少し前のニュースである。以下の記事を少し見て欲しい。
産経ニュース2012年11月7日「慰安婦問題で米紙に意見広告 強制連行裏付ける資料なし」
記事としては、すぎやまこういち氏、櫻井よしこ氏、さらには安部総裁、松原仁前拉致担当相などが連名で、米ニュージャージー州の地元紙「スターレッジャー」に慰安婦問題に関する意見広告を掲載したというものである。「事実でないことを認めてしまえば、社会全体の判断を狂わせ、日米2国間に悪い影響を与えます」という主張であり、当然ながら慰安婦問題などを否定しているから「日本の右翼がまたこんなことを言って・・・」と言われそうなことであるが、私が興味をもったのはその記事に添えられた地元紙「スターレッジャー」の記事の写真である。そこには、タイトルとして「Yes, we remember the facts.」として記載した上で、それに続けて「Fact1」「Fact2」と事実が列挙されている。つまり、「私はこう思う!」とか「○○の主張は嘘だ!」という主張は何処までいっても平行線を辿り、「またか・・・」と一般の人には呆れられることになる。しかし、まずは事実だけを列挙し、その(我々が称する)事実に誤りがあるというのであればそれを指摘してもらい、それがなければそれが事実であることを前提として一歩一歩進めていこう、その結果として歴史の中の全体像が見えてくる・・・というアプローチは地道ではあるが非常に正しいやり方だと思う。私はこれを称して、これまでのブログでも「Factベースでの議論」と言ってきた。
素人的には何故、ニュージャージー州の小さな地元紙なんだ・・・と思うこともあるが、そこから火がつき話題となれば、実際には一地方紙以上の効果も期待できるかも知れない。特に、賛同者に次期総理と目される安部総裁の名があることから、来たるべき政権交代時にアメリカで「次期、日本の首相はこんな人」という記事と共に紹介されるかも知れない。コストパフォーマンス的には丁度良いのかも知れない。
このFactベースの議論と言うのは、「裁判」というものと親和性が高い。だから、国際司法裁判所の場での竹島の領有権に関する議論を行う提案とも整合している。一方で、尖閣問題に関して中国の主張を黙殺するのには整合しない。今なら裁判に勝てる可能性が非常に高いから、中国をけしかけ、国際司法裁判所での裁判に誘導するのが平和的解決への近道だろう。もっとも、北方領土は少し話が微妙ではあるのだが・・・。
この様なFactベースでの議論の目的は、既に様々な人の頭の中に刷り込まれている幻想の払拭にある。もう少し厳密に言えば、それが幻想なのか真実なのかを私も知らないことに光を当て、白黒をはっきりさせて欲しいと思う。それが仮に薮蛇であったとしても、それを恐れていては前には進めない。だからこの様な新聞広告の第2弾、第3弾を次々と出して議論を進めて欲しい。
その様な中に、例えば下記のようなアピールをアメリカを中心に展開できないものかと思っている。少々長くなるが、せっかくの機会だから書いておく。
===ここから===
連日、沖縄では米軍による暴行などの不祥事が話題となっている。何年も前から同様の事件を繰り返し、沖縄県民は「米軍などいらない、即刻出て行け!」とデモを行っている。しかし、日本国民の総意としては、短絡的に「全てのアメリカ兵は野蛮だ!日本にいる価値などない!」と結論付けるのではなく、「中にはその様な野蛮な人もいるかもしれないが、多くのアメリカ兵は正義感と共に友好的であり、『トモダチ作戦』では多くの日本人が勇気付けられた。日本にとってアメリカ兵の存在意義は大きい。」という認識が強い。だから、ことの本質をつかむためには、ごく一部の例外的な事例を刺激的にフォーカスして取り上げるのではなく、全体像を正確につかみとる努力をすることが重要になる。それはあまり刺激的ではない退屈なことかも知れないが、とても重要なことである。
ところで、戦後教育を受けた日本国民の多くは、第2次世界大戦で日本の犯した過ちを学んできた。20世紀初頭の列強が行っていたアジアを中心とする植民地政策を、当時の日本も遅れて参加し、アジアの多くの国において権益を確保するための乱暴な行動を繰り返した。これらの行動の背景には、当時の日本政府、軍部の判断があったことは明らかであり、その結果としてアジア諸国に多大なご迷惑をかけたことも事実である。だから我々は無意識のうちに、「その当時の日本兵は世界中で相当悪いことばかりしていたのだろう。」と思うようになった。アメリカを始めとする諸外国の方々も、先入観念として「日本軍は酷い!野蛮だ!」という思いを持ち、30万人の南京大虐殺なども「そんなことがあったとしても、おかしくはないだろう!」という気持ちになっていると思う。ましてや、反日教育が徹底している中国や韓国では、「それは疑いのない事実」と確信するに至っている。
しかし、現在の沖縄県民がアメリカ兵に対して抱く嫌悪感が決してアメリカ兵への正当な評価でないのと同様(いや、それ以上)に、当時の日本軍に対する評価も多くの先入観により捻じ曲げられている可能性も否定できない。だから、「歴史」というものを正しく評価するためには、単なる思い込みを排除し、事実をひとつひとつ積み重ねていく必要がある。
例えば、第2次世界大戦終結後の連合軍による日本駐留の間、多くのアメリカ兵が日本人女性に対して婦女暴行を繰り返したとの被害報告がある。そこで日本に駐留するアメリカ兵による婦女暴行事件を押さえ込むための対策として、日本人女性による慰安施設が多く造られたと聞く。売春行為を正当化するか否かの議論は横に置いておいて、その結果として多くの罪もない日本人女性の被害を防ぎ、一方ではその慰安施設で働く女性たちはそれ相応の対価を受け取ることになった。中には人身売買的に、本人の意に反したところでこの様な辛い思いをした人もいただろう。しかし、日本人がこの件でアメリカを非難しないのは、その殆どが「自由を奪われて強制的に働かされていた」のではなく、拒否する権利がありながらも慰安婦となることでそれなりの対価を受け取っていたからである。だから、日本と韓国の間の慰安婦問題を議論するときには、その様な日本政府又は軍による強制性が実際にはあったのか、なかったのかが議論の中心になるべきである。現在の議論の中ではこの点は置き去りになっている。
一方、南京大虐殺に関しては、当時の南京市民の総人口(25万人)以上の30万人という被害者数を見ただけでも、中国側の一方的な主張の中には(何処までが疑わしいかは別として)疑わしいところが少なくとも含まれることは間違いない。だから、当時、南京に在住の欧米諸国の方々の証言の記録(日記や手紙等の証拠物)を寄せ集め、そこから真実を読み解くしかない。中には疑わしい記述・証言もありうるから、より多くの資料の相互の整合性を通じて、2重3重の裏づけを取りながら、疑いのない真実と疑わしいことを選り分けていかなければならない。その結果、本当はそこで何が行われていたのかを明らかにすべきである。そこには、多くの人が知らない真実があるのかも知れない。
戦争という「人殺し行為」は野蛮であるが、それでも世界中で戦争が止まないのにはそれなりに理由がある。それは、「乱暴をしてやろう!」という戦争以外にも、自分勝手ではあるが、それを正義と信じて行われる戦争もある。例えば、第2次世界大戦中の日本国民の多くは、それが軍部による洗脳教育の結果ではあるのだが、欧米列強の植民地からアジア地域を開放し、日本が中心として新しい秩序を作ろうという大東亜共栄圏構想を信じ、命を捨てて戦った若者も多い。戦争末期には、逆に日本本土の家族を守るために、命を捨てて国を守るという若者が多くの命を無駄に落とした。鹿児島県の知覧という場所には、当時は戦闘機で敵戦艦に体当たりする自殺攻撃である神風特攻隊の基地があった。現在はその跡地に資料館があるのであるが、そこでは、死を覚悟した青年たちが、その突撃を待つ数週間の日々の中で、両親、家族に宛てた手紙を多く展示している。その手紙を読めば、彼らが当時の日本政府、軍部の思惑とは異なり、純粋な気持ちで戦争に臨んでいたことが読み取れる。私はその資料館を訪れたときの衝撃を今でも忘れない。それほど、彼らの手紙には彼らの思いが込められている。
これが全てだとは言わないが、「旧日本軍」=「酷い・野蛮」=「どんなことでもやりかねない」という方程式が真実であるのか否かは、検証の余地があるのだと我々は信じる。その中で、実際に行っていた蛮行と、実際には行われていなかった冤罪的な行動とを選り分け、正統な評価を行うことができるのだと思う。
もはや「現代」という時代においては、「歴史」は勝利者による御伽噺であってはならない。しかし、それはこれまでの長い歴史の中の習慣を断ち切るものであり、ある意味で勇気が必要なことである。その一歩を今こそ踏み出すべきではないか!そのためには、ニュートラルの立場の方々の協力が必要である。そう、欧米のみなさんの力である。
===ここまで===
