っていました。
 阪神淡路大震災の時は心配したものの、運よく自宅も倒壊せず生き延びているし、退職後も息子さんにとってはふるさととなるであろう土地で、元気にボランティア活動をしながら暮らしているようです。

 「ふるさとは遠くにありて思うもの」かも知れません。二ヵ月後の再会が楽しみです。

 ♭うさぎ追いしかの山 こぶな釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたきふるさと♯・・・・。傍にあるハーモニカを静かに吹いてみました。』


 私は、ふるさとを自分の思いで、大切にしていましたが、
このようにふるさとから出て行った人の思いでみたことは、あまりありませんでした。

 「ふるさとに錦を」
よりも「ふるさとが錦」
の気持ちに寄りそいたいものです。