けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

Yes, we remember the facts.

2012-11-09 22:36:45 | 政治
少し前のニュースである。以下の記事を少し見て欲しい。

産経ニュース2012年11月7日「慰安婦問題で米紙に意見広告 強制連行裏付ける資料なし

記事としては、すぎやまこういち氏、櫻井よしこ氏、さらには安部総裁、松原仁前拉致担当相などが連名で、米ニュージャージー州の地元紙「スターレッジャー」に慰安婦問題に関する意見広告を掲載したというものである。「事実でないことを認めてしまえば、社会全体の判断を狂わせ、日米2国間に悪い影響を与えます」という主張であり、当然ながら慰安婦問題などを否定しているから「日本の右翼がまたこんなことを言って・・・」と言われそうなことであるが、私が興味をもったのはその記事に添えられた地元紙「スターレッジャー」の記事の写真である。そこには、タイトルとして「Yes, we remember the facts.」として記載した上で、それに続けて「Fact1」「Fact2」と事実が列挙されている。つまり、「私はこう思う!」とか「○○の主張は嘘だ!」という主張は何処までいっても平行線を辿り、「またか・・・」と一般の人には呆れられることになる。しかし、まずは事実だけを列挙し、その(我々が称する)事実に誤りがあるというのであればそれを指摘してもらい、それがなければそれが事実であることを前提として一歩一歩進めていこう、その結果として歴史の中の全体像が見えてくる・・・というアプローチは地道ではあるが非常に正しいやり方だと思う。私はこれを称して、これまでのブログでも「Factベースでの議論」と言ってきた。

素人的には何故、ニュージャージー州の小さな地元紙なんだ・・・と思うこともあるが、そこから火がつき話題となれば、実際には一地方紙以上の効果も期待できるかも知れない。特に、賛同者に次期総理と目される安部総裁の名があることから、来たるべき政権交代時にアメリカで「次期、日本の首相はこんな人」という記事と共に紹介されるかも知れない。コストパフォーマンス的には丁度良いのかも知れない。

このFactベースの議論と言うのは、「裁判」というものと親和性が高い。だから、国際司法裁判所の場での竹島の領有権に関する議論を行う提案とも整合している。一方で、尖閣問題に関して中国の主張を黙殺するのには整合しない。今なら裁判に勝てる可能性が非常に高いから、中国をけしかけ、国際司法裁判所での裁判に誘導するのが平和的解決への近道だろう。もっとも、北方領土は少し話が微妙ではあるのだが・・・。

この様なFactベースでの議論の目的は、既に様々な人の頭の中に刷り込まれている幻想の払拭にある。もう少し厳密に言えば、それが幻想なのか真実なのかを私も知らないことに光を当て、白黒をはっきりさせて欲しいと思う。それが仮に薮蛇であったとしても、それを恐れていては前には進めない。だからこの様な新聞広告の第2弾、第3弾を次々と出して議論を進めて欲しい。
その様な中に、例えば下記のようなアピールをアメリカを中心に展開できないものかと思っている。少々長くなるが、せっかくの機会だから書いておく。

===ここから===
連日、沖縄では米軍による暴行などの不祥事が話題となっている。何年も前から同様の事件を繰り返し、沖縄県民は「米軍などいらない、即刻出て行け!」とデモを行っている。しかし、日本国民の総意としては、短絡的に「全てのアメリカ兵は野蛮だ!日本にいる価値などない!」と結論付けるのではなく、「中にはその様な野蛮な人もいるかもしれないが、多くのアメリカ兵は正義感と共に友好的であり、『トモダチ作戦』では多くの日本人が勇気付けられた。日本にとってアメリカ兵の存在意義は大きい。」という認識が強い。だから、ことの本質をつかむためには、ごく一部の例外的な事例を刺激的にフォーカスして取り上げるのではなく、全体像を正確につかみとる努力をすることが重要になる。それはあまり刺激的ではない退屈なことかも知れないが、とても重要なことである。

ところで、戦後教育を受けた日本国民の多くは、第2次世界大戦で日本の犯した過ちを学んできた。20世紀初頭の列強が行っていたアジアを中心とする植民地政策を、当時の日本も遅れて参加し、アジアの多くの国において権益を確保するための乱暴な行動を繰り返した。これらの行動の背景には、当時の日本政府、軍部の判断があったことは明らかであり、その結果としてアジア諸国に多大なご迷惑をかけたことも事実である。だから我々は無意識のうちに、「その当時の日本兵は世界中で相当悪いことばかりしていたのだろう。」と思うようになった。アメリカを始めとする諸外国の方々も、先入観念として「日本軍は酷い!野蛮だ!」という思いを持ち、30万人の南京大虐殺なども「そんなことがあったとしても、おかしくはないだろう!」という気持ちになっていると思う。ましてや、反日教育が徹底している中国や韓国では、「それは疑いのない事実」と確信するに至っている。

しかし、現在の沖縄県民がアメリカ兵に対して抱く嫌悪感が決してアメリカ兵への正当な評価でないのと同様(いや、それ以上)に、当時の日本軍に対する評価も多くの先入観により捻じ曲げられている可能性も否定できない。だから、「歴史」というものを正しく評価するためには、単なる思い込みを排除し、事実をひとつひとつ積み重ねていく必要がある。

例えば、第2次世界大戦終結後の連合軍による日本駐留の間、多くのアメリカ兵が日本人女性に対して婦女暴行を繰り返したとの被害報告がある。そこで日本に駐留するアメリカ兵による婦女暴行事件を押さえ込むための対策として、日本人女性による慰安施設が多く造られたと聞く。売春行為を正当化するか否かの議論は横に置いておいて、その結果として多くの罪もない日本人女性の被害を防ぎ、一方ではその慰安施設で働く女性たちはそれ相応の対価を受け取ることになった。中には人身売買的に、本人の意に反したところでこの様な辛い思いをした人もいただろう。しかし、日本人がこの件でアメリカを非難しないのは、その殆どが「自由を奪われて強制的に働かされていた」のではなく、拒否する権利がありながらも慰安婦となることでそれなりの対価を受け取っていたからである。だから、日本と韓国の間の慰安婦問題を議論するときには、その様な日本政府又は軍による強制性が実際にはあったのか、なかったのかが議論の中心になるべきである。現在の議論の中ではこの点は置き去りになっている。

