
【神奈川・藤沢市】江戸初期の天正十九年(1591)、徳川家康から三十石の朱印地を賜った。 江戸末期の安政二年(1855)、再び火災に遭って七堂伽藍が灰燼に帰したが、水戸光圀の寄進と伝わる総門(現山門)だけが焼失を逃れた。
昭和五十一年(1976)から伽藍復興に着手され、二十年余を経て平成十年(1998)に室町時代の様式にて伽藍を復興、現在に至る。
切石敷の参道を進んで中雀門に....左右に白壁の築地塀のような回廊を設けた中雀門を通して本堂が見える。 中雀門の真ん中に常香炉が置かれ、香炉に乗っている鞠を踏む唐獅子と、左右の取っ手部に取り付けられた阿形吽形の龍が参拝者を迎えてくれる。 ここで参拝後、中雀門から砂利が敷かれ回向柱が立つ桝形の境内を眺めると、正面に中央間に桟唐戸、両脇間に腰高格子戸と格子窓を配した白壁のシンプルな本堂が建ち、本堂の右端に唐破風の玄関を設けている。
右手には回廊と繋がっている白壁の僧堂が建ち、中央間に菱狭間を入れた桟唐戸、両脇間に花頭窓を設けている。 本堂の左手にも御堂が建つが堂名は....。 白壁に変形の花頭窓が5つ連続して設けられているが、上部の花頭曲線の形が特異で面白い。
中雀門から狛犬まで戻り、庫裡に向かう。 途中、飛貫を8本の支柱で支えた重厚な屋根の鐘楼が建ち、何故か書院の縁先に置かれる蹲踞手水鉢があり、その傍に小さな石燈籠がひっそりと佇んでいる。 築地塀を利用した覆屋に六地蔵尊像が鎮座....そこから大きな庫裡などの建物が並んで建っている。
茅葺の山門の前が広い駐車場になっていて、左手の奥にかわいい六地蔵尊像、右手の大きな台座の上に開蓮と未開蓮を持つ聖観音菩薩像が鎮座....参詣者の帰路の安全を祈りながら見送ってくれているようだ。

△切妻造銅板葺の中雀門....両側に連なる白壁の築地塀(筋塀?)のように見える回廊

△軒廻り二軒繁垂木の中雀門.....「湘中早雲禅寺」の扁額が掲げられ、中央に小さな常香炉が置かれている


△中雀門前の庭隅に佇む石造宝塔/上下の軸部に輪郭を巻き、下の軸部に「南無大師釈迦牟尼佛」、上の軸部に「卍」の刻

△中雀門に置かれた常香炉越しに眺めた本堂....常香炉が置かれた本堂側に花狭間を入れた桟唐戸を設けている

△本堂前の砂利敷に回向柱が立ち、上部に「妙観察智」の表記....常香炉に設けた像がシルエットのように見える


△常香炉の胴部に「三つ鱗」の紋を入れ、鞠を踏む唐獅子を乗せ、左右の取っ手部に阿形吽形の2体の龍を取り付けている/中雀門の右側の廻廊....回廊は僧堂に繋がる

△入母屋造本瓦葺の本堂....内陣に一仏両祖(釈迦牟尼仏、道元禅師、蛍山禅師)を祀る

△軒廻りは二軒繁垂木で、組物は大斗肘木....正面九間で五間のみに切目縁、左右脇間は二間に腰高格子戸、一軒に格子窓で全てに連子欄間がある


△中央間は連子を入れた桟唐戸、上には中央に宝珠を配した波連子欄間/本堂右手にある獅子口を乗せた唐破風の大玄関....板唐戸で、側面に花頭窓

△右側回廊から眺めた僧堂、左側に唐破風の大玄関がみえる

△本堂に向かっての右手に建つ入母屋造桟瓦葺の僧堂(座禅堂)....寺号の早雲禅寺から扁額の書は「雲堂」の書(と思う)


△僧堂の軒廻りは一軒繁垂木、組物は大斗肘木....正面五間で、中央間は菱狭間を入れた桟唐戸、両脇間の白壁に各2つの花頭窓

△本堂に向かって左手に建つ変形の寄棟造桟瓦葺で一軒疎垂木のお堂....白壁に上部が花頭曲線の5つの花頭窓が連なる

△中雀門の前、淨聖殿の対面に建つ入母屋造銅板葺の寺務所


△社務所の軒廻りは一軒繁垂木、組物は舟肘木....窓枠上部が波打った形の窓(花頭窓の変形?)が6つ連なる/寺務所の玄関傍に佇む異形の石燈籠(と思う)

△基壇上に建つ入母屋造本瓦葺の鐘楼....軒下は二軒繁垂木で、頭貫上に出組の詰組を配す



△重厚な屋根に対して柱が細いためか飛貫を8本の支柱が支えられている/梵鐘/鐘楼傍にある蹲踞手水鉢(と思う)と小さな石燈籠

△切妻造本瓦葺と入母屋造本瓦葺で裳腰付きの建物が並ぶ庫裏....築地塀を利用した覆屋に六地蔵尊像が鎮座


△庫裏の左奥の建物は鶴夢楼/大棟に鬼瓦、拝に蕪懸魚、妻飾は虹梁蟇股で蟇股の脚間に「三つ鱗」の門....身舎の妻に桟瓦葺屋根の入口

△寄棟造桟瓦葺の早雲閣


△山門左手の駐車場脇に鎮座する六地蔵尊像(「温顔和楽」の石柱が立つ)と円光を背負う観音菩薩像/山門右手の大きな台座に鎮座する聖観音菩薩像....右手に開蓮と未開蓮を刺した水瓶(と思う)を持つ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます