昨日から党首討論が行われている。昨日はニコニコ動画のインターネット中継、今日は日本記者クラブで行われた。昨日のインターネット中継は見たが、何ともつまらない運営で欲求不満が溜まった。今日の日本記者クラブの党首討論はニュースで見る限りかなり面白かったようだが、そんなものがあると知らずに中継は見そこねた。残念である。
そんな今日の党首討論では、まずは日本維新の会の石原代表がポカをやってしまった。原発の将来的なフェードアウトという公約をうっかり忘れ、記者からの質問に「(方針を)直させた!」と言い切ってしまい、記者から「公約では直ってないので直させてください」と言われて約束してしまった。以前に減税日本とたちあがれ日本が合流すると発表した際に、橋下大阪市長が「石原さんのマネージメントには疑問を感じる」と言っていたが、やはり、ふたりで共同代表にしなかったのは橋下代表代行のマネージメントの失敗だと思う。一方、日本未来の党の嘉田代表は記者からの「8割が小沢さんの党出身だが・・・」との指摘に対し、「小沢さんを使えないで、どうして官僚を使えるのか?」と切り替えした。十分に考えておいた切り替えしなのだろうが、これはアッパレというところだろう。この辺は、好きとか嫌いとかとは関係なく、客観的に得失点を評価すべきだろう。
そんな中で、自民党の原発政策について、野田総理は「10年もかけてベストミックスを考えると言うことは、実質的には続原発ではないか!」と攻めていたが、これは変な話である。例えば、民主党の2030年代までに原発ゼロというのは、みんなの党の2020年代中の原発ゼロからすれば「甘っちょろいことを言うな!」となるだろうが、日本未来の党の10年で卒原発からすればみんなの党の主張は「そんな悠長な・・・」となる。しかし、現時点で大飯原発しか稼動していない状況(しかも、活断層が指摘されて風前の灯の状態である)を前提とすれば、このまま再稼動を許さないという即脱原発派の共産党などからすれば、「10年かけるならば、結局、再稼動容認じゃないか!」ということになる。多分、首相官邸の周りでデモをする人達にとっては最も説得力のあるのは共産党であろう。つまり、「脱原発なんてやろうと思えば簡単にできる!」という前提に立てば、原発ゼロの時期は早ければ早いほど良いのである。国民の生活が第一なども、そのウケが良いのが分かっているから、元々は日本未来の党よりもラディカルな主張をしていた。ちなみに日本未来の党は多くの元民主党員を抱えながら、民主党が政権を取っても実現できなかった子供手当て(実質、月2万6千円相当)をはじめとするバラ撒き生活を復活させ、この期に及んでその様な政策が「出来るという前提」で提案している。
しかし、ならば私は聞きたい。何故、野田総理が民主党の掲げる「革新的エネルギー・環境戦略」を閣議決定で採用できなかったのか?を・・・。当然、それには色々な理由があるのだろうが、どうしても有耶無耶にできなかった「原発ゼロに必須でありながらクリアできない高い高いハードル」が最低ひとつあるからである。それは、原発ゼロを目指すならば核燃料サイクルの見直しは不可欠だが、それを認めると核兵器製造に必要なプルトニウムを拡散させてはいけないという世界中の常識の中で、「既に核燃料サイクルで生まれた膨大なプルトニウムを即座に処分しなければならない!」という強硬な要求がアメリカからあったからである。民主党政権は、そのための道筋がどうしても描けなかったのである。この即座の処分というのは、正確なアメリカの認識は良く分からないが、少なくとも脱原発のゴールである2030年代(30年先)からは遥かに手前の時期である。北朝鮮やイランなどの核開発に対して厳しいことを言う以上は、処分のデッドラインは例えば数年というスパンかも知れない。実際には地下深くに頑丈な最終処分場を建設したり、最終処分の具体的な方法を定める(技術を開発して安全性も含めてオーソライズする)のに数年かかるならそれを許容することは出来るかも知れないが、その最終処分場を何処にするかはせめて1年以内に決めろと迫られるかも知れない。
しかし現状はといえば、除染で生じたホンの僅かの放射性物質を含むゴミを一時的に保管する中間保存施設を、既に相当汚染された福島県内のある地域に決めるだけでもすったもんだしている。ましてや、除染のゴミよりは放射線量は高い(ただし、少なくとも爆発したりするリスクは全くゼロ)放射性物質を含む焼却灰、汚泥などを処分する最終処分場に至っては、候補地を幾つか指名するところまでは民主党政権で行ったが、実際には受け入れが実現するかはさらに怪しい。一方で、本丸であるプルトニウムは原爆の材料だから、気持ちの上では焼却灰とプルトニウムの差は、少なく見積もっても水鉄砲とミサイルの処分ぐらいのハードルの高さだろう。仮に米軍機がミサイルを田んぼに落としていったのを発見して「自衛隊に引き取ってくれ!」と言っても、自衛隊は米軍に依頼して自らは引取りには来ないだろう。しかし、プルトニウムをアメリカは引き取ってくれないから、これは日本国内で処分するしかない。東日本大震災の被災者のためであっても、取るに足らない些細なリスクすら背負う覚悟のない日本国民に対し、国家の強制力を使わずして最終処分場を決めることなど絶対にできない。これが出来るのは、きっと衆院、参院の双方で2/3以上を連立政権で押さえ、且つ、対抗する政治勢力が殆どいないという体制翼賛会的な状態になったときだろうが、そんな状態がこの先10年程度で生まれることはないだろう。寧ろ、一般的には振り子の揺れはあるだろうがその揺れ戻しにビクビク怯える政治がしばらくは続くことは容易に予想できる。であれば、「どうせその責任が問われる時には俺はその場にはいないから言ったモン勝ち!」という気持ちがなければ、少なくとも核燃料サイクルの継続を否定しなければならない30年以内の原発ゼロを宣言できたりしない。
政権に近ければ近いほど、その責任を問われるリスクが高いから、いつぞやのルーピー総理の二の舞にならないように、リスクを薄くするための(原発ゼロの達成時期の)先送りを言わざるを得ない。原発ゼロ度の高さを軸に各政党の位置づけをすれば、自民党<日本維新の会<民主党<みんなの党<日本未来の党<社民党<共産党となるが、政権への近さでいえば自民党>日本維新の会>民主党>みんなの党>日本未来の党>社民党>共産党と間逆に並ぶ。これは単なる偶然ではないだろう。明らかに背後には意図があるのである。
野田総理はこの点を喉から手が出るほど党首討論で指摘したかったのだろうが、しかしそれを言ってしまうと何故閣議決定できなかったのかがバレてしまうから死んでも言えない。安倍総裁や石原代表ならそれを指摘しても良いと思うが、脱原発に後ろ向きとの印象を与えたくないためか、その指摘はなかった。であれば、記者の方から指摘しろよとも言いたいがそれもなかった。
この様な、真剣を相手の喉下に突きつける議論を私は望んでいる。まだ時間はあるのだから、何とか実現して欲しいものである。
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そんな今日の党首討論では、まずは日本維新の会の石原代表がポカをやってしまった。原発の将来的なフェードアウトという公約をうっかり忘れ、記者からの質問に「(方針を)直させた!」と言い切ってしまい、記者から「公約では直ってないので直させてください」と言われて約束してしまった。以前に減税日本とたちあがれ日本が合流すると発表した際に、橋下大阪市長が「石原さんのマネージメントには疑問を感じる」と言っていたが、やはり、ふたりで共同代表にしなかったのは橋下代表代行のマネージメントの失敗だと思う。一方、日本未来の党の嘉田代表は記者からの「8割が小沢さんの党出身だが・・・」との指摘に対し、「小沢さんを使えないで、どうして官僚を使えるのか?」と切り替えした。十分に考えておいた切り替えしなのだろうが、これはアッパレというところだろう。この辺は、好きとか嫌いとかとは関係なく、客観的に得失点を評価すべきだろう。
そんな中で、自民党の原発政策について、野田総理は「10年もかけてベストミックスを考えると言うことは、実質的には続原発ではないか!」と攻めていたが、これは変な話である。例えば、民主党の2030年代までに原発ゼロというのは、みんなの党の2020年代中の原発ゼロからすれば「甘っちょろいことを言うな!」となるだろうが、日本未来の党の10年で卒原発からすればみんなの党の主張は「そんな悠長な・・・」となる。しかし、現時点で大飯原発しか稼動していない状況(しかも、活断層が指摘されて風前の灯の状態である)を前提とすれば、このまま再稼動を許さないという即脱原発派の共産党などからすれば、「10年かけるならば、結局、再稼動容認じゃないか!」ということになる。多分、首相官邸の周りでデモをする人達にとっては最も説得力のあるのは共産党であろう。つまり、「脱原発なんてやろうと思えば簡単にできる!」という前提に立てば、原発ゼロの時期は早ければ早いほど良いのである。国民の生活が第一なども、そのウケが良いのが分かっているから、元々は日本未来の党よりもラディカルな主張をしていた。ちなみに日本未来の党は多くの元民主党員を抱えながら、民主党が政権を取っても実現できなかった子供手当て(実質、月2万6千円相当)をはじめとするバラ撒き生活を復活させ、この期に及んでその様な政策が「出来るという前提」で提案している。