一方、南京大虐殺に関しては、当時の南京市民の総人口(25万人)以上の30万人という被害者数を見ただけでも、中国側の一方的な主張の中には(何処までが疑わしいかは別として)疑わしいところが少なくとも含まれることは間違いない。だから、当時、南京に在住の欧米諸国の方々の証言の記録(日記や手紙等の証拠物)を寄せ集め、そこから真実を読み解くしかない。中には疑わしい記述・証言もありうるから、より多くの資料の相互の整合性を通じて、2重3重の裏づけを取りながら、疑いのない真実と疑わしいことを選り分けていかなければならない。その結果、本当はそこで何が行われていたのかを明らかにすべきである。そこには、多くの人が知らない真実があるのかも知れない。
戦争という「人殺し行為」は野蛮であるが、それでも世界中で戦争が止まないのにはそれなりに理由がある。それは、「乱暴をしてやろう!」という戦争以外にも、自分勝手ではあるが、それを正義と信じて行われる戦争もある。例えば、第2次世界大戦中の日本国民の多くは、それが軍部による洗脳教育の結果ではあるのだが、欧米列強の植民地からアジア地域を開放し、日本が中心として新しい秩序を作ろうという大東亜共栄圏構想を信じ、命を捨てて戦った若者も多い。戦争末期には、逆に日本本土の家族を守るために、命を捨てて国を守るという若者が多くの命を無駄に落とした。鹿児島県の知覧という場所には、当時は戦闘機で敵戦艦に体当たりする自殺攻撃である神風特攻隊の基地があった。現在はその跡地に資料館があるのであるが、そこでは、死を覚悟した青年たちが、その突撃を待つ数週間の日々の中で、両親、家族に宛てた手紙を多く展示している。その手紙を読めば、彼らが当時の日本政府、軍部の思惑とは異なり、純粋な気持ちで戦争に臨んでいたことが読み取れる。私はその資料館を訪れたときの衝撃を今でも忘れない。それほど、彼らの手紙には彼らの思いが込められている。

これが全てだとは言わないが、「旧日本軍」=「酷い・野蛮」=「どんなことでもやりかねない」という方程式が真実であるのか否かは、検証の余地があるのだと我々は信じる。その中で、実際に行っていた蛮行と、実際には行われていなかった冤罪的な行動とを選り分け、正統な評価を行うことができるのだと思う。

もはや「現代」という時代においては、「歴史」は勝利者による御伽噺であってはならない。しかし、それはこれまでの長い歴史の中の習慣を断ち切るものであり、ある意味で勇気が必要なことである。その一歩を今こそ踏み出すべきではないか!そのためには、ニュートラルの立場の方々の協力が必要である。そう、欧米のみなさんの力である。
===ここまで===

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責任を取れなければ権限を与えることはできない!

2012-11-08 22:52:32 | 政治
何を今更という話題であるが、田中文科相の新設大学の不認可問題についてひと言、言及したい。結論から言えば、政治責任をどの様に考えるかについて、今一度、問い直してみたいということである。

例えば、不適切な大臣が出てきて問題となったとき、総理大臣は「任命責任は私にある」とあっさりと認めるが、ではその責任に対して何をするかというと全く何もすることはない。その無責任さの典型的な例は、鳩山元総理が起こした普天間騒動だろう。彼は結局、問題をグチャグチャにして辞任したが、ことの重要性からすれば辞任しただけでその責任を取ったことにはならない。結果的に、非常に危険な状態である普天間飛行場の継続使用という最悪の状況が続いている訳で、もし責任を取るというならば、民主党議員から少なくとも十人以上の沖縄基地問題解決の特命チームを結集し、その人たちが少なくとも自民党政権時代と同レベル程度までには事態を快方に向かわせる実効的な行動を取っていなければおかしい。しかし、非常に先行きが不透明でセンシティブな議題なので、政治生命に大きな傷をつけるリスクを考えると、誰一人率先してその様なことをしようとはしない。鳩山元総理しかりである。しかも彼は、時折、忘れたころに沖縄を訪れて火に油を注ぐようなこともしている。つまり例えてみれば、大きな交通事故を起こし、被害者が正常な生活が送れないほどに傷ついた状態で、「私が悪かった。車に乗るのを止めるから許して!」と一方的に禁車宣言して済ませようとしているに近い。その被害者に対して、何らかの補償をする訳でもなく「俺は責任を果たしたぜ!」と自己陶酔している状況である。せめて、議員辞職するぐらいのことをすれば、その責任を感じる気持ちも分からなくもないが、引退すると言っていたことを撤回するぐらいだから、全く責任を取る気持ちがない(というか、総理を辞任した時点で全てがチャラになったと信じている)。彼らは軽々しく「責任」と言うが、その責任は被害者サイドに立った「責任」ではなく、自己中心的な加害者サイドの都合の良い「責任」なのである。世間一般では、この様なものを決して「責任」とは呼ばない。

さて話を戻すと、田中文科相ははっきりと「認可を認めるわけにはいかない!」と公言していたが、後になって「不認可とは言っていない」と言い逃れている。大学関係者が文科省から「不認可の通知を電話で受けた」と問われると、事務方の文科省の官僚が出てきて「私が不認可と伝えた。誤解を与えたのは私の責任です。」と尻拭いまでさせている。多分、官僚側は自分に責任が及ぶのを極度に嫌う人種だから、何度も何度も繰り返し繰り返し、「本当に不認可で宜しいですね?訴訟の可能性もありますが、先方の大学にこの判断を伝えて宜しいですね?」と聞いたはずである。ちなみに、官僚側は、「不認可となれば訴訟問題となり裁判で勝ち目がない」ことを強く認識した上で、強硬に不認可を主張する田中文科相では埒が明かないと諦めて、不認可が公表される前日に、総理官邸にその危険性(訴訟で負けるリスク)を伝えていたと言う。これが内閣官房から藤村官房長官に伝わり、そこでこの無謀な判断に「待った!」をかけるチャンスがあった。しかし、藤村官房長官と田中文科相が電話で不認可について話した際に、別に再考を促した形跡はない。この官僚の行動は悪い言葉で言えば「チクリ」であるから、これは官僚サイドでは事の重大性を熟知していた証拠であり、今回の判断が田中文科相の主張するような「『不認可』ではなく『認可』を一時的にペンディングするという判断」ではない(もっと踏み込んだ「不認可」の)判断であったことは明らかである。

