
【逗子・沼間】縁起や創建、そして開山や開基などは一切不明だが、平安時代の平治元年(1159)の平治の乱で敗れた源義朝の嫡子悪源太義平(源頼朝の兄)の供養に建てられたとの伝承から、平安末期か鎌倉初期の創建と推定される。
光照寺は、同じ逗子にある延命寺の末寺で、明治初期の神仏分離令が発令されるまでは五霊神社の別当寺だった。
宗派は真言宗、本尊は鎌倉時代の作とみられる木造阿弥陀如来立像で、運慶風の逞しいお姿だという。
門柱前の参道両側に3体づつ向き合って佇む六地蔵が、出迎えてくれた。
門前から、朱色が鮮やかな宝形造瓦葺の本堂が見え、境内に入ると、本堂前右手に小さな観音像と地蔵像が立ち、「南無観世音菩薩」と「地蔵菩薩」の青い幟が目に入る。
本堂正面の両側には鮮やかな青色に塗られた連子窓があり、印象的だ。


門前に六地蔵が佇み、境内正面に朱が鮮やかな本堂が建つ

小さな宝珠を乗せた宝形造瓦葺の本堂


本堂前に癌封じの「浩月観音」(左)と「子育水子地蔵菩薩」(右)が立つ

鮮やかな朱色のシンプルな向拝..「光照寺」の扁額が掛る



門柱付近から古い石燈籠越しに眺める本堂 境内の片隅に立つ石燈籠

本堂正面両側の青色の連子窓が印象的