
【神奈川・横須賀市】鎌倉光明寺の末寺で、大永三年(1523)に僧良通により創建された浄土宗のお寺。
墓地には浦賀奉行所与力であった中島三郎助と子供の恒太郎・英次郎のお墓があるが、この父子はともに戊申戦争時に函館で戦死。 なお、中島三郎助はペリー来航の際に最初に黒船使節団と折衝にあたった人物で、日本最初の洋式軍艦「鳳凰丸」を建造した。 また、俳人としても有名で俳号を「木鶏」という。
参道の入口を進むと右手に「南無阿弥陀仏」と彫られた念仏塔が、その先に三浦稲荷社の石造鳥居がまず目に入る。 念仏塔は浦賀の洗濯屋(遊郭)の主人から出家した江戸屋半五郎が建立。
境内に入って中島三郎助の墓石に向かう....既に数名の訪問者がいた。
浦賀港を一望できるこの高台に眠っている父子....当時の彼らの活躍に思いを巡らせた....合掌。

寺門前の石段


念仏塔 寺門から眺めた境内

小さな本堂で、屋根は寄棟造瓦葺


阿弥陀如来像....本堂の戸が開いていたので撮らせて頂いた....合掌!

本堂近景

向拝の梁の木鼻....小さいが趣がある

浦賀奉行所与力「中島三郎助」の墓と参拝する訪問者



かなり古そうな石仏

六地蔵尊
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