けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

戦略は細部に宿る!

2012-11-19 22:36:26 | 政治
この週末から各党は一斉に選挙モードでTV番組に出演して主義主張を訴えている。今日のテーマは、如何にして各政党の差別化を図るかについての提言である。

TVに出演していた民主、自民、日本維新の会の主張を聞いていると、以外に共通項は多い。キーワードは「官僚支配の打破」となるのだろうが、こう言えば誰もが賛成なのだろう。それは共産党や社民党ですら同じである。しかし、事の本質は耳に心地よいスローガンではなく、その背景にある実現のためのアプローチなのである。だから、テレビや公開の討論会などではその具体的な実現方法の細部をどれだけ具体的に候補者が語れるか、そしてマスコミは聞き手としてどれだけ細部を具体的に説明できるかを炙り出していく必要がある。

例えば、政治主導という言葉が民主党政権では良く使われた。誰もが納得していたのだろうが、民主党の政治主導の意味するところは我々の予想とは遥かにかけ離れたものだった。それは単に「官僚外し」であって、田中文科相の不認可問題などが分かりやすい具体的なものであろう。どう考えても、官僚とその辺の政治家と比べれば、ポイントを絞れば圧倒的に官僚の方が知識を有しているケースが多い。官僚を議論で論破できるのは、最近では森本防衛大臣、ちょっと前なら竹中平蔵氏(様々な大臣をこなしたが・・・)程度で、多分、95%以上の大臣は官僚に細かな議論では太刀打ちできない。官僚はそれほどまでに専門知識を持ったプロ集団なのだから、実際には彼らの力を120%引き出すのが大臣の仕事なのである。そして、彼らが仮に省庁優先の国益に反する行動、例えば天下り先への便宜誘導や、少しでも多くの権限を握り続けることで自分達の発言力を維持させようと、私利私欲を優先させた行動をとろうものなら、それを直ちにぶった切り、正しい国益を官僚に浸透させ、日本のために働くように誘導することが求められる。その実現のためには、個別の具体的な政策のアプローチを如何に細部まできっちりと指示できるかが重要である。この辺は、竹中平蔵氏の「戦略は細部に宿る」という言葉に象徴される。

小泉郵政改革は、財政投融資という郵貯マネーを当てにした歪んだ政策を正すために、人によっては本末転倒とも思える郵政民有化を最優先課題として据えた。郵政改革は民主党による巻き返しもあり道半ばではあるが、しかし最終的には特別会計などで自由に使える紐付きのお金を切り離すことにより、ボディブローのように中長期的にはその効果が効いてくる。変な例えで恐縮だが、単なる「嘘つき呼ばわり」が野田総理の突然の解散を引き出したように、この様なボディブローは実は非常に有効なのである。だからというのも唐突だが、お金を使うところ(地元自治体)になるべく近いところに地方分権として予算編成権を委譲していく道州制というアプローチが、無駄なお金を撲滅するのに近道であるというのは説得力がある。小泉政権を引き継いだ安倍政権もその様な行財政改革を志向していたが、ドラスティックにシステムを変えるところまで踏み込む前に自滅した。ちなみに、福田、麻生政権では地方分権や官僚制度の改革については非常に後ろ向きではあったと思う。実際、渡辺喜美みんなの党代表などは、福田政権でハシゴを外されて自民党を飛び出したのだから・・・。この意味では、例えば自民党であれば「所謂自民党」の評価と「安倍自民党」の評価は分かれるかも知れないが、今回は「安倍自民党」での評価を行うべきである。同様に、変な議員も混在する「日本維新の会」ではなく「石原&橋下日本維新の会」を評価すべきである。民主党も基本は「野田民主党」であるが、この党は常にクーデターを企む勢力が多いし、TPPを始めとする新マニュフェストも党の総意とは言いにくいプロセスで進めているので、少し???マークは残る。この辺は微妙である。

さて、話が大きく逸れたのでもう一度最初の話に戻して良く見ると、橋下代表代行や石原代表は地方自治体の首長として、謂わば、小さな大統領として予算執行を直接行ってきた人間として、本当に地方自治体で必要なお金が適切に配算されていないことを痛感してきた。自由なお金があれば、何処にどの様にお金を使うかのアイデアもあるのだろう。だから、その様な自由な裁量の与えられるシステムが如何なるものかを思い描くことが出来ている。そして、それはかなり細部にまで踏み込んだ具体的なものになるのだろう。方向性としては細部までを指示できれば、後はそれを矛盾のない法案にしたり、細かな制度・組織を構築する部分をその道のプロである官僚が設計できる。政党に求められるのは、その何処まで細かな指示ができるかの能力である。そこを問わずして、星取表的な短絡的な比較で優劣を判断などはできない。

原発についても叱りである。民主党は2030年代中に原発ゼロと言うが、六ヶ所村の再処理の継続や認可済みの新設原発の容認などとの整合性が取れない。更には、例えば化石燃料の高騰と高価買取を約束する太陽光発電のコストから、電気料金が一般家庭で月1万円が1万5千~2万円へと跳ね上がると言われている。これは年間で6万から12万円の支出増である。年収400万円であれば、12万円で3%増に相当する。さらに電気料金の高騰が商品の製造コスト増につながり、物価が上がることになる。一般的な物価が上がっても、一部の企業ではそれを価格に転嫁できずに据え置くことになれば、その損失を補填するために社員の人件費を圧迫するしかない。収入が減って物価が上がり、そして電気料金が上がる。消費税を3%ないし5%アップするのとは比較にならない家計へのインパクトである。さらに言えば、六ヶ所村の再処理過程で生じる(原発に転化可能な)プルトニュウムの保持をアメリカが許容するのは原発での再利用が前提だから、それを否定すればアメリカはプルトニュウムの保持も認めず、日本政府はその処理でさらにややこしいことになる。最終処分場のめどが立たない現時点ではこれは致命的である。多分、野田政権が閣議決定できなかった最大の理由はここにあるだろうから、原発ゼロと主張する政党は、これらの経済インパクトへのシミュレーションを何処まで行い、そして最終処分場に対して短期で如何にして解決するのかの見通し、戦略を説明する必要がある。しかし、その答えに相当する細部までを戦略を持って語れる政党は存在しない。幸いにも、日本維新の会は太陽の党との合流を通して、脱原発依存というソフトランディング路線に軟着陸させた。現在の風潮は、脱原発でなければ人間にあらずというところがあるが、であればその実現のための細部を戦略的に語って欲しい。「政権にないから詳しいことは分からないが、そんなの『エイヤ!』で何とかなるさ!」というのは民主党が歩んで失敗した道である。この期に及んで、元民主党で失敗したA級戦犯が柳の下の2匹目のドジョウを狙っているのは信じがたい。せめて、それぐらいは他の政党と区別して欲しいものである。

だから、候補者はどれだけ政策の細部を語れるか、そしてマスコミはどれだけ細部を炙り出せるか、そこにフォーカスして選挙というものを見守って欲しい。

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