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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

雑司ケ谷鬼子母神堂-(1) (東京)

2017年02月07日 | 寺社巡り-東京

【東京・豊島区】雑司ケ谷鬼子母神堂は、安土桃山時代の天正六年(1578)に法明時の御堂として建立された。 室町時代の永禄四年(1561)、雑司ケ谷清土の農民が、闇夜に輝く泉の傍で鬼子母神像を見つけ、日蓮宗宝明寺に飛地境内に御堂を建てて祀ったのが始まりと伝える。
鬼子母神堂の建築様式は、寺院のそれというより神社建築の権現造りで、拝殿・幣殿(相の間)・本殿という3つの建物からなる。 本殿は区内最古の建造物で、江戸時代初期の寛文四年(1664)、加賀藩主前田利常の息女で安芸藩主浅野家に嫁いだ自証院の寄進で再建された。 宗派は日蓮宗、本尊は鬼子母神像。

欅の巨木が聳える石畳の鬼子母神大門欅並木を抜けると、緑の巨木に包まれた雑司が谷の鬼子母神堂が現れる。 境内は都心とは思えないほど閑静で、緑の木々の奥に入母屋造りで千鳥破風と唐破風の重厚な本堂が建っている。 入口に鎮座する仁王像に迎えられ、石燈籠に導かれるように参道を進んで本堂へ。
歴史を感じさせる本堂は、擬宝珠高欄のある切目縁を回らせ、前一間が吹き放しになっている造りだ。 向拝の虹梁の龍や唐獅子や麒麟の精緻な装飾彫刻が素晴らしい。 千鳥破風を見上げると歯を食いしばって二重虹梁を支える邪鬼像が....。 本堂は神社様式の権現造りになっていて、入母屋造りの拝殿・幣殿(相の間)・流造りの本殿で構成されている。
本堂の扁額や提灯に書かれた「鬼子母神」の「鬼」の字には点(田の上の)がないが、他人の赤子を取って食らう夜叉姫だった鬼子母神が神となったため「ツノ」がとれたのだという。
 
鬼子母神大門欅並木..並木の中に樹齢400年のものが4本あり/石畳の欅並木を抜けると雑司が谷の鬼子母神堂が現れる

正面から眺めた境内..仁王像が鎮座、その前に「百度石」、左手に鮮やかな朱塗りの鳥居が立つ
 
逞しい姿の阿形吽形の石造仁王像が参詣者を迎えている

参道に立つ江戸時代前期造立の石燈籠が参詣者を本堂に導く
 
境内参道に立つ享保四年(1719)と元文三年(1738)造立の2基の石燈籠
 
境内参道に立つ元禄六年(1691)造立(手前)と宝暦六年(1756)造立(奥)の石燈籠/宝暦六年(1756)造立の石燈籠

入母屋造銅板葺の本堂(重文)..向拝屋根に鬼板と鳥衾を乗せた唐破風と千鳥破風がある

本堂は神社様式の造りで本殿・幣殿・拝殿で構成の権現造り..拝殿は元禄十三年(1700)の建立
  
本堂前に鎮座する阿形吽形の獅子の狛犬/釜の上に水桶が乗った奉納品は防火祈願だろう
 
手水鉢越しに眺めた本堂向拝..手水鉢は元禄八年(1695)造立

本尊「鬼子母神」の扁額が掲げられた向拝..お寺か神社か迷うような光景だ
 
子授け・安産・子育ての神「鬼子母神」の提灯が下がり不思議な感じだが、ここでの「神」は古代インドの神が仏教に取り込まれて仏法の守護神となったもの

本堂向拝の虹梁の龍・唐獅子・麒麟の精緻な彫刻が素晴らしい!

拝殿に擬宝珠高欄の縁を回らし、拝殿前一間は吹き放しの造り
 
昇高欄・海老虹梁に歴史を感じ、千鳥破風の素晴らしい懸魚と二重虹梁を支える邪鬼がユニークだ!

本堂全景..左から拝殿・幣殿・本殿..幣殿は元禄十三年(1700)の建立

本堂の後方部の本殿は寛文四年(1664)建立..流造りで変型の権現造り

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