けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

命を守るための発想の転換が必要である

2013-10-09 23:15:30 | 政治
「またか・・・」とため息が出るようなニュースである。ストーカー被害を警察に訴えた女子高生が、その日の晩に殺害された。何処か間違っている。その何処かについて、発想の転換を含めて提言してみたい。

昨日からこのニュースでもちきりだが、今日の会社からの帰りの車の中で聞いたラジオでもこの話題について触れていた。素人の我々からすると、ストーカー規制法が施行された状況の今であれば、警察に対してストーカー被害を訴えれば何とかなると思いがちだが、実際には被害者が後を絶たない。長崎でのストーカー殺人事件では、警察がたらい回しを繰り返し、迅速かつ適切な対応をしていないがために殺人に至ってしまった。今回の事件も、亡くなられた女生徒は学校にストーカー被害を相談し、それを受けて高校では4日の日に高校の最寄りの杉並署に相談したそうだが、管轄が違うということで三鷹署へ相談するように促していたという。これを受けて被害女性は両親と8日の朝に三鷹署を訪れて相談したが、三鷹署は犯人の携帯に3回電話して、犯人が電話に出ないために「三鷹署へ電話するように」との留守電メッセージを残してそのまま放置したという。直接連絡が取れればもう少し犯人に冷静になるような説得をすることもできたかも知れないし、逆に犯人が激情的な性格であればその傾向を電話での応対から把握できたかも知れない。結果として、警察は無責任にも最も火に油を注ぐ応対をしてあの様な惨劇に繋がってしまった。

全く何やってんだよ!と言いたくなるところだが、ラジオに出演していた解説者によれば、ストーカー規制法の施行が実際にはマイナスに働いている可能性があるとのことだった。ストーカー規制法の精神としては、「このまま行けば明らかに惨劇に繋がりかねないような状況においては、警察が何処まで踏み込んで良いかを規定している」のだが、実際には何処までしか踏み込めないかを規定したような状況になっているという。以前、現在の自衛隊の直面する問題として、どの様な時に何をして良いのかというポジティブリストが現在は規定されているが、事態は常に不測の状況の中で起こるのだから、通常であればポジティブリストでは対応しきれない事態が頻発しておかしくない。世界標準の軍隊の規制は、常に「ここまでやったらNG」という禁止行為を規定するネガティブリストで行われる。特措法を積み重ねて継ぎはぎだらけの自衛隊と、指揮官の裁量に任せられている他国の軍隊では、既にハンディキャップが設定されている様なものである。だから、緊急事態の中で瞬時に適切な行動が求められる人たちには、本来はブレーキに関する規定をするのではなく、速やかな行動をアシストする権限が法的に与えられてしかるべきである。細かいところでは議論は複雑だが、最近、色々と議論が多い機密保護法案についても同様で、言論・報道の自由は当然保護されてしかるべきだが、アメリカなどとの間で交換された機密性の高い秘密情報が漏えいされそうになった時、その漏洩を事前に防ぐ緊急避難的な対処がまずは求められる。スノーデン氏の話も同様だが、一度、公開された機密は既に「覆水盆に返らず」であり、当初の原状復帰は不可能となる。ストーカー事件で殺されてしまった被害者の命が戻らないのと同様である。だから「覆水」とならないための対策が最重要課題のはずである。

この様に書くと、「機密保護法案とストーカー問題は別物だろう!絡めて議論するのは乱暴だ!」と言われそうだが、勿論、議論の詳細が全く異なるのは認めた上で、ある種の共通項はあるのだと思う。先のラジオの解説者が説明していたのだが、ストーカー規制法を国会で審議していた際には、常に加害者側の人権を侵害しないための配慮が最大の論点だったという。犯罪においては常に言われることだが、被害者の人権はないがしろにされるのだが、何故か知らないが人権活動家などのベクトルの向かう方向は、いつも加害者側の人権保護なのである。しかし、事の緊急性という視点で見れば、被害者側の人権は「待ったなし」なのであり、実際に多数の死者を生んでいる。その人権(生命)は、決して回復されることはなく、犯人を死刑に追いやっても自らの命がよみがえることはない。しかし、では加害者の人権はどうかと言えば、「言われのない誤った逮捕」という事態を生む可能性はあるにせよ、その様な人の名誉を回復することは後からでも可能なのである。経済的な損失を補填するルールや、例えば会社を解雇された場合などの原状復帰ルールなどの法案を組み合わせれば、遅ればせながらではあるが人権の回復に繋げる手立てはあるのである。しかし、人権活動家などが「1ミリたりとて、(実際の犯罪行為が行われる前に)加害者の人権が侵害されることは許されない」などと無茶を言うから、国会での議論が「建前だけ、形だけの被害者救済」と「実効的な加害者の人権保護」という誤った方向に向かってしまうのである。上述の警察署の対応が不十分なのは、法案の審議段階での議論が加害者の人権に終始したために、これが警察に対し「あまり、先走って動きすぎない方が良い」という誤ったメッセージを送ってしまっていたことと関係があるのではないかという。さらに、この様な事件の頻発は、被害者側には「警察に行っても役に立たない」というメッセージを、加害者側にも「最初から警察は無茶をしない(速やかに行動すれば殺害は達成できる)」という誤ったメッセージを送ることになっている。全く、本来の法律の精神はそこにはない。

だから私は主張したい。究極の被害者救済のためには、ある種の割り切りとして、部分的な行き過ぎた人権の侵害を恐れずに許容することとし、合わせてその結果犯される(ここでは加害者と見なされて不当な法的措置を受けた側の)人権が後日回復できるためのフォローの法案を組み合わせ、最悪の回復不能の事態を回避するための踏み込んだ対策を考えるべきである。繰り返すが、一時的な人権侵害など恐れてはいけないのである。中長期的にその人権が十分に回復できるならば、まずは永遠に回復できなくなる可能性のある側の人権(機密保護法の場合には国益)を最優先すべきである。

これは、大きな発想の転換である。雇用の流動化を目指すための金銭解雇なども類似の発想である。これまでは、絶対に切り込んではいけないと誤解していたタブーにも、冷静に考えれば切り込むのが筋と言うべきアプローチがあるはずである。機密保護法案にその様なアプローチを適用するにはどうすれば良いのかは一ひねり必要かも知れない。

しかし、この様な柔軟な発想の転換が事態を打開する。その柔軟な思考を国会の場では戦わせて欲しい。昔ながらのベタな空論を振り回す政党の言うことなど論破して、ことの本質を突いて欲しい。まずはストーカー被害者をなくすところから対処して欲しい。

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