けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

政権の中枢足りえない弱小政党のマニュフェストに意味はあるのか?

2012-11-27 23:11:30 | 政治
今日は少し違った視点で暴論を述べてみたい。それは、選挙後において政権与党の主流派と成り得ない弱小政党にとっての政権公約・マニュフェストとは意味があるのかという問いかけである。

前回の選挙を例に取れば膨大な大風呂敷を掲げた民主党のマニュフェストは、今回の選挙で「本当に実現したのか?有権者を騙していなかったか?」という検証に晒されているが、それ以外の政党のマニュフェストがどの様に達成されたかは殆ど議論されていない。国民新党は政権与党の一角を占めたが、郵政民営化見直しも中途半端な状況であるとともに、それ以外の項目を達成できたとは思えない。社民党も少なくとも当初は政権与党を構成したのだからマニュフェストの達成度を評価されるべきだが、全くと言って良いほど実現していないのに反省の弁など微塵もない。だから、少なくとも彼らは、「私たちは、どうせ政権の主導権を握れないのだから、マニュフェストを実現したくても足かせが非常に大きく、仮に達成できなくてもそれは仕方がないこと。実現を求めるなら、もっと議席を私達に下さい。」と開き直って、決して「私たちは嘘をつきました」と懺悔したりはしない。一方で、弱小正当であればマスコミも寄ってたかってマニュフェストを採点し、達成率を評価したりはしない。所詮、野党で弱小正当であれば、政策を実現するだけの影響力を示すことは不可能であり、例えてみれば共産党の政策が実現できていないと責めても意味などない。であれば、その様な所詮意味の無いマニュフェストを掲げたとして、それを評価して1票入れる行為にどの様な意味があるのかと考えてしまう。

少し話は逸れるが、例えば阪神大震災が起きた時を思い出していただけば、時の首相は村山富一日本社会党党首であり、自社さ政権がこの時成立していた。それまでは自衛隊は違憲とか言っていたはずだが、政権与党になると何処かで持論を曲げないと整合性が取れない部分が出てきてしまう。米の自由化もこの時期だったし、自民党からすれば自分たちが出来ないことを、ドサクサに紛れて社会党党首にやらせた感がある。日本社会党ほどの一時期は自民党政権の対極に位置した大政党も、政権与党に加われば持論を曲げて現実的な対応をしなければならないというのが現実である。しかし社会党の場合にもその様な現実に直面するまでは、「自衛隊は違憲である」という正論ではあるが国益に反することを言い続けて平気であったのである。だから、大抵の政党はその様な現実に直面するまでは、少なくとも脱原発だろうがTPP反対、消費税反対、普天間飛行場の国外移設だろうが、何でも好き放題言えるのである。

ただ、一方でその様なNo!No!No!の政党が全ていけないかといえばそうでもない。その典型的な例であるが、共産党という党は、ある意味でブレが最も小さな政党であろう。これは、絶対に政権与党にはならないという変な意味での強みでもある。だから、共産党に投票する人は政策の実現の可否などを評価するのではなく、ブレないブレーキの踏み役を彼らに期待しているのだろう。時代と共に変化しない基本理念を評価して投票するのであれば、それはそれで意味のある投票なのである。その政党を真の意味で評価しているのだから。しかし、自民党、公明党、共産党などの一部の例外を除けば、その党を心底評価して投票するケースは少ない。その様な、根強いこれらの政党の支持者以外の所謂無党派層は、これとは全く異なりマニュフェスト、政権公約を吟味して清き一票の投票先を選ぶのである。であれば、投票される側もそれに応えるだけの誠実さが求められるが、先に説明したように、彼らの多くは国民との契約であるマニュフェスト、政権公約の実現の責任を負っているという自覚は非常に希薄である。だから、「言ったもん勝ち!」「騙される方が悪い!」ということになる。勿論、前回の民主党の様に大勝ちして政権の中枢に入ってしまうと国民の厳しい批判にさらされ、次回の選挙で大負けすることになるのであろうが、どうせ大勝ちしなければ関係ない。選挙の度に国民受けしやすい耳障りの良いスローガンで徐々に議席を増やし、最後の最後の政権を取る直前に、現実的な路線に方針転換すれば良いのである。これぞ、「言ったもん勝ち!」の真骨頂である。

今朝も、そのようなものを見せつけられた。今朝のフジテレビの「とくダネ」で、河村名古屋市長が「脱原発なんて、宣言するのが大事!宣言してしまえば後は何とでもなる!」という発言をしていた。これに対し橋下代表代行は、民主党政権での失敗を例に挙げ、「最低でも県外と言った普天間問題は結局頓挫したじゃないか!実現の裏づけのない安直な宣言は無責任だ!」と的を得た指摘をしていた。河村市長は「あれはアメリカが背後にあったからじゃないか!脱原発は日本だけで勝手に出来るんだから・・・」と言い返していたが、これがまず事の複雑さを理解できていない証拠である。野田政権が脱原発を閣議決定できなかったのには深い事情があり、そのひとつには核燃料の再処理過程で生じるプルトニウムの扱いに関するアメリカからの圧力があったのは周知の事実である。人権救済法案などを例にとれば、法案の成立の目処がないのに強引に閣議決定した経緯があり、閣議決定とはそれなりの重みがあるのは疑いのないことであるが、ある種の「言った者勝ち」の側面もなくはない。だから、脱原発もゴールは所詮30年後なのだから、野田総理にその気があれば割り切って閣議決定が出来たはずである。しかし、それでも閣議決定が出来ないというところがこの問題の深刻さを物語っている。

つまり、現実に政権を運営する覚悟があるのであれば、言ったことを実現するための具体的な道筋を細部に渡り矛盾のないように組み立て、あちらを立てればこちらが立たずとならないように責任もって政策を実現する義務が課せられる。橋下代表代行が最近マスコミで「ブレている!」と責められるが、それは裏返せば責任感の表れであり、選挙の前にそれに気がつき実現可能な現実的な方向に微修正するということは、逆に国民に対する誠意として評価されてしかるべきである。野党でいる限りは嘘をついても責任は決して問われたりしないとタカを括っている議員とは根本的に違うのである。

本来であれば、有権者である国民がこの議員の内面を見抜いて国益に叶う候補者を当選させるべきであるが、詐欺師・ペテン師がゴロゴロしている中で国民にそれを強いるのは酷である。だから、選挙のメカニズムの中に嘘つきが逃げきれないルールを織り込むべきである。もう少し真剣に、この点を考えるべきだと今日つくづく感じた。

もったいぶって恐縮だが、明日はそのための提案を書いてみたい。

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