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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

宝福寺-(1) (総社)

2019年09月09日 | 寺社巡り-岡山

【岡山・総社市】創建年は不明だが、鎌倉時代、天台宗の僧・日輪により建立された。 鎌倉中期の貞永元年(1232)、備中国真壁郷(現在の総社市真壁)出身で当時の住持だった禅僧・鈍庵慧總が、この地に新しく伽藍を建てて臨済宗に改宗した。
鈍庵和尚は、病床に臥していた四条天皇(第87代)の病気平癒の祈祷を行い、天皇が平癒した後、天皇の勅願寺となって発展した。 興隆時には塔頭・学院55、山外の末寺300余を数える威容を誇った。
戦国時代、備中兵乱の戦禍に遭い、天正三年(1575)に三重塔などわずかな伽藍を残してことごとく灰煙に帰した。 その後荒廃したが、江戸時代に入り岡山藩、浅尾藩などの力添えと幕府などの援助を受けて再建され、現在みられる禅宗様式の七堂伽藍が整えられた本格的な禅寺となった。 宗旨は臨済宗(東福寺派)で、本尊は虚空蔵菩薩。

真ん中に切石が敷かれた参道を進むと左右に数体の地蔵尊石仏などが鎮座し、参詣者を迎えている。 参道の先に古びた小さな石造りの反橋があり、石橋を渡った直ぐ左手に、整然と並ぶ七福神の石像が楼門を向いて鎮座している。
石垣上の築地塀で囲まれた一段高い境内に楼門が建ち、門前の石段下に「寶福禅寺」の寺号標石と「不許葷酒入山門」と刻まれた戒壇石が立つ。
楼門をくぐって静寂な佇まいの境内に....正面にまるで巨大な門柱のように八の字に2本の杉の老木が聳え、その先に禅宗伽藍の主堂である仏殿が鎮座している。 脇間の白壁に大きな丸窓があり、全面に波連子欄間と床近くに連子窓を設けている。
開いている花狭間を入れた桟唐戸から仏殿内に....正面に「西六条下り藤」の紋を入れた幕が下がる禅宗様高欄を設けた内陣があり、幕の下から格子内に鎮座する本尊・虚空蔵菩薩坐像が少しだけ見えるが、格子の桟が邪魔していてお顔の拝観は叶わずだ....合掌。 一面平らな板張の鏡天井に、江戸中期に描かれた巨大な龍の天井画があり、龍が鋭い眼光で参詣者を見守っている。 外陣の床に雪舟が涙でネズミを描いたという伝説の絵画が置かれていて、画聖雪舟が修行したゆかりの寺であることを感じさせる。
仏殿から三重塔に向かう。 参道の右側に半跏趺坐で鎮座する丸彫の地蔵石仏、その右手に唐破風の入口を設けた白壁の経蔵が建つ。 経蔵前には合掌する地蔵尊像と聖観世音菩薩像が、燦燦と陽を浴びて鎮座している。

中央に切石を敷いた参道を通して眺めた奥の石段上に建つ楼門

道左脇に建つ宝形造本瓦葺の大日堂と左手に地蔵尊石仏
 
舟光背型地蔵石仏(造立年判読できず)....両手で持つ巨大な開蓮が頭上に/大日堂内に鎮座する3体の舟光背型石仏....左が大日如来像で右2体は地蔵尊像
  
参道の左右に佇む地蔵尊石仏群/赤い帽子を被る3体の大きな丸彫りの地蔵尊石仏
 
楼門を向いて鎮座する石造り七福神像....後方は弁天池に鎮座する弁天堂(と思う)/弁天池(神池?)の木立の中に鎮座する弁天堂の流造銅板葺の本殿と切妻造桟瓦葺の拝殿

楼門前の参道にある石造り反橋

反橋の傍で楼門を向いて鎮座する七福神石像

楼門前の十段の石段下の右手に昭和四十年(1965)造立の寺号標石、左手に「不許葷酒入山門」と刻まれた戒壇石が佇む

入母屋造桟瓦葺の楼門....明治期後半の建立

上層は正面三間側面二間で、周囲に擬宝珠高欄付き縁を巡らす

軒廻りは二軒繁垂木、組物は出組で中備なし、軒支輪を設けている....縁を支える腰組は出三斗、初層は格天井

楼門を通して眺めた仏殿

楼門から眺めた境内....仏殿前参道に2本の杉の老木が聳える

宝篋印塔と石灯籠を構えた仏殿は禅宗様建築で、典型的が禅宗様式の意匠が施されている

入母屋造本瓦葺の仏殿....享保二十年(1735)の再建で、本瓦葺の裳階付き

軒廻りは二軒扇垂木、組物は台輪上に出組で組物間に詰組、裳腰は二軒疎垂木で中備は蓑束、正面全間の内法貫の上に波形連子を入れた欄間....正面の扁額「祈祷」は後水尾天皇の御真筆
 
中央間の扉は花狭間を入れた両折両開の桟唐戸/両脇間(各二間)一間の白壁に黄檗建築に賞用されている大きな丸窓

「西六条下り藤」の紋を入れた幕が下がる禅宗様高欄を設けた内陣
 
格子内の蓮華座に鎮座する本尊虚空蔵菩薩坐像/仏殿の鏡天井に巨大な龍が描かれている....宝暦年間(1751~1764)の作

龍の天井画....江戸時代の望月派の画僧・鼇山の作で毎夜池に水を飲みに降りてくる龍を恐れた里人が目に釘を打って封じたという伝説から「水呑みの龍」と呼ばれる

仏殿内に雪舟と涙で描いたネズミの伝説の絵画が置かれている

小壁と丸窓の下に連子窓を設けている
 
仏殿正面の左右に佇む宝篋印塔と石燈籠....宝篋印塔は安永五年(1776)造立で隅飾突起が大きく反りかえ開き、大きな相輪を乗せている

露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の経蔵

白壁の造りで、入口の唐破風屋根に獅子像を配した鬼板、兎毛通は蕪懸魚、妻に本蟇股と卍を入れた板蟇股
 
文化二年(1805)造立の丸彫の地蔵尊石仏....半跏趺坐で左手の錫杖が消失/経蔵の側面に小さな花頭窓と連子窓を設けている

合掌する地蔵尊像は昭和十五年(1940)、聖観世音菩薩像は昭和十七年(1942)の造立
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