田中文科相は「3つの大学がどの様な大学かは知らない」と公に発言しているわけだから、これらの情報を集約すると、落ち度がない(ないしは落ち度があることを把握していない)大学に対してルールを逸脱して大臣の裁量権を行使したことになる。最終判断は大臣にあるが、大臣が「好き/嫌い」で決めていい訳ではないから、明らかに裁量権の逸脱である。そして、それは少なからぬ関係者に大きな不利益をもたらすものであった。最悪の場合、既に建てた大学の建物が無駄になり、教員予定者が失業し、受験予定者も路頭に迷うかも知れないところだった。経済的な損失も伴うから、損害賠償となれば国民の税金も使われることになっただろう。これら一連の「責任」は、決して小さなものではない。だから、官僚から「本当に良いのですね?」と繰り返し聞かれて「良し」と判断したことには責任が問われるべきである。もちろん、A級戦犯が田中文科相であるのはその通りだが、それを止めることができなかった藤村官房長官も同罪である。問題が発覚して以降の野田総理の無作為と任命責任も同様である。

しかし、田中文科相が委員会の最後で「従来の基準で判断する」と事実上の「認可」発言を発した後、彼女は満面の笑顔で勝ち誇ったように振舞っていた。「3大学は、寧ろこれで有名になった」などと人の気を逆なでするようなことも平気で言っていた。更には、「私の発言が大きな問題提起となって良かった!」と、これが自らの手柄であるかのようにも振舞っている。これは、責任の欠片も感じていないことの証明である。もし仮に責任を感じていれば、「今回は、3大学のことをロクに聞きもせず、勝手にルールを変えて不認可と判断したのは私の誤りでした。大臣の裁量権を逸脱して多くの方にご迷惑をおかけしたことを、ここに謝罪します。つきましては、今後の身の処し方については総理に一任します。」と言っているはずである。

私は、人間である以上は過ちを犯すのは仕方がないと思う。問題は、その過ちを犯した時にその人の真価が問われる。田中文科相しかり、藤村官房長官しかし、野田総理しかり。もちろん、鳩山元総理も菅前総理もしかり。民主党しかりである。民主党の罪深さは、過ちを犯した時の身の処し方である。決して以前の自民党も褒められたものではないかも知れないが、相対的に見て民主党の対応は酷すぎる。先日辞任した田中法務相の退任の理由も病気のせいにしていたし、本当に謝ることを知らない集団である。その様な謙虚さがなければ、犯した過ちを修正して学習することはできない。本来であれば、既に学習しきった有能な人が政権を握るのが前提だから、遅ればせながらの学習に付き合っている暇はないのだが、民主党は付き合ってやっているのに学習すらしない無責任さである。

責任を取れない人には権限を与えることはできない。権限とは政権である。権限を没収するとは解散総選挙である。総選挙を拒むのであれば、せめて責任を痛感する姿を見せてもらわねば困る。どちらもイヤというのは駄々っ子である。良識ある国民が駄々っ子をどう評価するかはまもなく分かるはずである。

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活断層議論に見る原発政策の問題点

2012-11-07 23:57:58 | 政治
今日、大飯原発の敷地内の破砕帯について、活断層の可能性の有無にに関する調査検討会が開かれた。NHKのニュース9も報道ステーションも、同様に結論持ち越しというニュースを流したが、実はこの検討会は一昨日にも開かれており、その様子を報道ステーションでは非常に詳しく紹介していた。その報道ステーションのニュースを見ていたものとして、今日の結論には非常に不満を感じている。多分、一昨日の番組を見ていない方には分り難い話だろうが、その内容は非常にポイントを押さえた報道となっていたように思う。

まず、一昨日の議論と今日の議論は全く同様の線を辿り、「活断層と地滑りの両方の可能性がある」という状況から脱することは出来なかった。参加した有識者が共通の認識に達することができなかったのは別にこれは自然なことで、大量の資金を投入し、人海戦術でよほど大規模に調査を行わない限り、誰もが納得する断定的な結論など出ないのが実情なのだろう。だから、その様な状況においてどの様な判断をすべきかというのが今回の焦点なのである。ここで活断層の可能性を認めると、必然的に大飯原発の稼働停止が確定し、またまた日本中から原発の火が消えることになる。火力発電と原発のランニングコストの差から、関西電力の収支にも大きな影響が出るだろう。だから、「活断層の可能性も完全には否定できない」程度の判断であれば、「限りなく白に近いグレー」として可動継続の判断することは正しい。しかし、「どちらかといえば黒に近いグレー」であれば、一旦、稼働を停止すべきという判断をすべきである。実際、数日前の田中委員長の発言では「黒、ないしはグレーであれば可動の継続は認められない」という見解を示していたはずである。

では、今回のケースは「限りなく白に近いグレー」なのか「どちらかといえば黒に近いグレー」なのか、どちらなのだろうか?もちろん番組で流れた映像は全体のごく一部であるし、テレビ朝日は脱原発にバイアスがかかっているのは事実だから、本当は違ったニュアンスだった可能性は否定できない。しかし、この分野の権威ともいう大学教授は地滑りを主張していたが、活断層であることを否定する根拠を提示していた訳ではなかった。一方で以前から活断層の可能性を指摘していた東洋大学の渡辺教授は、自説の根拠を色々と示し、特に地滑りではないと断定するための証拠を示していた。これは、地滑りであれば斜面の下側に向かって地面が削れるために、その上に積もる堆積物は下側に凹んだ下り階段状になる。しかし、実際には下側に相当する海側の堆積物が上側に凸んだ上り階段状となっていた。彼からしてみると、活断層の動かぬ証拠を見つけたという主張である。当然ながら、活断層だと断定するには更なる調査が必要だと他の先生が反論するが、5人いる委員の中には渡辺教授の解釈に賛同する者もおり、決してバイアスがかかった人による強引なこじ付けではないということは明らかなようだ。それを裏付けるかのように、一昨日の検討会の最後に、原子力規制委員会の委員がその日の議論の総括として「破砕帯が活断層によるものと考えても矛盾はないが、地滑りによるものであるものとの可能性も否定できない」と言うような内容でまとめていた。つまり、少なく見積もっても活断層の可能性は50%はあるという状況を微妙な表現でまとめた内容である。決して、「地滑りであっても矛盾はないが、活断層の可能性も否定できない」というニュアンスではない。だから、確実に「どちらかといえば黒に近いグレー」からは今日の議論においても変わっていないはずなのであるが、判断するには時期尚早であり、さらなる調査を求めるという結論となった。調査の間は再稼働は継続するので、これは「短期的には白」という判断に相当し、田中委員長の見解とは矛盾する。

さて、この様に書きながら、私の立場は過去のブログでも書いてきたように原発容認派である。この原発容認派の立場からしても、今回の判断は決して好ましいものではない。何故なら、安全が確認された原発を再稼働する際にある程度のコンセンサスを得ようと思えば、少なくとも安全性確保のためのルールが十分に信頼できるものであってもらわなければ困るのである。つまり、明瞭なルールのもとで各原発の安全性を定量的に評価できないと、再稼働したくてもその寄って立つ根拠がないことになるからである。少なくとも、疑わしきは稼働せずの原則を貫ける原子力規制委員会であってもらわないと、その後の議論も全てオジャンになってしまう。そして、多少の原発のリスクがある一方で、再稼働しない場合に不慮の停電に伴うインパクトが無視できない場合、その定量的な原発のリスクと、もう一方の不稼動に伴うリスクを天秤にかけ、その結果としての政治判断を行うとしてもそれぞれの定量的なリスク評価の信憑性がなければ、政治判断の根拠も疑わしいものになってしまう。全ては、リスクを正当に評価できるという前提が必要なのであり、それを否定するような行動はどちらの側にとってもマイナスなのである。

少し話は逸れるが、先日の土曜日の日テレの「ウェークアップ!ぷらす」に出演していた日本維新の会の橋下代表が、第3極の結集に関連して原発に関する考え方を説明していた。マスコミでは「反原発」とひとくくりにするが、橋下代表のポイントは「現在の原発政策にはルールというものが存在しない。この誰もが納得するルールを確立するのが大切。」という様なものであったと思う。つまり、このルールがなければ必然的に「脱原発」となり、安心できるルールがあれば、大局的な視点からの長期的なフェードアウトとしての「長期的な脱原発&短期的には容認」ということになる。この意味で、石原前都知事との間での着地点は見いだせると理解できる。しかし、この着地点はあくまでもルールの確立が前提だから、今回の様な「信頼できないルール」では着地点を見いだせない。

だから、原発容認派の人たちは、昔のような「盲目的な白紙委任」を期待するのではなく、誰もが納得できるルールを築き上げることの重要性をもう少し認識すべきである。そうでなければ、お先は真っ暗である。こんなこと、ちょっと考えれば当たり前のことだと思うのだが・・・。

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第3極に関する予想外の展開?

2012-11-06 21:44:12 | 政治
石原新党と日本維新の会の連携の先行きが不透明である。橋下代表は石原前都知事とは組みたいが、たちあがれ日本とは組めない(たちあがれ日本の力は必要ない)との立場である。一昨日のフジテレビの「新報道2001」に出演した石原前都知事の話しぶりからは、それほどの悲観的な感覚は見られなかったし、土曜日朝の日テレの「ウェークアップ!ぷらす」に出演していた橋下代表からも、その点は同様な印象を受けた。ただし、自民党が目指す年内解散総選挙のシナリオで何らかの協力体制を築き上げるならば、今月22日にあるかも知れない野田総理の解散の宣言をデッドラインとして臨んでいるはずである。あまりにも時間的に窮屈だから、新聞を見る限りでは報道各社は、第3極の結集は少なくとも石原新党に関しては厳しいと考えているようである。

ところが、昨日から今日にかけて、日本維新の会から新しい情報が発信されている。ひとつ目は、全国の都道府県の中心的な選挙区との位置づけであるという「1区」のすべてで候補者を擁立する方針を明らかにしたという。さらに松井幹事長曰く、「選挙区調整はお互いに配慮するという程度のものしかできない」とも語っている。ふたつ目の情報は、3日の京都での石原前都知事との会談の中でなされた合意として橋下代表からの伝えられた話であり、政策で意見が食い違った場合の対応として、「重要だから言うが、(石原氏側と)多数決で決めることで合致した。人間だから一から百まで全部一緒はない」と発言をしている。そして最後に、松井大阪府知事の発言として、「石原御大との対応については、橋下代表に対応を一任している」とトップダウンの決断で決着をつけ、長く尾を引かせることはないという方針を示している。

この状況から読み取れる情報は何であろうか?私は(毎度のことながら恐縮であるが)意外な決着になるのではないかと予想している。

最近の石原前都知事の言動を細かく聞いていると、今までの乱暴な発言が影を潜め、非常に慎重に発言している傾向が感じ取れる。その典型は、例えば中国を以前は「シナ」と半ば蔑視的な呼び方をしていたのに、最近は「チャイナ」と英語読みで発言している。憲法の破棄についても、一時期は頻繁に言ってきたが、最近は殆ど破棄という発言を聞かない。つまり、あれほど持論を曲げない人が、大局を見つめ、自らの持論を曲げてでも何とかしなければいけないという悲壮感を持って臨んでいることがわかる。その石原前都知事が上述の「多数決の原理」の提案を了承したということからは、ある程度の今後のシナリオの選択肢の絞込みが出来るのではないかと推察される。というのは、仮に選挙協力をしたり「日本維新大連合」を構築できたとしても、次期衆院選の後の議員数で見れば、たちあがれ日本系の議員は日本維新の会系の議員の数の足元にも及ばない。だから、実効的には「日本維新の会」は「たちあがれ日本」に政策の丸呑みを迫ることになり、それを石原前都知事が現時点で既に了承したことを意味している。そして、この石原前都知事のトップダウン的な決断に対して、たちあがれ日本系の議員達は、(1)石原前都知事についていく代わりに日本維新の会の政策を丸呑みする、(2)政策の丸呑みが出来ないから石原前都知事との決別を覚悟する、の2者択一を迫られたのだと私は理解した。結構無茶苦茶な2者択一なのだが、石原前都知事の意図はこの選択肢を読み替え、(1)これまでの因縁や個人的な好き嫌いを重視して現状に留まる、(2)全てを投げ打ってでもグレートリセットを実現して日本を再生させる、という2者択一を求めているのだと思う。この時、少なくとも石原前都知事と平沼前代表に関しては、そのグレートリセットの実現までは、全ての思惑を封印して橋下代表の力を最大限に利用する覚悟を決めたということなのだと思う。結局、そんな石原前都知事の無理難題にはついていけないと落ちこぼれる者と、それでもついて行く者に別れることになる。気がついてみれば、橋下代表(日本維新の会)が石原前都知事の一本釣り(正確には雑魚が何匹か着いて来ているが)に成功し、選挙後の国会議員団をまとめる国会内の司令塔に石原前都知事が君臨するというシナリオが完結するということである。

こうなると、当初はたちあがれ日本よりも関係が良好と思われたみんなの党は日本維新の会との統一会派から取り残され、比較的消極的な選挙協力(みんなの党の現職議員の選挙区と、日本維新の会が候補者を立てられなかった選挙区では、みんなの党の候補者を応援する)程度に収まり、実質的なガチンコ対決が見られるのかも知れない。ある意味、石原前都知事の政治的な臭覚の鋭さ・危機感の強さの結果というべきものかも知れない。

とまあ、勝手に予想させてもらった。実際のところはどうなるのだろうか?

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北海道の冬を侮ってはいけない!

2012-11-05 21:33:40 | 政治
先日より、大飯原発の活断層の調査が話題になっている。原子力規制委員会の田中委員長は、ルールとして活断層の可能性がクロ、ないしはグレーであれば原発の継続可動を容認できないという立場から、結果的に大飯原発の稼働停止を示唆している。同様に、北海道の泊原発に関しても、原発の安全基準ができるのはまだまだ先だから、早期の再稼働を容認しない方針も示している。あくまでも技術的な視点からの判断が求められる田中委員長の立場からすれば、至って自然な対応である。

しかし一方で、極寒の北海道における予想外の大規模停電は、多数の人命を左右する事態であることは明らかである。藤村官房長官は「冬の北海道で停電が発生すれば生命と安全に関わるので、政府として万全の対策をとる」と語り、枝野経産相も「冬の北海道で停電が発生することは道民の生命や安全に直結する」述べているから、少なくとも多少の危機感を感じていることは明らかである。しかし、一方で強制力を伴う指示などは全く出されていないから、実効的にどの程度に電力消費量が抑えられるかは怪しい。更に言えば、その見通しなどに関する精度の高いシミュレーションを行なったという情報も聞かない。北海道電力では老朽化した火力発電所も稼働させて急場を凌いでいるそうだから、その設備に不具合が起きた場合の対策など、とてもではないが真面目に対策を取られているとは思えない。もちろん、リスクというのは確率的なものでしかないから、何もしなくても何も問題が起きずに終わることも有り得る。多分、確率的にはその確率が最も高いのは事実だろう。仮に、100人の死者が出る確率が1%であったとすると、それが現実には多分ならないのであろうが、しかし常識的にはそのリスクは無視できないのである。しかし、そのリスクを考慮して原発再稼働などの動きを見せれば、選挙において致命的な打撃を受けるのは目に見えているから、選挙という視点で見れば原発再稼働も視野に入れた議論をはじめることは、彼らにとっては死活問題となりうる現実の「リスク」であるのだろう。だから、身動きが取れないでいるのではないか。

しかし、この無責任さは何処から来るのであろうか?

折しも、政局は末期的な状況で、特例公債法案や1票の格差是正の法案も自民党の賛成でスラッと通りそうな勢いであり、12月16日の都知事選とのダブル選挙もあながち不可能な話ではなくなっている。となると、年内に政権は自民党政権となり、バトンは安倍総裁に渡されることになる。北海道の電力不足は来年1月から2月頃がピークだから、その頃は自民党が政権を握り、仮にそのタイミングで大停電が起きてもそれは時の政権担当者である自民党の責任に転嫁できる。その逆に、自民党が政権を握るなり泊原発の再稼働を指示したとなると、それはそれで安倍政権を攻撃する格好の攻撃材料にもなる。来年の参院選までに自民党に壊滅的な打撃を与えようと思えば、最も強力な武器である対立軸は原発問題だから、自らが政権を追われることは織り込んだ上で、政権が交代した後でどちらに転んでも「選挙的」には好都合な「地雷」と見ることもできる。しかし、それは国民の命を弄んだバクチなのである。

多分、今国会の中でふたつの法案の成立の目処が立てば、予算委員会や党首討論などの機会が設定され、そこでこの手の問題も含めた議論がなされるはずである。そこで、安倍総裁には是非とも野田総理に確認をして欲しい。原発停止に伴い、電力供給に不足が生じ、予想外の停電が発生することになる場合の問題の責任は誰にあるのか?そして、それが問題であればその対策を打つのは誰の責任なのか?更には、泊原発が停止したままで、老朽化した火力発電に不具合が生じ、大幅な電力不足になるリスクをどの程度と捉え、その様な致命的な事態に対する対策を何処まで打っているのかを確認して欲しい。ここまでの間原発を推進してきた立場から、今となって急に原発を停止しておきながら、「(電力不足となる)責任は一義的には電力会社にある」などと、まかり間違っても言いはしないだろう。さらには、まかり間違っても「原子力規制委員会が再稼働を認めないから仕方がない」とも言わないだろう。その流れの中で、民主党のその場凌ぎのエネルギー政策の詭弁を追求し、内閣不信任案につなげて欲しい。

私が知る限り、北海道の電力供給は全ての発電所に何らトラブルが発生しないことを前提に乗り越えられる見通しであり、とても余裕などないはずだ。一方で、浜岡原発の様な具体的な自然災害のリスクが指摘されている訳でもない。であれば、もし仮に年内に政権交代が成立するのであれば、新政権では各リスクを短時間で精査し、緊急の原発再稼働も含めた決断を速やかに行って欲しい。勿論、冬が終わり急場をしのぎ切った段階で原発を再度停止することも前提の上でだが・・・。

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野田総理、中国の罠に騙されてはいけない!