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産経ニュース2012年11月7日「慰安婦問題で米紙に意見広告 強制連行裏付ける資料なし」
記事としては、すぎやまこういち氏、櫻井よしこ氏、さらには安部総裁、松原仁前拉致担当相などが連名で、米ニュージャージー州の地元紙「スターレッジャー」に慰安婦問題に関する意見広告を掲載したというものである。「事実でないことを認めてしまえば、社会全体の判断を狂わせ、日米2国間に悪い影響を与えます」という主張であり、当然ながら慰安婦問題などを否定しているから「日本の右翼がまたこんなことを言って・・・」と言われそうなことであるが、私が興味をもったのはその記事に添えられた地元紙「スターレッジャー」の記事の写真である。そこには、タイトルとして「Yes, we remember the facts.」として記載した上で、それに続けて「Fact1」「Fact2」と事実が列挙されている。つまり、「私はこう思う!」とか「○○の主張は嘘だ!」という主張は何処までいっても平行線を辿り、「またか・・・」と一般の人には呆れられることになる。しかし、まずは事実だけを列挙し、その(我々が称する)事実に誤りがあるというのであればそれを指摘してもらい、それがなければそれが事実であることを前提として一歩一歩進めていこう、その結果として歴史の中の全体像が見えてくる・・・というアプローチは地道ではあるが非常に正しいやり方だと思う。私はこれを称して、これまでのブログでも「Factベースでの議論」と言ってきた。
素人的には何故、ニュージャージー州の小さな地元紙なんだ・・・と思うこともあるが、そこから火がつき話題となれば、実際には一地方紙以上の効果も期待できるかも知れない。特に、賛同者に次期総理と目される安部総裁の名があることから、来たるべき政権交代時にアメリカで「次期、日本の首相はこんな人」という記事と共に紹介されるかも知れない。コストパフォーマンス的には丁度良いのかも知れない。
このFactベースの議論と言うのは、「裁判」というものと親和性が高い。だから、国際司法裁判所の場での竹島の領有権に関する議論を行う提案とも整合している。一方で、尖閣問題に関して中国の主張を黙殺するのには整合しない。今なら裁判に勝てる可能性が非常に高いから、中国をけしかけ、国際司法裁判所での裁判に誘導するのが平和的解決への近道だろう。もっとも、北方領土は少し話が微妙ではあるのだが・・・。
この様なFactベースでの議論の目的は、既に様々な人の頭の中に刷り込まれている幻想の払拭にある。もう少し厳密に言えば、それが幻想なのか真実なのかを私も知らないことに光を当て、白黒をはっきりさせて欲しいと思う。それが仮に薮蛇であったとしても、それを恐れていては前には進めない。だからこの様な新聞広告の第2弾、第3弾を次々と出して議論を進めて欲しい。
その様な中に、例えば下記のようなアピールをアメリカを中心に展開できないものかと思っている。少々長くなるが、せっかくの機会だから書いておく。
===ここから===
連日、沖縄では米軍による暴行などの不祥事が話題となっている。何年も前から同様の事件を繰り返し、沖縄県民は「米軍などいらない、即刻出て行け!」とデモを行っている。しかし、日本国民の総意としては、短絡的に「全てのアメリカ兵は野蛮だ!日本にいる価値などない!」と結論付けるのではなく、「中にはその様な野蛮な人もいるかもしれないが、多くのアメリカ兵は正義感と共に友好的であり、『トモダチ作戦』では多くの日本人が勇気付けられた。日本にとってアメリカ兵の存在意義は大きい。」という認識が強い。だから、ことの本質をつかむためには、ごく一部の例外的な事例を刺激的にフォーカスして取り上げるのではなく、全体像を正確につかみとる努力をすることが重要になる。それはあまり刺激的ではない退屈なことかも知れないが、とても重要なことである。
ところで、戦後教育を受けた日本国民の多くは、第2次世界大戦で日本の犯した過ちを学んできた。20世紀初頭の列強が行っていたアジアを中心とする植民地政策を、当時の日本も遅れて参加し、アジアの多くの国において権益を確保するための乱暴な行動を繰り返した。これらの行動の背景には、当時の日本政府、軍部の判断があったことは明らかであり、その結果としてアジア諸国に多大なご迷惑をかけたことも事実である。だから我々は無意識のうちに、「その当時の日本兵は世界中で相当悪いことばかりしていたのだろう。」と思うようになった。アメリカを始めとする諸外国の方々も、先入観念として「日本軍は酷い!野蛮だ!」という思いを持ち、30万人の南京大虐殺なども「そんなことがあったとしても、おかしくはないだろう!」という気持ちになっていると思う。ましてや、反日教育が徹底している中国や韓国では、「それは疑いのない事実」と確信するに至っている。