しかし、ならば私は聞きたい。何故、野田総理が民主党の掲げる「革新的エネルギー・環境戦略」を閣議決定で採用できなかったのか?を・・・。当然、それには色々な理由があるのだろうが、どうしても有耶無耶にできなかった「原発ゼロに必須でありながらクリアできない高い高いハードル」が最低ひとつあるからである。それは、原発ゼロを目指すならば核燃料サイクルの見直しは不可欠だが、それを認めると核兵器製造に必要なプルトニウムを拡散させてはいけないという世界中の常識の中で、「既に核燃料サイクルで生まれた膨大なプルトニウムを即座に処分しなければならない!」という強硬な要求がアメリカからあったからである。民主党政権は、そのための道筋がどうしても描けなかったのである。この即座の処分というのは、正確なアメリカの認識は良く分からないが、少なくとも脱原発のゴールである2030年代(30年先)からは遥かに手前の時期である。北朝鮮やイランなどの核開発に対して厳しいことを言う以上は、処分のデッドラインは例えば数年というスパンかも知れない。実際には地下深くに頑丈な最終処分場を建設したり、最終処分の具体的な方法を定める(技術を開発して安全性も含めてオーソライズする)のに数年かかるならそれを許容することは出来るかも知れないが、その最終処分場を何処にするかはせめて1年以内に決めろと迫られるかも知れない。
しかし現状はといえば、除染で生じたホンの僅かの放射性物質を含むゴミを一時的に保管する中間保存施設を、既に相当汚染された福島県内のある地域に決めるだけでもすったもんだしている。ましてや、除染のゴミよりは放射線量は高い(ただし、少なくとも爆発したりするリスクは全くゼロ)放射性物質を含む焼却灰、汚泥などを処分する最終処分場に至っては、候補地を幾つか指名するところまでは民主党政権で行ったが、実際には受け入れが実現するかはさらに怪しい。一方で、本丸であるプルトニウムは原爆の材料だから、気持ちの上では焼却灰とプルトニウムの差は、少なく見積もっても水鉄砲とミサイルの処分ぐらいのハードルの高さだろう。仮に米軍機がミサイルを田んぼに落としていったのを発見して「自衛隊に引き取ってくれ!」と言っても、自衛隊は米軍に依頼して自らは引取りには来ないだろう。しかし、プルトニウムをアメリカは引き取ってくれないから、これは日本国内で処分するしかない。東日本大震災の被災者のためであっても、取るに足らない些細なリスクすら背負う覚悟のない日本国民に対し、国家の強制力を使わずして最終処分場を決めることなど絶対にできない。これが出来るのは、きっと衆院、参院の双方で2/3以上を連立政権で押さえ、且つ、対抗する政治勢力が殆どいないという体制翼賛会的な状態になったときだろうが、そんな状態がこの先10年程度で生まれることはないだろう。寧ろ、一般的には振り子の揺れはあるだろうがその揺れ戻しにビクビク怯える政治がしばらくは続くことは容易に予想できる。であれば、「どうせその責任が問われる時には俺はその場にはいないから言ったモン勝ち!」という気持ちがなければ、少なくとも核燃料サイクルの継続を否定しなければならない30年以内の原発ゼロを宣言できたりしない。
政権に近ければ近いほど、その責任を問われるリスクが高いから、いつぞやのルーピー総理の二の舞にならないように、リスクを薄くするための(原発ゼロの達成時期の)先送りを言わざるを得ない。原発ゼロ度の高さを軸に各政党の位置づけをすれば、自民党<日本維新の会<民主党<みんなの党<日本未来の党<社民党<共産党となるが、政権への近さでいえば自民党>日本維新の会>民主党>みんなの党>日本未来の党>社民党>共産党と間逆に並ぶ。これは単なる偶然ではないだろう。明らかに背後には意図があるのである。
野田総理はこの点を喉から手が出るほど党首討論で指摘したかったのだろうが、しかしそれを言ってしまうと何故閣議決定できなかったのかがバレてしまうから死んでも言えない。安倍総裁や石原代表ならそれを指摘しても良いと思うが、脱原発に後ろ向きとの印象を与えたくないためか、その指摘はなかった。であれば、記者の方から指摘しろよとも言いたいがそれもなかった。
この様な、真剣を相手の喉下に突きつける議論を私は望んでいる。まだ時間はあるのだから、何とか実現して欲しいものである。
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