2012-11-03 23:20:55 | 政治
昨日のニュースに下記のニュースがあった。

産経ニュース(2012年11月2日)「『尖閣』共同管理へ定期協議要求 対日工作トップに習近平氏指名 中国が方針

ここでは、中国政府が、尖閣をめぐり領有権争いが存在することを日本側に認めさせた後、尖閣周辺海域の共同管理などを話し合う定期協議を求めるとの対日外交方針を固めたことが分かったという。しかも、その対日工作のトップが習近平次期国家主席であるという。これには少々驚いた。
中国によれば、尖閣は核心的利益であるはずである。核心的利益とは一切の妥協を許さない、最低限度の防衛線のようなものであり、どれほど国際的にチベット問題を世界中から叩かれても、弾圧して支配することを止めたりはしなかった。尖閣もここまでのところ、実際には戦争を起こすつもりなど毛頭ないにしろ、戦争の一歩手前まで行くことを覚悟したチキンゲームのような様子を見せていた。やはり核心的利益として死守し、一気に尖閣を占領することはしないが、少しずつやることをエスカレートさせながら緩やかに中国の立場を強め、今以上に日中の立場が明確に差が付いた(中国が優位という意味)時点で、一気に勝負をかけるように企んでいると誰もが思っていた。しかし、今回の動きはそれとは逆行する動きであり、戸惑ってしまった。

最近の中国の中では、未だに権力の綱引きが引き続き、ちょっと前までの予測では習近平派が権力を掌握し、胡錦涛派がジリ貧であると言われていたように思う。8月中旬頃までは中国も比較的波風を立てない流れがあったが、8月下旬頃を境に、中国国内では習近平次期国家主席が対日強硬論をブチ上げ、流れが変わったという。日本政府が尖閣を国有化する報道が流れたのは9月5日であるが、一節ではそのだいぶ前から日本政府から中国政府に国有化の方針を伝え、石原前都知事の購入を防ぐことで両国間の関係を維持する方針を説明していたとも言うが、その微妙なタイミングで習近平次期国家主席が対日強路線で主導権を握り、胡錦涛もそれに従わざるを得なかったというように理解されていた。しかし、つい先日に明らかになった軍部のポスト争いでは胡錦涛派が盛り返し、習近平派も躍進したが胡錦涛派の方が相対的に立場が強まったと言われている。この軍部を掌握するということは、実質的には胡錦涛の院政に繋がる話だから、つまり習近平次期国家主席の権力が磐石でなくなったことを意味する。その様な流れの中での今回のニュースだから、見かけ上では対日強硬路線の転換と習近平次期国家主席の権力の縮小とがリンクしたようであり、それなりにつじつまが合っているように見える。

確かに、この様な傾向は事実としてあるのだろうと思うのだが、プラスアルファで別の意味があるのだと思う。つまり、安倍総裁が衆院総選挙を経て次期総理についた場合、中国側の予測として意外にも長期政権となる可能性を重く見て、タカ派とみなされる安倍総裁が次から次へと打つであろう手を事前に察知し、先回りして事前にその手を打てないようにする布石を打ってきたのではないかと考えた。上述のニュースでは、日本が領有権争いがあることを認めて共同管理すると主張するのだから、形なりにも実効支配をしている日本からすれば相当な立場の後退である。だから、当然、こんな提案にのることはできないのであるが、「問題の平和的解決の可能性」ともみられる可能性はあるから、野田総理が短期的な成果を求めて「交渉の席に着きましょう」と飲んでしまう可能性はある。そうなると、そこから先は一方的に尖閣に警察や自衛隊などの公務員を常駐させたり、何らかの設備をそこに作ったりすることは、交渉の流れを一方的に破棄することにつながるから、そう簡単には手を出せなくなる。一方で、尖閣周辺に定常的に漁業監視船や戦艦を徘徊させることは続けるだろうから、中国的には今よりも後退するものは何もない。小泉政権ですら5年だったから、4〜5年程度の安倍政権の間だけ静かにしていれば、その先はまた漁船を衝突させたりして交渉をリセットすることも可能である。言ってみれば、非常に短期的な戦略的棚上げ提案である。

だから、野田総理がこの罠に引っかからないよう、細心の注意を図らねばならない。そして、その様に中国が安倍政権を警戒し、さらには次期習近平政権も安泰でないというのであれば、それこそそこにチャンスはあるのである。だから、騙されてはいけないのである。

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歴史の捏造常習犯をあぶりだせ!

2012-11-02 23:16:41 | 政治
先日、面白いニュースがあった。

韓フルタイム(Livedoorニュース)2012年10月28日
『高句麗は中国の属国だった』米議会の報告書に韓国驚愕

早い話が、米国議会調査局が朝鮮半島情勢が急変した場合の中国が介入する可能性について検討を進めており、その中の報告書に中国の歴史認識についての紹介があるという。そこでは、「高句麗は中国の属国」であったと記述しており、これが韓国人の逆鱗にふれ、「アメリカによる韓国の歴史の捏造」と噛み付いたというのである。私はこの報告書について細かく調べたわけではないが、記事を読む限りではこの報告書の趣旨は、朝鮮有事の際の中国の行動を予測するにあたり、あくまでも中国が朝鮮エリアを歴史的にどの様に見ているかという歴史認識が参考になるとの考えの下で、(単なる歴史的な事実を明らかにするという視点ではなく)少なくとも中国がどの様に見ているかという情報を報告書にまとめたに過ぎないようだ。だから、韓国がこの報告書に噛み付くのは全く持ってお門違いであるのは明らかだろう。