しかし、現在の沖縄県民がアメリカ兵に対して抱く嫌悪感が決してアメリカ兵への正当な評価でないのと同様(いや、それ以上)に、当時の日本軍に対する評価も多くの先入観により捻じ曲げられている可能性も否定できない。だから、「歴史」というものを正しく評価するためには、単なる思い込みを排除し、事実をひとつひとつ積み重ねていく必要がある。
例えば、第2次世界大戦終結後の連合軍による日本駐留の間、多くのアメリカ兵が日本人女性に対して婦女暴行を繰り返したとの被害報告がある。そこで日本に駐留するアメリカ兵による婦女暴行事件を押さえ込むための対策として、日本人女性による慰安施設が多く造られたと聞く。売春行為を正当化するか否かの議論は横に置いておいて、その結果として多くの罪もない日本人女性の被害を防ぎ、一方ではその慰安施設で働く女性たちはそれ相応の対価を受け取ることになった。中には人身売買的に、本人の意に反したところでこの様な辛い思いをした人もいただろう。しかし、日本人がこの件でアメリカを非難しないのは、その殆どが「自由を奪われて強制的に働かされていた」のではなく、拒否する権利がありながらも慰安婦となることでそれなりの対価を受け取っていたからである。だから、日本と韓国の間の慰安婦問題を議論するときには、その様な日本政府又は軍による強制性が実際にはあったのか、なかったのかが議論の中心になるべきである。現在の議論の中ではこの点は置き去りになっている。
一方、南京大虐殺に関しては、当時の南京市民の総人口(25万人)以上の30万人という被害者数を見ただけでも、中国側の一方的な主張の中には(何処までが疑わしいかは別として)疑わしいところが少なくとも含まれることは間違いない。だから、当時、南京に在住の欧米諸国の方々の証言の記録(日記や手紙等の証拠物)を寄せ集め、そこから真実を読み解くしかない。中には疑わしい記述・証言もありうるから、より多くの資料の相互の整合性を通じて、2重3重の裏づけを取りながら、疑いのない真実と疑わしいことを選り分けていかなければならない。その結果、本当はそこで何が行われていたのかを明らかにすべきである。そこには、多くの人が知らない真実があるのかも知れない。
戦争という「人殺し行為」は野蛮であるが、それでも世界中で戦争が止まないのにはそれなりに理由がある。それは、「乱暴をしてやろう!」という戦争以外にも、自分勝手ではあるが、それを正義と信じて行われる戦争もある。例えば、第2次世界大戦中の日本国民の多くは、それが軍部による洗脳教育の結果ではあるのだが、欧米列強の植民地からアジア地域を開放し、日本が中心として新しい秩序を作ろうという大東亜共栄圏構想を信じ、命を捨てて戦った若者も多い。戦争末期には、逆に日本本土の家族を守るために、命を捨てて国を守るという若者が多くの命を無駄に落とした。鹿児島県の知覧という場所には、当時は戦闘機で敵戦艦に体当たりする自殺攻撃である神風特攻隊の基地があった。現在はその跡地に資料館があるのであるが、そこでは、死を覚悟した青年たちが、その突撃を待つ数週間の日々の中で、両親、家族に宛てた手紙を多く展示している。その手紙を読めば、彼らが当時の日本政府、軍部の思惑とは異なり、純粋な気持ちで戦争に臨んでいたことが読み取れる。私はその資料館を訪れたときの衝撃を今でも忘れない。それほど、彼らの手紙には彼らの思いが込められている。
これが全てだとは言わないが、「旧日本軍」=「酷い・野蛮」=「どんなことでもやりかねない」という方程式が真実であるのか否かは、検証の余地があるのだと我々は信じる。その中で、実際に行っていた蛮行と、実際には行われていなかった冤罪的な行動とを選り分け、正統な評価を行うことができるのだと思う。
もはや「現代」という時代においては、「歴史」は勝利者による御伽噺であってはならない。しかし、それはこれまでの長い歴史の中の習慣を断ち切るものであり、ある意味で勇気が必要なことである。その一歩を今こそ踏み出すべきではないか!そのためには、ニュートラルの立場の方々の協力が必要である。そう、欧米のみなさんの力である。
===ここまで===
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