
【兵庫・加古川市】鎌倉時代と室町時代には聖徳太子信仰の高まりもあって鶴林寺は全盛期を迎え、30数ヵ坊以上の寺坊、寺領2万5千石を有し、聖徳太子以来の法華経講讃の寺院として繁栄した。 戦国時代に至って織田信長・豊臣秀吉らの弾圧をうけ、さらに、江戸時代には厳しい宗教政策のため衰微し、塔頭8ヵ坊、寺領117石にまで縮小した。
明治維新の神仏分離により、塔頭は宝生院、浄心院、真光院の3寺のみとなった。 貴重な文化財が多く残されていて「播磨の法隆寺」と呼ばれている。
■門前からも眺められた三重塔は室町時代創建で江戸期に修理が行われた遺構だが、昭和後期の放火で一部が損傷し復元修理したため、国の文化財に指定されていない。 とはいえ、二重と三重の軸部や組物、軒廻りの意匠は当時の様式をよく伝えているし、昭和の復元修理を全く感じさせない端正な姿で聳え建っている。
三重塔の左後方に白壁の経蔵が建ち、その左手に江戸中期造立の石鳥居がある。 鳥居から少し離れた木立の中、塀際の新西国三十三番の霊場に立ち並ぶ石仏に見守られるように行者堂がひっそりと鎮座しているが、訪れる人は少ないようだ。 行者堂は室町中期の建立で、前面春日造り・背面入母屋造りの珍しい建築で重文に指定されている。 どうみても社殿の造りだが....明治維新の神仏分離令の名残だろう。

△本瓦葺の三重塔....室町時代の創建だが江戸時代文政年間に大修理(初重をほぼ新材で補修)....昭和五十一年(1976)の放火で一部を焼損、昭和五十五年(1980)の解体・復元修理でよみがえった

△二重・三重の軸部および組物部、軒廻りは当時の姿をよく伝えている


△軒廻りは各重いずれも二軒繁垂木、各重の廻縁はいずれも切目縁だが二重・三重は組高欄付きなのに対し初重は高欄なし/二重・三重の廻縁の腰組は両重いずれも平三ツ斗

△初重の中央間は板扉、脇間は枠にはめ込んだ盲連子窓

△初重の組物は三手目が尾垂木の三手先、中備は蓑束、軒天井と軒支輪がある

△二重・三重の組物は三手目が尾垂木の三手先、中備はいずれも撥束、二重・三重に軒天井と支輪

△三重塔前から眺めた白壁の経蔵と行者堂の石鳥居....経蔵の唯一の窓が三重塔側(右側面)に設けている

△正面に庇を設け向拝のような造り入口....正面、左側面、背面には窓がない

△露盤宝珠を乗せた宝形造桟瓦葺の経蔵

△行者堂の石造り明神鳥居は元文四年(1739)の造立

△鳥居を通して眺めた行者堂....石仏が並ぶ塀際は新西国三十三番の霊場

△前面春日造・背面入母屋造で本瓦葺の行者堂(重文)....室町時代応永十三年(1406)の造立

△大棟端に鬼瓦、拝に猪ノ目懸魚、妻飾は虹梁大瓶束式....正面と側面に切目縁、側縁奥に板張りの脇障子

△一間四方で軒廻りは二軒繁垂木、軒支輪がある....正面は板扉と小脇羽目板、側面は横羽目板
■太子堂と対をなす位置に重文の常行堂が建つ。 太子堂と違って寄棟造瓦葺だが、正面三間は全て蔀戸で他面もほぼ同じようで簡素な造りで風格がある。 常行堂の左後方に新薬師堂、右後方に現代風建物の講堂が建つ。 新薬師堂は江戸期の建立だが、あまり見かけない意匠の建物だ。
拝観していて側面に珍しい”筬窓”を見つけた。 講堂後方の塀際に石碑(2基)、地蔵石仏(4基)、宝篋印塔そして無縫塔が並んでいる。 宝篋印塔は約680年前の南北朝時代の造立で、塔身には蓮華座に置いた月輪に金剛界四仏の種子が彫られている。
講堂から本堂の後方に....入山時に頂いたパンフには載っていない地蔵堂が建ち、赤い帽子と前垂れを付けた子安地藏尊坐像が大きな蓮華座に鎮座している。 境内の北側には3つの塔頭が、横一列に南面で建っている。

△三重塔脇から眺めた常光堂(その右は本堂と背丈の低い菩提樹)

△寄棟造本瓦葺で妻入の常光堂(重文)....平安時代(12世紀後半)の再建

△軒廻りは二軒繁垂木、組物は大斗肘木、中備なし....正面(桁行)三間は全て蔀戸

△側面(梁間)四面は板扉、二間の蔀戸、白壁

△常光堂の屋根はもとは太子堂と同じく桧皮葺だったが、室町時代永禄九年(1566)に瓦屋根に葺きかえられた

△常光堂では「常光三昧」という厳しい修行が行われたが、その遺構として日本最古のものらしい

△寄棟造本瓦葺の新薬師堂....江戸時代の建立とされ、本尊薬師如来像を祀る

△正面三間は中央間は両開きの格子戸、脇間は腰高格子窓

△軒廻りは一軒繁垂木、組物は舟肘木で中備は正面だけに板蟇股....側面は腰部が板張りで手前一間は珍しい筬窓、次の一間は舞良戸風の引き戸、残り三間は腰高の白壁、母屋柱は方柱で全て礎盤上に立つ

△新薬師堂に安置されている本尊の薬師三尊像(NETから拝借)

△寄棟造桟瓦葺の講堂....現代風の造りだが建立時期分からず

△軒廻りは疎垂木、組物は舟肘木で中備なし

△中央間は両開きの桟唐戸と桟唐戸風小脇羽目(と思う)、両脇間の三間は、真ん中一間に引き戸の窓、二間は白壁


△講堂後方に鎮座する2基の石碑、4基の地蔵石仏、宝篋印塔、無縫塔/宝篋印塔は南北朝時代の暦応(北朝)二年(1339)の造立....高さ167cm、2枚石板の基壇、格狭間を入れた基礎、塔身には蓮華座に置いた月輪に金剛界四仏の種子が彫られている

△塔頭の浄心院の前から眺めた堂塔群


△本堂後方に建つ宝形造本瓦葺の地蔵堂/蓮華座に鎮座する子安地藏尊坐像

△境内北側に南面で横一列に建ち並ぶ3つの塔頭の内、西側に鎮座する浄心院

△真ん中に鎮座する塔頭・宝生院

△東側に鎮座する塔頭・真光院