
【東京・台東区】慶応四年(1868)、江戸城無血開城を不満とした彰義隊が上野寛永寺に立て籠もって抵抗した上野戦争で、寛永寺の堂宇は戦火で殆んど焼失したが、上野東照宮は奇跡的に焼け残った。 上野東照宮は神仏習合により明治以前は東叡山寛永寺の一部だったが、明治元年の神仏分離令で神社として独立した。
大正十二年(1923)の関東大震災や、昭和十六年~昭和二十年((1941~1945)の太平洋戦争での戦火を逃れた。 五重塔は上野東照宮の所属だったが、明治元年(1868)の神仏分離令発布で寛永寺に移管された。 昭和三十三年(1958)に東京都に譲渡され、現在は上野動物公園の敷地内にある。
●唐門前の参道の両側に計48基の銅燈籠が立ち並ぶ。 諸国の大名が東照大権現霊前に奉納したものだが、整然と立ち並ぶ銅燈籠はなんとなく神前に平伏す大名たちの姿に見えた。 少し先の参道脇の三つ葉葵紋を入れた台座に一対の狛犬が鎮座するが、阿形・吽形ではなく二体とも阿形の像で珍しく、京都清水寺の仁王門前の狛犬を思い出した。 両体阿形なのはお釈迦政の教えを大声を出して広めるためとか。
唐門右側の透塀の前に、幕が張られた工事用の柵が置かれていて残念なのだが、透塀と金色に輝く風雅な唐門そして千鳥破風を乗せた拝殿の美しく緑青が浮き出た銅瓦葺の屋根が重なった光景は神々しく威厳に満ちている。 唐門の扉は上に唐草格子(花狭間)を入れた桟唐戸で、両側に左甚五郎作の「昇り龍と降り龍」の彫刻が配されている。
また、混成複合式の唐破風の妻飾りは、極彩色の松竹梅と金鶏鳥などの彫刻を配した彫刻充填式で見事だ。 唐門左右の透塀の前に6基の銅燈籠が佇むが、徳川御三家(紀伊・水戸・尾張)から寄進されたもので国宝だそうだ。

△手水舎前の参道から眺めた社殿....唐門前の右手にもうひとつの手水舎が建つ

△手水舎の後方と対面側に計48基の銅燈籠が建ち並ぶ

△超巨大な鈴が下がる手水舎の後方の銅燈籠群

△銅燈篭は諸国の大名が寛永・慶安年間に東照大権現霊前に奉納したもの

△参道左右に鎮座する狛犬から眺めた上野東照宮の正面....唐門と重なる後方の建物は拝殿の屋根


△参道脇の三つ葉葵紋を入れた台座に鎮座するの獅子の狛犬....京都清水寺の仁王門前の狛犬と同じでいずれも阿形像

△唐門と左右に透塀、後方は千鳥破風を乗せた入母屋造銅瓦葺の拝殿....唐門、透塀、社殿はいずれも慶安四年(1651)に第三代将軍徳川家光により改築

△社殿を囲む透塀の間に建つ極彩色に装飾された唐門(重文)....慶安四年(1651)の建築で、正面前後に唐破風を設けた向唐門形式

△唐門は荘厳な唐破風造り四脚門で、両側に三つ葉葵紋を入れた桟唐戸の通用口がある


△唐破風大棟の鬼板、破風の飾金具に三つ葉葵紋を配し、兎毛通は蕪懸魚、頭貫の木鼻は正面を向いた阿吽形の獅子/扉は上に唐草格子(花狭間)を入れた桟唐戸、扉の上に亀甲花菱

△扉の左右に設けられた左甚五郎作の昇り龍と降り龍の彫刻

△妻飾は混成複合式で、虹梁のほか蟇股・大瓶束が混成している

△彫刻充填式ともいえ、三つ葉葵紋を配した虹梁の上の大瓶束の両側に松竹梅と金鶏鳥の彫刻を施す....室町・桃山の技術を集大成した傑作

△唐門の前両側に立ち並ぶ6基の銅燈籠(国宝)....6基の銅燈籠は紀伊・水戸・尾張の徳川御三家から各2基が寄進されたもの
●透塀の隙間から社殿を覗くが境内に人気が無く、また、社殿は非公開だと勘違いして引き返した。 参道から柵越しに上野動物園の敷地内にある五重塔の姿を拝観する。 木立に隠れるように聳える五重塔は江戸初期の建立で、古建築の美しさと風格、そして約400年の歴史の重みを感じさせるが、軒下の意匠や装飾彫刻などが良く見えず残念だった。
神門(手舎門)前から右に折れて「お化け燈籠」に向かう。 樹木を抜けたところの芝生に、燦燦と陽を浴びて立つ巨大な石燈籠がある。 奉納した譜代大名の名前がついた「佐久間燈籠」と呼ばれ、日本三大灯籠の一つにも数えられている高さ約6メートルの巨大さから「お化け燈籠」といわれるようになったようだ。 それにしてもデカイ!

△銅燈籠越しに眺めた拝殿向拝の唐破風と屋根に乗る千鳥破風....社殿境内は非公開と思って離れ、撮影を失念した

△上野東照宮の入母屋造銅瓦葺の拝殿(NETから拝借)....正面五間で中央間三間は桟唐戸、両脇間は蔀戸....社殿は拝殿と本殿を幣殿(石の間)で繋ぐ権現造り構造

△社殿境内の拝殿越しに眺めた唐門(NETから拝借)

△参道北側の上野動物園の敷地内に聳える旧寛永寺五重塔(重文)....最上層のみ銅瓦葺で、初層~4層目は本瓦葺屋根


△寛永寺建立当時の総奉行・老中土井利勝が寛永八年(1631)、現在地に上野東照宮の一部として五重塔を創建寄進したもの/寛永十六年(1639)の火災で焼失したが、同年に再建された

△心柱が釣られた懸垂式と呼ばれる建築構造で、心柱を大日如来に見たて、それを中心にして初層四方に釈迦・薬師・阿弥陀・弥勒の各如来仏が祀られている


△塔高約36メートルで、全層が和風様式建築....この塔は江戸初期を代表する優れた建築の1つ....軒廻りは各層いずれも二軒繁垂木で、組物は三手目が尾垂木の三手先

△各層の軒下角隅部には4頭ずつ龍の彫刻が配されている

△上野東照宮の参道から眺めた五重塔の初層....こちらが正面で中央間に板唐戸、両脇間に連子窓

△初層の桁を受ける支持材の蟇股に十二支が装飾されている(見えないが....)

△寛永八年(1831)に譜代大名佐久間勝之が奉納した巨大な石燈籠「佐久間燈籠」...「お化け灯籠」と呼ばれ、日本三大灯籠の一つにも数えられている


△石燈籠は高さ6.06メートル、笠の周囲3.63メートルで、その巨大さから「お化け灯籠」という名が付いた
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