けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

消えた議事録を突破口に!

2012-03-01 22:58:22 | 政治
今日は色々と書きたいことがあるが、取り敢えず順番にということで、前回のブログ、「録音専用のライフ・ログ・レコーダについて」から少し間が空いた東日本大震災関連の議事録が未作成だった問題について書いてみる。

このブログの中で私は、当時の担当者が議事録を作成する時間がないほどテンパッていたならば、少なくともボイスレコーダに記録があるはずだと書いた。この辺が民間と国家の中枢とで違いがあるのかもしれないが、昨日の産経新聞の報道の中で「録音する了解を本部長(菅前首相)らからとることは困難な状況だった」と担当者が証言したことが取り上げられていた。ちなみに朝日新聞での取り上げ方は、「会議は閣僚が状況を共有する場と受けとめ、記録を取る意識が希薄だった」だとか「内閣官房が会議を運営していると受け取った(議事録は、他の省が取ってくれる)」というコメントが中心で、官僚の無責任ぶりに焦点を当てていた。同じ報道でもニュアンスが全く逆で、政治家が責められるべきか官僚が悪いのかが逆に扱われている。まあ、報道各社のスタンスの違いではあるし、官僚にも色々いるので無責任な官僚がいたのは間違いないのであろうが、しかし、常識的な感覚として、このままでは議事録が残らないかも知れないのでマズイと官僚であれば考えるだろうと思うのは自然である。まあ、裏を取った訳ではないので取り敢えず、この点は横に置いて先に議論を進める。

先程の録音に対する了承の件であるが、なるほど、国家の中枢ともなると、情報管理の観点から録音に関する規制がかけられていて、明文化されているかどうかは分からないが、最低でも会議に際しては録音の許可を本部長、会議の議長などに確認した上で行うべしというルールは存在したのであろう。であれば、産経新聞にはもう少し踏み込んで、そのルールが明文化されているのか、そのルールの適用範囲は何処までか(明文化されたルールでなくても、一般的な認識がどうなのか?)、罰則規定はあるのか・・・なども取材して欲しかった。

例えば、戦争となった時の国家安全保障会議の様な異常事態であれば、首相官邸の細かな情報漏洩が数十万人の国民の命に係わるかも知れない。だから、その様な機密性の高い情報に際しては、録音に関しても管理する必要があるのは理解できる。しかし、日本という国は「スパイ防止法」すら存在しないスパイ天国の国なのだから、国民の命に直結しかねない情報管理をおざなりにして、今回の様な「記録を残す意義」が存在する環境においてまで録音を禁止するというのはバランスを欠く。さらには国家公務員法には守秘義務が明記されているのであるから、録音した記録を外部に流出させたらその人には罰則が科せられる。しかし、本来は議事録を作成する義務のある官僚が、その義務の遂行に必要な情報として記録しているのであれば、会議中にメモを取るのと本質的には変らない。違いがあるとすれば、議事録では、本当は発言してしまった内容に対して後から訂正・削除して記録を残さないようにすることも可能であるのに対し、録音ではそれができないという点と、微妙な言い回しの詳細までバレてしまうぐらいだろうか。しかし、政治家にとってはたかだかこの違いが非常に重要で、自分の都合の悪い発言を記録に残さないために、録音を嫌うのだろう。

もう一歩踏み込んで提案させてもらうならば、私の予想では、それでも本当は録音していた官僚ないしは立ち会った専門家がいたと信じているので、録音したことに対する罰則(および、その後の省内での身分保証までを含む)を免除することと引き換えに、その手の情報を提供させるのである。何なら匿名でも構わない(匿名とは、例えばSDカードに録音データを収容し、パスワードをかけて保存する。紙にパスワードを書いたものとSDカードを別々の郵便に入れて、別々に事故調宛に郵送することで実現可能。SDカードが他者に渡っても保護できる。)。全ての録音でなくても良い。一部の録音であっても、その内容が原発事故調査委員会などで吟味されることを望む。合わせて、官僚たちが記録した膨大なメモも収集し、その記録を継ぎ接ぎして全体像を炙り出すのである。

もちろん、今回の様な非常事態を始めて体験する政治家が、100点満点の行動を取れなかったことで叩かれるべきかと言えば、それは酷なところも認める。阪神淡路大震災の時に、時の首相の村山元総理が初動の遅れを責められ、「何分、初めての体験だから・・・」と口にして責められた。その様な言葉を聞きたくないのは当然なので、発言として適切か否かは横においておくとして、村山元総理は「責任は全部私が取る。手柄は実行した担当者のもの」というスタンスで、65点ぐらいの留年にはならない程度の及第点を与えられる行動をとることができた。しかし今回の惨事では、この後に及んで国家の危機を自分の延命のため、民主党政権の延命のために悪用し、さらに誤った政治主導・官僚排除の考えのもと、王様気分で気まぐれな行動を起こし、それが全て裏目に出てしまったと言える。当然、手柄は全て自分のものとし、失敗の責任は全て官僚や東電に押し付け、しまいには党内の権力闘争で詐欺まがいのことまでやって平然としているのだから、後世への経験の継承のためにも、ひとつひとつの行動を検証しなければならない。一昨日の民間事故調の報告書に対するコメントで、自分の手柄だけ抜粋してコメントしたことがまさにその表れだ。

後世のために、何としてでも不幸な経験から何らかの教訓を学ばなければならない。当然のことであるが、当時の政権の膿をだすための追求であるから、民主党政権ではできるはずがない。だからこれは次の政権の行うべき仕事だが、その際に民主党が連立与党の一角にある場合には、追求の手が弱まるかも知れない。消費税増税の国会決議に際して、民主党の小沢一派は集団離党し、民主党は分裂するだろうが菅グループは現政権側に残り行動を共にするだろう。しかし大きな可能性として、次の選挙で菅前総理が落選する可能性は大いにあるだろうから、その際に菅グループがトカゲの尻尾切り的に「菅切り」すれば、少なくとも菅前総理の功罪(功は殆どないだろうが)を追求するチャンスはないわけではない。

何とも微妙ではあるが、次の政権には今回の東日本大震災対応、福島第1原発の事故対応について深く深く検証して欲しい。

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