けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

美談よりも、命を守る技術の啓蒙が重要である!

2013-10-04 23:42:54 | 政治
今日は少々読者から怒られそうなことを書かせていただく。先日、踏み切りで倒れている70歳代の男性を助けようとして、正義感の強い40歳の女性が犠牲になる事故が起きた。特にテレビのニュースではこれを大々的に取り上げ、その美談をよりドラマチックに報道し続ける。これに違和感を感じる人は少なからずいると思うが、その違和感について少し書かせていただく。

まず、私はひねくれ者だから、物事を素直に受け止めることができないという背景があることは最初に断らねばならない。感動している人の横からチャチャを入れるのだから、不快に感じるかも知れない。その点には反論せずに謝るしかない。その様な立場である。なお、私が最も書きたいことは最後の方に書いてあるので、最初の書き出しはおまけである。その点も先に謝っておく。

では、私の感じた違和感を順番に書かせていただく。多分、本当のことを言ってしまうと遺族の方の心を踏みにじることになるのが目に見えているから書かないのだろうが、報道記事を見ていると腑に落ちないことがある。線路に倒れた老人は、線路に「首を乗せる」様に倒れていたという表現が多々見られるが、言うまでもなくその書き方は極めて不自然である。その老人が急に体調を崩しうずくまったのなら、偶然にその様な体勢になったことは考えられる。しかし、それが意図せずにその様な体勢になったのなら、新聞では「首を乗せる」という記述にはならなかったはずである。常識的な日本語能力と推察力のある方なら、多分、この様な状態となった背景に何があるかは予想がつくと思う。それが事実かどうかは裏など取れていないので私の出鱈目な推測かも知れない。しかし、新聞の記述の不自然さからすれば、常識的には線路に首を乗せて倒れていたのは偶然ではないと推察される。だとすれば、不幸にも亡くなられた女性は何のために命を投げ出さなければならなかったのか、悔やんでも悔やみきれないことになる。遺族はそれでは報われないし、更には生き残った方を責めることになるから、だから本当のことを書かないのだろうと予想はできる。しかし、意外にこの様なケースが今後、数多く出てくる可能性は否定できないから、その様な時に自分がどのような考えでどう行動するかは、事前にシミュレーションしておくことが必要だと思う。その重要性を、何処かのマスコミでちゃんと伝えて欲しいと切に願う。

人の命に「重い」「軽い」はないと言いながら、例えば無限の未来を持つ幼い子供の命と、100歳を越えた超高齢者の命を比較するなら、当然ながら若い人の命の方が重いというのは本音である。仮に船が遭難し、脱出用のイカダに乗船できる人数に限りがあるなら、まずは年齢の若い方から順番に脱出させ、残った人たちは次なる生存のための手段を皆で探すというのが筋だろうと思う。勿論、私も40代だが40過ぎたら同列に平等に扱うのは吝かではないし、正義とはなんぞやと言うのは難しいから、納得できずに抜け駆けしようとする人も多く出てくるかも知れない。その様な人を悪く言うつもりはないが、今回のケースでは、やはり自然の摂理である順番を大きく狂わせた事態にあり、若い正義感の強い人はそれなりの行動に走りがちだが、「おい、ちょっと待て!」という声がどこからか聞こえてきてもおかしくはない。亡くなられた方は素晴らしい行動をしたのだから賞賛されてしかるべきだが、あまり「よし、私もイザとなったら・・・」と考える人を増長するような報道も如何なものかと感じている。とは言え、この様な勇気ある方々がいなくなることは私も本意ではない。

最後になるが、私が最もここで言いたいことは、如何にすればこの様な犠牲者を出さずに済むか、その具体的情報を報道の中で何故語らないのか、その報道する側の在り方を追求したい。少なくとも、何処か1社ぐらいは気づいても良さそうなのに・・・。それは、この様な事態における対処の仕方のレクチャーである。もし私がこの場にいたら、タイミング次第では助けに入っていたかも知れない。しかし、その際には確実に最優先とする行動基準がある。それは、まずは自分の身の安全を確保することである。線路に人が倒れていた場合、如何にすれば自分の身を安全に保ちながら救助を行うことができるかを考えたはずである。生き残った男性は、線路と線路の間に体を移動され、電車の下の隙間に入って命が助かったという。亡くなった彼女は、多分、老人であることを考慮して、体に負担を与えないように上半身を両手で抱えるようにして救助に当たったのだと思う。しかし、それでは電車の進行方向に自らの体を置くことになるから、下手をすれば電車に引かれるリスクを犯すことになる。それにより老人に何らか障害(例えば骨折など)が生じるかも知れないが、最もリスクの少ない対処法は両足を持って線路横方向に引っ張ることではなかったのかと思う。引っ張りながら電車を目視することもしやすいから、自分の置かれた状況の危険度も把握できる。最後の最後には手を離して逃げることもできるし、仮に引かれても怪我の程度も小さくなることも期待できる。

話は逸れるが、私は緊急時の救急処置の講習会というのに過去2回ほど参加したことがある。例えば心肺停止状態の人がいた場合、AEDなどの緊急処置で命を救うことが可能である。その装置の使い方や、心臓マッサージ、人工呼吸などの方法をそこで学んだ。そこで指導されて驚いたのは、心臓マッサージの力のかけ方である。ろっ骨の真ん中のみぞおちの辺りを両手で押し込むのだが、相当、力をかけて押さなければならない。このため、体重をかけすぎてろっ骨など骨折してしまうリスクが高い。しかし、その講師の方は「どうぞ、思いっきりバキバキとろっ骨を折っちゃって下さい。骨折は後で幾らでも治療できます。しかし、心肺停止を放置したら、仮に死を回避できても酸欠による脳内の障害が残ったり、実際に死んでしまったりするのだから、骨折なんてそれに比べたら軽いものです。そこで遠慮は禁物です。バキバキ折る覚悟でやっちゃって下さい。」と笑いながら説明していた。多分、笑ってはいるが大真面目な話なのである。些細な障害などを恐れて遠慮して、そのせいで命を引き換えにしてはいけないのである。その教訓をせめてここでは啓蒙して欲しかった。この様な緊急避難的な状況で身を守る技術は、ある程度、この様なニュースに合わせて報道することで普及することはできるのだと思う。駅のホームから転落する人を助ける場合でも、ホーム下に避難できるスペースがあるか否かを確認してから飛び込めば、誤って自分の命を落とすリスクを減らすことができる。

人助けのために命を落とす方の美談を報じるのは良いが、命を落とさずに済ませるための技術の啓蒙活動はもっと有益な報道だと思われる。しかし、あまりその様な話は聞いたことがない。「考えた報道」というものをもう少し心がけてもらいたいと感じた次第である。

不快に感じた方がいたら申し訳ないとしか言いようがないが、同様に感じる方も多いのではないかと思っている。

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