ちなみに、この歴史的な背景がどうなっているのかを調べてみた。私が探した中では、下記の資料が最も詳しそうに思える。
新潟産業大学人文学部紀要 第16号 2004.6(金光林)「高句麗史の帰属をめぐる韓国・朝鮮と中国の論争

これを読んでいると、なるほど中国と韓国・北朝鮮の間の駆け引きが良く分かる。この資料の下段に記載のページ番号で言えば、141ページから142ページにかけて中国側の主張の根拠が記されており、それなりに納得できる。もちろん、韓国には韓国の事情があるのだから、この主張の正当性についてここで議論するつもりは全くない。しかし、注目すべきは2002年に(中国の国策研究的な色彩が強い)「東北プロジェクト」が開始された際、韓国の市民団体「我が歴史を正しく知る市民連帯」が「高句麗守護汎国民100万署名キャンペーン」なるキャンペーンを始め、20日間で100万人もの署名が集まったという。聞いた時点で???となるのだと思うが、今、議論しようとしているのは証拠に基づく史実はどうであったのかという点であり、それはズブの素人が署名して反対するようなものではないはずである。正論で言うならば、中国主導のプロジェクトに対し、韓国側の有識者の参加を求め、共同研究で真実を明らかにしようという議論が沸き起こるべきところである。しかし、その様なことをすると負けてしまうかも知れないので、正攻法では攻めずに、ゲリラ戦的な戦を挑むのである。

これは、韓国側のその他の全てのやり方と共通である。例えば慰安婦問題についても、本来ならば日本がグウの音も出ないほどに打ち負かす証拠を示すため、慰安婦本人に対する日本側からのインタビューに応じれば良いものの、実際の対応は「慰安婦側が一方的に自分達の主張を発言するための場であれば応じるが、日本側からの一切の質問には応じない」というのだから、仮に実際に韓国が主張する様な事実があったとしても、その不公平な対応の仕方からは「本当ですか?」と痛くない腹を探られる状況を自ら作っているとしか言いようがない。それで一方的に「日本は非を認めろ!」と言われても、常識的な感覚であれば素直に「ハイ」と言える訳がないわけで、だからこそFactベースでの議論の進展が望まれるのである。イミョンバク大統領は、「彼女たちが生きている間に問題を解決したい」と言っているが、彼女たちが死ねば(日本側からすれば)強制連行を否定する証拠がなくなるため、日本側からすれば一刻も早く彼女たちにインタビューさせてくれと言いたい所だが、絶対にそれには応じようとはしない。この意味で、こう着状態が延々と続くのは日本側の主張を裏づける証拠を失う可能性がある訳だから韓国側は好都合であり、これがFactベースでの議論の進展を阻んでいると考えられる。

話が逸れてしまったが、先日も中国側の万里の長城の長さがゴム紐のようにビヨーンと伸び、それを称して韓国は「中国の歴史の捏造がまた始まった」と非難していた。これらの一連の話題からは、どの国にもその様な側面があるのは否定しないが、特に中国、韓国、北朝鮮にはその様な「勝者による歴史の押し付け」の傾向が強くあり、真の史実ではなく、如何に自分の都合の良い歴史観を他人(及び自分たちにも)に刷り込むかが重要になってくる。今回のアメリカ議会の話にしても、史実は横に置いた上で、アメリカ議会を強く非難することで自らの歴史観を押し付けていることが際立っている。

少なくとも、中国と韓国の主張が異なっているということは、一方は史実に反することを主張していることは確実なのだから、今回の論点では中国、韓国のどちらが正しいかの論争に付き合うのではなく、彼らは自らの「歴史観を押し付ける傾向が強い」ことを事実としてアピールし、彼らの主張と他国の主張が対立する場合には、ひとつひとつを証拠に照らし合わせて確認してから事実と認定する必要があると訴えるのが重要である。そして、それは尖閣や竹島、南京事件や慰安婦問題などの日本を間に挟んだ歴史問題についても同様であり、「何処までが証拠と合致して何処からが証拠と矛盾するのかを、第3国であるアメリカの専門家も交えて調査しませんか?」とアピールすれば、アメリカ人も「日本の主張のポイント」を理解してくれるのではないかと思う。

余談ではあるが、先日、韓国政府の研究機関の院長という要職にある人が、竹島に絡む日本との領土問題を解決するために、「日本側が韓国の領有権を認めることを条件に、周辺海域を日韓で共同利用する」という提案をしたという。日本側から見れば、とてもではないが許容できない無茶苦茶な条件を提示しているのであるが、この発言が国民の反発を買い、辞任に追い込まれたのだという。つまり、圧倒的に韓国に都合の良い主張から外れたことを言う人は全て「国賊」として扱い、Factベースや正論を語ることはもちろんのこと、一歩でも前に進めようという真摯な対応にもとづく議論は許されないことを意味する。日本国内では言論の自由が保証されているから、韓国側よりの発言をする人から右翼的な強硬論者も合い混ざり、あらゆる視点からの議論を行える土壌がある。しかし、かの国では(中国よりはましかも知れないが)言論の自由がないのであるから、将来的な意味では非常に危険な可能性を秘めている。

多分、これは自由と民主主義のアメリカ人には受け入れられない傾向なのだと思う。アメリカ議会の報告書に驚いた韓国人以上に、その韓国人のリアクションにアメリカ人は驚いたのだろう。この様な機会に、ことの真実(偏ったものの見方をすること)を世界に諭してやる努力を、日本はもう少しまじめに取り組んだ方が良い。それは、日本政府は直接やりにくいだろうが、自由な立場の国会議員やマスコミの重要な仕事のひとつでもあるはずだ。

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安倍総裁に込める期待!

