けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

ブースターロケットへ点火せよ!(野田総理の情報発信力)

2012-03-07 21:19:09 | 政治
ちょっと前の話題だが、震災後のがれき処理の問題が尾を引いている。先日も野田総理がテレビに出演し、がれき処理を引き受けた自治体への支援を検討すると語っていた。神奈川県の黒岩知事も一生懸命、県民の理解を得るための活動を行ないながら、国が何らかの安全基準を作るなどの対応をすることで、協力を申し出る自治体を後押しすることの重要性を語っている。

この問題を考える上で、注目せざるを得ないのが静岡県の島田市の取り組みと市民の反応である。島田市の桜井勝郎市長は東日本大震災からの復興のために、国民としてできることとしてがれき処理の受け入れを表明し、試験焼却などを通して安全性を確認している。これに対して一部の市民が強烈に噛み付いた。しかしあるテレビ番組の調査では、島田市民の9割近くが賛成で、反対は1割程度とのこと(母数が50人なので、統計データとしては少々怪しいが・・・)。しかし、この手の問題では反対派が非常に強行な場合が多く、多数決的な処理では何も解決しない。結局、市長が自らの責任で地元の了解を得ずに決断するという流れとなる。

反対派の言い分の中には、市長は元産業廃棄物処理業者の社長で、現在も親族が社長なのだから何か裏で利益を得ようとしているに違いないというものもあり、これに関しては私は知らないし興味はない。もし違法な何かがあるのであれば、後からでも牢屋に入れればよい。怪しいから何でもダメというのはおかしな話だ。一方で、反対派の市民に「島田市内の廃棄物であれば(仮に放射性物質の危険があっても)構わないが、どうしてわざわざ県外の危険なものを持ち込んで処理しなければならないのか?」という考えが多かったとも言う。しかし、これに関しては私は疑問を抱かざるを得ない。

ここで考えて欲しい。島田市というのは実は特殊な場所なのである。現在は原子炉の稼動を停止中の御前崎にある浜岡原発は島田市のすぐ近くで30kmと離れていないのである。仮に東海大地震が起きて浜岡原発が事故にあったら、まず間違いなく放射性物質が舞い降りて、同様のがれき処理が問題となる場所なのである。今は停止中ではあるが、福島大1原発の4号炉も実は停止中であったが水素爆発が起きた。核燃料プールが損傷し、水漏れして燃料が露出したら原発の炉自体が停止していても危険な状態にはなりえるのである。しかも、津波の被害に対して現時点では防備は不十分で、早急に対処するとは言っても地震活動がこれだけ活発な活動期に入った日本列島では、交通事故に合う程度のリスクは当然ながら残されている。原発と縁もゆかりもないない離れた安全な場所の市民が生理的にがれきを受け入れられないというのであれば理解できなくもないが、「明日は我が身」という危機感を強く持っているはずの島田市民ですら決断が困難なほど事態は複雑なのである。

もっと本音で言えば、仮に市内に放射性物質を含むがれきが存在したとしても、「できれば市外の処理施設に持ち出して処分して欲しい」と思うはずである。しかし当然ながら、自分のところですら受け入れられないガレキならば、周りのどの自治体も引き受けようとはしないだろう。だから、そんな我侭を言えばがれきはそのまま残ることになり、結局、復興から取り残されることになりかねない。復興のスピードを加速するためには、まずは被災地の人々が最大限に努力し、その努力を見て「明日は我が身」と考える人達がそれに続き、そして最後に全ての人が協力して一丸となってことに当たるしかない。島田市の反応は、第2弾のブースターロケットに点火しようとしたら、不完全燃焼に陥ったという状況に相当する。

この島田市の反応は現在の日本国民の縮図的なのかも知れない。彼らだけが悪いのではなく、同様の考え方は日本全国何処にでもある。あまり関係ないかも知れないが、民主主義を標榜する人達が選挙で勝利を収めると「民意は示された」という。しかし、選挙で負けると「選挙で勝ったからと言って何をやっても良いのか!」と言って食って掛かる。1割にも満たない少数意見とまで追い詰められても、「弱者切捨て、少数意見切捨てが民主主義なのか!」と責め立てる。何処まで行っても、万人が万人、全てが納得する方法はないのである。だから、民主主義を前提とするのであれば、選挙の勝者ないしは多数派が下した決定には少数派も従い、しかも多数派は少数派の意見を最大限に汲む努力を誠意を持って行うしかない。信頼関係が築けなければ両者は対立するが、一般市民は次の選挙で判断を示すしかない。

だから、途中を省略して結論だけを言えば、どこの自治体も「受け入れるべき!」となるのであるが、もう少し前向きな議論をするならば、「多数派は少数派の意見を最大限に汲む努力」を如何に誠意をもって示せるかを考える必要がある。私が思うには、野田総理が決断した「がれき処理を引き受けた自治体への支援」とはこの誠意には当たるようには思えない。言ってみれば国側の多数派が、地方の多数派に誠意を示したことに過ぎない。野田総理に求められるのは、「地方の自治体にお願いするガレキの安全性を確実に担保する。しかし、受け入れの結果、仮に何か問題が発生した場合には、それは国が責任を持って対処する!約束する!」という表明を国民に向かって発信することだと思う。そのためには、国として責任を持てる安全基準を定め、そして安全性の監視体制を早期に確立することで、信頼性を勝ち取るしかない。もちろん、その体制が100%確立しなければ動いてはいけないなどと言ったらいつまで経っても先に進まないから、見切り発車は仕方がない。その部分は、自治体の首長が半分責任を分担するしかない。

現状が、その理想的な状態に程遠いのは理解できる。しかし、それを言い訳にしてはいけない。早期に3段ロケットの3段目まで点火することが求められている。

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