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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

長岳寺-(2) (天理)

2017年02月27日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・天理市】度重なる戦火で荒廃したが、慶長七年(1602)に徳川家康から寺領百石を与えられてから活気を取り戻した。 元禄七年(1694)、東山天皇女院の御願によって本堂が再建、安永年間(1772~1781)年間には40ヶ院の寺坊を擁したが、天明年間(1781~1788)には7ヶ院に。
明治初期の廃仏稀釈の災難を受け、明治六年(1873)には寺領が廃されて規模が縮小し、その後塔頭も廃されて本堂や鐘楼門を残すのみとなり現在に至る。

放生池の傍に堂々とした雰囲気の本堂が南面で建ち、堂前に1基の石燈籠とその近くに「練塔」と呼ばれる初層軸部に種子を刻んだ七重石塔が立つ。 風化が激しい七重石塔だが、異なる石塔の笠を積み上げたように感じるのは否めない。 開山堂への石段の左脇に、覆屋に鎮座する不動明王像と寄棟風の笠を載せた笠塔婆が佇む。 不動明王が背負う火焔光の一部に赤色が残っているが、造立当時の色なのだろうと想像しながら石段を上る。
石段上の境内には南面した弘法大師の扁額が掲げられた拝堂とその後方に弘法大師像を祀る開山堂が建ち、拝堂前には苔むした庭があり、鎌倉時代から江戸時代に造立された多くの石仏・石塔が点在している。 中でも山腹に佇む高さ2メートルの「大石棺佛」は古墳の石材を利用したものとのことで、特に興味を引かれた。
鐘楼側の放生池の辺から本堂と鐘楼門そして青い水面に映る逆さの本堂と鐘楼門とを眺めるのはまさに感動もので、古の人々はこの美しい景色から極楽浄土を想像しながら眺めていたのだろうな~と思った。

本堂境内から眺めた鐘楼門..左手に放生池、右手は南面する本堂

入母屋造本瓦葺の本堂..天明三年(1783)再建..隅棟の軒が大きく張り出している

本尊阿弥陀如来像の他、多聞天、増長天等の仏像や寺宝類を安置
 
本堂は正面一間を吹き放ちとした和様の建築様式..木鼻、蟇股、連子窓、蔀戸、長押などの特徴が見える
 
向拝の虹梁上の龍の彫り物や木鼻そして組物の間を蟇股の装飾意匠に特徴がある
 
本堂正面井立つ石燈籠..石の色から火袋と中台と竿は後付けか/初層軸部に種子を刻んだ七重石塔で「練塔」と呼ばれている..石塔の笠を積み上げた感が否めないが..

本堂境内に鎮座する覆屋の不動明王像と寄棟風の石笠を載せた笠塔婆

大師堂の前に建つ寄棟造桟瓦葺の拝堂..「弘法大師」の扁額が掲げられている
 
拝堂前に佇む均衡のとれた石燈籠/宝形造り屋根の香炉堂に置かれた趣きがある石造り常香炉

露盤宝珠を乗せた宝形造銅板葺の開山堂..正保二年(1645)建立で、弘法大師像と藤原時代作の不動明王像を祀る
 
開山堂の向拝の屋根は拝堂と繋がっている/開山堂の桟唐戸と窓は蔀戸

静寂に包まれた石塔が佇む開山堂の境内
  
開山堂境内の石塔と2基の石燈籠/昭和八年(1933)造立の石塔..塔身の月輪に四方仏の種子が刻/基礎部正面を宝珠形に彫り窪めた中に地蔵尊坐像が鎮座
 
開山堂前の苔生した境内..正面は開山堂拝殿、右は茶屋/拝殿前に立つ「百度石」..左の岩には彫り物の跡があるようにみえるので磨崖仏か?
 
山の中腹に鎮座する大石棺佛..鎌倉時代造立の半肉彫りの如来形の弥勒菩薩像/大石棺佛は古墳の石材を利用、法量は約2m
 
鎌倉時代造立の十三重石塔..西大寺中興の興正菩薩叡尊の供養塔と伝わる、初層軸部に文殊菩薩像が彫られている/境内全域にある小さな覆屋に四国八十八ヶ所寺院の本尊像が鎮座

鐘楼堂境内に佇む各輪に種子を刻んだ五輪塔を乗せた塔婆か?

鐘楼堂から木立越しに眺めた本堂と鐘楼門
 
切妻造本瓦葺の鐘楼堂             修行姿の大師像

鐘楼堂の境内に佇む石龕仏・石塔
 
元禄十二年(1699)造立の石燈籠と造立年不明で苔生した宝篋印塔..宝篋印塔は塔身を舟形に彫り窪めて薄肉彫りの四方仏を置く

鐘楼堂の境内に佇む石仏..寄棟風石笠を載せている

鐘楼側の放生池の辺から眺めた本堂と鐘楼門そして青い水面に映る逆さの本堂と鐘楼門
 
放生池越しに眺めた本堂..隅棟が大きく広がっている姿は優美端厳だ
コメント
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