2012-11-01 23:57:43 | 政治
昨日のブログで、関西テレビ「アンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ”での過去のメタンハイドレートに関する放送について触れたが、どうやら昨日の放送でも話題になっていたようだ。この番組は関西ローカルなので私は(関西の住人ではないので)見ることができないが、翌日以降に公開される「ぼやきくっくり」さんのテキスト起こしを見ることで、詳細な内容を知ることができる。昨日ブログを書いた時点ではどの様な放送かを知る前だったが、青山繁晴さんも私が抱いていた疑問に答える様な内容を紹介してくれたし、今後の日本の発展において日本海の採掘推進が鍵を握り、これが資源を持たざる国から資源を持つ国への転換になるということで、同様の希望を語っていた。色々な障害はあるのだろうが、地方自治体の首長が全面的な協力を打ち出しているのと同様に、来るべき安倍政権では是非とも日本再生のためにこれを推し進めて頂きたい。

さてここからは話は変わって、自民党の安倍総裁についての私の評価を少しここで書かせて頂きたい。実は私は、地獄を見た人の強さは安倍総裁に感じている。

では順番に見ていこう。安倍総裁の評価をする上で、最もポイントとなるのは将棋で言えば何手先までを見通しているかという点である。民主党の悪いところは、1手先までしか読めていないということである。目先の問題だけに集中し、それがその後に自分の身にどの様に降りかかってくるかを考えていない。その最初の出来事は鳩山元総理の普天間基地の海外移設発言である。消費税増税法案への造反組に対する甘い処分もそうだし、最近の脱原発宣言も同様で、アメリカや青森県の反発などを何も考えずに、短絡的な判断で下された結論だろう。とにもかくにも、こんなやり方で日本を良い方向に導くことが出来る訳がないし、特に相手がある外交では好き放題に攻め込まれるのは目に見えている。だから、安倍総裁が何を考えているのかが気になるところである。

そこで重要なのは、解散を勝ち取るのは良いとして、その総選挙後の戦略をどの様に考えているかである。まずは参院では自民、公明では過半数を確保できていないし、衆院でも自公で過半数に達するかどうかは微妙である。もっとも参院選はすぐ目の前だから、衆院選後の初期対応を誤らなければ衆参で過半数を獲得して捻れを解消することが期待できる。こう考えると、衆院選後の連立政権としてどの様な連携を思い描くかが鍵となる。最近は勢いが衰えたとは言え、日本維新の会の躍進は見込まなければならないので、誰もが自公維新の連立を予想するのであろうが、この時、みんなの党と維新の関係は微妙である。これまた不透明なのではあるが、この関係が強まった場合には、維新とは連携するがみんなの党とは敵対するというシナリオはリスクが大きい。だから、(石原新党も考慮すべきであるが)「自公維新みんな」の連立政権を構築するうえでのハードルは取り除かなければならない。では、安倍総裁のスタンスはどうであろうか?

まず、消費税増税であるが、安倍総裁は法案の中の景気弾力条項の有用性を示唆し、来年10月までに景気回復が期待できなければ増税時期の延期も止むなしという態度を示している。小沢氏などの様に、ポピュリズムのための増税反対側に重心を置いた対応とは異なり、増税賛成側に重心を置きながらも闇雲な増税には慎重な姿勢を示すというのは妥当な判断である。これならば、少なくとも来年10月まではみんなの党も文句は言わないだろう。次にTPPであるが、安倍総裁は例外なき関税撤廃を前提とするTPP参加には反対だが、それは交渉次第でどうにでもなることだから、まずは協議には参加すべしというスタンスである。もし、最終的に日本に不利益な内容となればTPPから離脱すれば良いという条件であれば、これまたみんなの党も反対はできない。ついでに原発問題に関しても、まずは原発の安全性を厳しく審査して、安全を確認できなければその原発の存続を認めず、安全と判断できる原発に限定して再稼働を認めるという立場である。勿論、安全と判断される原発が存在すると安倍総裁は確信しているから、結果的には脱原発には否定的だ。しかし、安全性の厳密な審査という意味ではみんなの党も与党という立場から原子力規制委員会の監視や各電力会社の指導を行うことは有益なので、「問答無用」と脱原発を進めるのではなく、アメリカや青森県などとの調整も図った上での現実味のある将来の脱原発に向けた取り組みを示すために、政権与党に加わるという選択肢は当然残る。最悪でも、閣外協力という形で日本維新の会の政権入りを邪魔しない関係を期待することはできる。

この様に考えると、安倍総裁の立ち位置は、気がついて見ると意外に好位置につけているのである。さらに、最近の特例公債法案への協力表明などを見ると、衆院選後の半年程度、衆参で捻れが継続しても、その時の野党が「反対のための反対」をしにくい環境を整えている。ついでに言えば、これはあくまでも偶然なのかも知れないが、石破幹事長の処遇を仮に重要閣僚ポストに起用するつもりで温存していたら、外国人献金問題が明らかになった時点で計画が大幅に狂うことになる。党側の要職につけたことは、結果的にその後の問責などのリスクを回避することにつながり、人事で大きく失点した前回の反省を踏まえ、身体検査を徹底するための調査をかなり早い段階から行っていたのかも知れない。また、総裁直属の検討・実行本部として「日本経済再生本部」「教育再生実行本部」に加え、外交に関しても同様の本部を設置し、自らの目指す政策を実行に移すための準備に怠りがない。

昨日の代表質問での評判はそれほど良くなかったが、例えば党首会談後の「この後に及んで、『トラスト・ミー』と言われて信用できるか!」とか、鳩山元総理や菅元総理を民主党の外交、エネルギー政策に関する最高顧問とする人事に「ブラックジョークか!」とツッコミを入れるなど、所々での発言も結構まとを得たものが多い。細かいことは省略するが、経済政策や外交などにおいても、非常に理にかなった発言をしていて、日本再生の本気度がうかがい知れる。

勿論、それなりにバイアスがかかった評価・発言であることは認めるが、そう的を外してはいないのではないか?安定政権が誕生すれば中国も韓国もそう無茶はできまい。何故なら下手をすれば、4年先まで関係は改善できなくなるからだ。日米同盟を強固にし、世界に対する情報発信を積極的に行い、歴史問題でもFactベースの議論を前提に真摯に向き合えば、国際的な日本のポジションは改善できる。メタンハイドレートなどを含めて日本再生を目指す仕組みを取り組み、実体経済を反映した為替レートに誘導すれば、日本メーカの復活にも繋がる。税収が増え、プライマリーバランスが黒字化すれば、ギリシャ化の危機からも脱することができる。

どこまで行けるかは分からないが、少なくとも私には夢を感じることができる。是非とも、早期の解散総選挙を期待したい。

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