けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

モラルの低さと中国のリスク

2012-03-27 23:40:36 | 政治
今日は「モラル」というブレーキの重要性について考えてみたいと思う。言いたいことは容易に予想がつくと思うが、隣国、中国のモラルの低さは、今後の世界の中で非常に大きなリスクである。解りやすいところでは、チェルノブイリ、フクシマの次に来る原発事故は、まず間違いなく中国であろう。そこでは、福島第一原発の様に徐々に事態が収束に向かうのではなく、チェルノブイリと同様に行き着くところまで行くことになるだけではなく、石棺による封じ込めもされることもなく、放置される可能性も否めない。原発事故でなくても、その他にも様々な問題が発生する可能性がある。あれだけ強大になった中国を押さえ込むことは不可能だから、そのリスクをどの様に捉えるのかということを、世界規模で考える必要があるのではないかと考えた次第である。

順番に議論することにしよう。まず最初に、福島第一原発の事故の話題から振り返ってみる。菅前総理は飛んだ勘違いをして、2011年3月15日に東電が福島第一原発を放棄して逃げると思い、「撤退したら東電は潰れる!」と恫喝した。

しかし、実はこれは間違いである。ここでの「撤退」とは、実はふたつの意味を持つ。実はこの日、多分、2号機のサブレッションプールの破損が原因なのだろうが、原発事故後、最大の放射性物質を放出することとなった。その影響かどうか知らないが、第1原発の南側5kmほどのところに設置されたオフサイトセンター内での放射線量が上がり、このオフサイトセンターに詰めていた人員を撤退させることになった。所謂「原子力村」の村長と目される東京電力の武藤栄副社長(当事)も、私の記憶では福島から本店(本社)に戻ることになった。これは単に、オフサイトセンターには放射性物質を含んだ塵が屋内に侵入することを防ぐ機密性とフィルターの設定が十分でなく、設計上の致命的な欠陥によるものであり、この撤退は残念ながら妥当な判断である。そして、もうひとつの大きな撤退であるが、福島第1原発でも危険性が高まり、当事の吉田所長が必要最低限の人材(70名前後?)を残して一旦撤退し、時期を見て復帰させることと決断した。もちろん、地震による損傷で様々な制御が出来なくなっていたのは事実ではあるが、ある程度の操作は重要免震棟から行なうことは出来たので、特定の人の被ばく線量を低く抑えるためには人数が欲しいところであるが、この程度の人材があれば必要最低限の操作は可能であると吉田所長は判断したのである。

世界にも「Fukushima 50」という言葉で報道されたが、勇気のある作業員が自らの命を顧みず、原発に残り最悪の事態を回避することが出来た・・・と報じられたが、実は、その数十名以外の人は逃げてしまったのではなく、吉田所長の命令で一旦退避しただけなのである。だから、当事の数百名の原発作業員全員が「英雄」として扱われてしかるべきなのである。

しかし、菅前総理はこれを「逃げた」と勘違いをしたのである。結果的に、この勘違いを民間事故調が評価することになったのは皮肉である。私は納得が出来ないところであるが・・・。

この英雄たちが英雄でいられたのには理由がある。それは「倫理観」「責任感」の高さ故である。もし彼らが無責任で、倫理観の欠片も持ち合わせていたならば、我先にと一目散に逃げ出して、気が付けば機器の操作に必要な最低限の人材すら確保できなくなるところだった。例えば、仮に3人だけが残ったとしよう。この3人で何が出来るだろうか?殆ど出来ることなど限られている。例えば手動でのベント作業を行えば相当量の被爆を覚悟しなければならないが、その被爆量をたった一人で受けたら急性の放射線障害で短時間で死に至ることになる。それでも、福島を救えない可能性は高いから、まさに「犬死」である。私がその3人に残ったら、相談して皆で逃げることにしていただろう。数十人、数百人の人材が残ることが出来たから、あの惨事はこの程度でおさまっていたのである。

このことが何を物語るかは明らかであろう。そう、倫理観のない国では原発を持ってはいけないのである。チェルノブイリ原発事故は旧ソ連で起きた。ソ連の人々の倫理観は良く分からないが、日本ほどではないにしろ、そこそこの倫理観はあったのだろう。格納容器は元々なかった上に圧力容器自体が爆発したのだから、事態は福島の比ではなく、事故処理に当たる際の被爆量は半端ではなかった。しかし、そこはお国柄で、人権感覚の皆無の中で軍人に命令をして対処させたのである。規律の厳しい軍隊では、敵前逃亡は下手をすれば銃殺であろう。だから逃げた人は殆どいなかったのだろうが、その代わり、公の統計には数字は出てこないが、噂では相当数の軍人がその後に放射線障害で亡くなったと言われている。当人にとっては冗談ではないが、ある意味、周辺国からみれば運が良かったと言えるかも知れない。

しかし、中国はどうであろうか?先日も、暴漢に襲われた女子高生が倒れていたところに村民と警察官が駆けつけたのに、警察官はその被害者を別の場所に移動して放置し、翌日保護されたというニュースがあった。その女子高生は命こそ取り留めたが、凍傷で手足を全て失う可能性があるという。薄々、生きていることに気が付きながら、しかも警察官という立場でその様なことをするというのは本当に信じ難い。その前にも、2歳の女児が車にひき逃げされたのに少なくとも18人の人が無視して立ち去った事件もあった。検索をかけると映像を見ることができるので私もその映像を見てみた。そのサイトには、あまりにも映像がショッキングなことを忠告するコメントがあったが、はっきり言って、その映像を見た後で私は吐き気をもよおすほど酷いものだった。まず、徐行した車がまず女児を引いてしまった。車は何かを引いたことを確認し停車する。その時点で、前輪と後輪の間に女児が横たわっていたのであるが、車の運転手はゆっくりと車を動かし、後輪がその女児の上に乗り上げた。少々勢いをつけないと乗り越えられないのでアクセルを踏んで、後輪が女児を乗り越えた。そしてそのまま車から降りることなく逃げていくのである。その動作はゆっくりとしたもので、勢い余ってやってしまったことではなく、明らかに本人は「なんか、やばいぞ!」と十分に気が付きながらも救助を行なわなかったのである。その後、道路で横たわるその大怪我をした女児を通行人は助けもしないし気に留めもしない。更に後から来た車は、平気でこの女児に乗り上げ引いてそのまま行ってしまった。とてもでないが、私は気持ちが悪くて最後まで映像を見ることが出来なかった。この女児はその後に死亡が確認された。

もちろん、日本でも幼い子供を家に残して50日以上も家を空けて遊びまわり、子供を餓死させた信じ難い母親の事件があった。「なんて酷い奴だ、信じられん!」と思ったが、周りの人はその事実を知らなかったのだから、誰一人それを助けることは出来なかった。もし、その事実を知った人がいれば、日本であればまず間違いなく救いの手が差し伸べられたであろう。それが良いかどうかは微妙かもしれないが、日本は「恥の文化」ともいわれ、周りの人の目がある中では無茶なことができないというブレーキが働き、集団的には常識的な行動を取ることが期待できる。どの世界でも、中には常軌を逸した犯罪者がいるもので、その様な犯罪者を事前に排除することは不可能であるが、その異常な犯罪者の周りには多数の良識がある一般人がいるのが普通であり、悲惨な事件が起きてもそれを目撃した人の多くが被害を最小にするための行動を取ることで、日本では多くの惨事を乗り越えてきた。

しかし、先の中国の事例はそれとは全く異なる事態である。多数の一般人が可愛そうな被害者の状況を把握しながら、誰一人、何もしなかったのである。これは、特異なごく一部の異常者のみに責任があるといえる状況ではなく、殆ど一般の人に良識を期待することができないことを指し示している。この様なお国柄の中で、原発事故が起きたらどうなることかと思うと背筋がゾッとする。しかし、その様な事態はかなりの確率で起こるものと思わなければならない。ここ数年の石油価格の乱高下は、日本でなくてもどこの国でも深刻である。所謂「オイルピーク」を今度こそ本当に超えたのではないかとの説もあり、火力発電所による安定的な電力供給はますます厳しくなる。地球温暖化防止を目的とした二酸化炭素排出量の規制を強めれば、中国は間違いなく原発の道を選択するであろう。かの国では、地元地域の了解など不要であろうから、国が「お国にために、ここに原発を作りますよ!」と言えば、多少の反対はあっても幾らでも建設できるであろう。特にここ数年内に建設開始された原発の数は数十を数え、今後もこの数は増えるであろう。大きな地震も有りうるが、それ以外にもヒューマンファクターに起因した事故ということも十分に考えられる。その様な事故が起きたときに、本当にこの国で事態を収束させることが出来るのだろうか?中国と日本とは距離は800km以上確保されているが、偏西風に流された放射性物質を含んだチリは、日本海や日本国土に流れてきて、雨が降った段階でそこに落下する。チェルノブイリでは、避難が好ましい高濃度汚染地域は半径600km以上にまで及ぶため、事故の規模と風向き次第では日本も危ない。韓国などは首都ソウル全体が強制避難地域に指定されてしまうリスクすらあるだろう。

流石にそんなことはないだろう・・・という期待がこれまではあったかも知れないが、もはやそんな楽観論は通用しないことが色々な意味で明らかになっている。やはり、この様なリスクを低減するためには「倫理観」「責任感」を中国に植え付けるしかないが、誰もそのための答えを持ち合わせていない。

もはや、この国は滅亡に向かうしかないのであろうか?

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