けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

『絆』は失われたのか?

2012-03-13 23:58:56 | 政治
今日の産経新聞によれば、「米紙ワシントン・ポストは11日までに、『昨年の悲劇は日本を停滞から目覚めさせるのに失敗した』と題した元同紙東京特派員の寄稿を掲載し、自治体ががれき受け入れを拒否している問題に触れながら、東日本大震災直後に世界から称賛された日本国民の連帯意識が失われかけていると警鐘を鳴らした。」と報じている。

震災瓦礫の話題は先日のブログ「ブースターロケットへ点火せよ!(野田総理の情報発信力)」でも取り上げたが、これはやはり政府側の対応のまずさに起因する。統計的には約17%程度の方ががれきの受け入れに反対だそうだが、多分、実際にはさらにその中の数%の強硬派の行動が問題を複雑にしており、政府の適切な対応で「生理的な嫌悪感から来る反対派」と「単なる不安から来る比較的消極的な反対派」を切り分ける必要がある。現状はその辺ができていないところに一番の問題があるが、しかしもう一点、忘れてはいけない問題を指摘しなければならない。それは、復興庁の機能不全の問題である。

先日の日曜朝の「新報道2001」には、復興相の平野大臣と宮城県の村井知事が出演していた。村井知事は防衛大学校から自衛隊に進んだ経験がある方で、礼節を重んじるところがある。初代復興相の松本龍氏との例のゴタゴタの映像の中でも、悔しさを噛み締めて、お客様に失礼がないように立てていた姿が痛々しかった。実は3月6日に村井知事は復興庁を訪れ、平野復興相に緊急要望書を提出している。40分程度の会談だったそうだが、震災復興のための復興交付金の申請に対し、宮城県県への初回配分額が申請額の57%にとどまったことを抗議したと言う。岩手県が95%であったというから、如何に酷いかがうかがい知れる。平野大臣は「今回は住まいと仕事に関わる事業を最優先とした。残りは継続的に対処する・・・」という趣旨の発言をし、村井知事も継続的な配算を約束されて矛を収めた。日曜日の番組内では終始穏やかな表情であったが、しかし、全自治体一律で住宅を優先して残りは後回しと判断するのか、全ての優先順位を自治体が判断するのかは、議論するまでもなく答えは見えている。本当に困っている人の顔が見えないところで、本当に必要なものを仕分けることはできない。実際、道路、堤防、学校、下水道などにはほとんど配算されなかったという。石巻市では、復興庁が示したガイドラインに沿って要望した防災無線の設置にすら交付金がつかなかった。平野復興相は「不要・不急の案件は後回しにした」とテレビで語っていたが、殆ど足を引っ張るための省庁と化していることを宣言したようなものである。

誰もが異論がないはずであるが、今回の震災復興に対しては「平時」のルールではなく「戦時(非常時)」のルールを適用すべきである。復興庁の第1の仕事は、この「戦時(非常時)」のルール作りを行い、各省庁を超越した旗振り役に徹しなければいけない。実際、番組に同席していた細野環境相は復興庁の位置づけを「各省庁に方向性を示す旗振り役」としているのに対し、平野復興相は「各省庁間の調整役」と位置づけていた。つまり、能動的に各省庁に指示する役か、受動的に各省庁からの要望を受けて調整する役かの違いである。言うまでもなく、被災者に寄り添い、必要な予算を組み、そのお金を被災地に割り当てる。その指示を各省庁に伝え、戦時ルールを徹底するのが復興庁の仕事のはずである。戦時ルールとは、例えば「事前査定」ではなく「事後査定」などのルールである。もし仮に不要不急の無駄な予算を上げてきたら、現時点では割り当てはするが3年後、5年後に事後査定して、その後の交付金の配算にフィードバックするというようにすれば良い。また、年度単位の決算を3年単位の決算に変えるなどして、過年度での計画を円滑に行なえるような土台作りでも良い。こうでなければ、年度末に残ったお金を無駄遣いしたり、逆にその様な事態にならないように、確実に使いきれるお金だけを要望するようなことになりかねない。

しかし、聞こえてくるのは平時のルールを振りかざして、自治体の主体性を削ぐようなことばかりしている。これは明らかに、リーダーシップの欠如である。政府としての公の位置づけがどうなっているのかは知らないが、本来であれば指揮命令系統としては復興庁は他の省庁に対して上位に位置づけられるべき存在だと思う。関東大震災の時の後藤新平帝都復興院総裁や、阪神淡路大震災の時の小里貞利震災対策担当大臣などは、その辺を理解した行動をとってきたのだと思う。しかし、概して民主党の閣僚は、総理を含めて大臣になった喜びが強く、その権力の大きさを弄ぶきらいがある。だから、その権力を誇示できる何かがあると、それをついつい無用に誇示してしまい、やらなければならないことが滞る。松本前復興相の辞任の顛末は有名であるが、平野現復興相もこの様な権力の誇示を感じさせる話題が幾つか聞かれる。リーダーシップの意味を誤解しているのではないかと疑らざるを得ない。

私の持論は、自民党の小野寺五典さんに復興大臣をやって頂くことである。何ならば、道州制を被災した東北3県に限定して広域特区的に適用し、緊急避難的に初代州長は選挙を行なわずに小野寺さんを任命するという形でも良い。あくまでも自治体の首長という位置づけであれば、政権与党と一線を画さなければならない自民党員としての立場とも両立できる。一方で、震災対応には与野党一体で取り込むと言うモデルの象徴にもなりうる。この様に思っていたが、当然の如く、そうはならなかった。

こうすれば良いのに、ああすれば良いのに・・・、ということが滞る状態を見て、外国の知日派記者が「『絆』は失われた・・・」と感じたのには納得できる。このままではいけない。

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