というわけで、引き続きジェノヴァ。
今日はガイドブックにも載ってそうな場所を紹介したいと思います。
ガリバルディ通り。
世界遺産。
残念ながらガルバルディじゃないです。
ライラ・ミラ・ライラとか乗っていないです。
アニメじゃない(アニメじゃない)、ホントのことです。
というZZな話はさておいて、ガリバルディ通りに関するマジメな話。
16世紀、ジェノヴァはフランスに統治されていたんですが、これがもうあんまりよろしく無いよねということで、当時、海軍提督だったアンドレア・ドーリアがスペイン王と結託、フランス艦隊を破ったりだとかしてフランスの統治から脱却。その後、自由になったジェノヴァは隆盛を極め、金儲けしまくった当時の貴族たちがこのガリバルディ通りに豪邸を建てたというわけです。
そして話は飛んで19世紀。イタリア統一運動の結果として1861年にイタリアが国家として独立。そのときの「イタリア統一の三傑」の一人が「ジュゼッペ・ガリバルディ」。この通りはそのガリバルディさんの功績を讃えて名を冠しているというわけです。
ちなみに「三傑」のジュゼッペ・ガリバルディは軍人、他の二人は政治家。
まるで明治維新。もしくはカストロとチェ・ゲバラ。
そう考えると、革命ってのは政治と武力の両輪が回らないとダメなんだな、っていうことに改めて気付いたりするのだけれども、その話をし始めると脱線するのでやめておきます。
やばい、このペースだと何も紹介出来ない。
さっさといきましょう。
先ほども出てきたアンドレア・ドーリアの屋敷。
ちなみにアンドレア・ドーリアのあだ名は「地中海の鮫」。
カッコイイ。
あとは、この人の甥の息子、ジャンアンドレア・ドーリアは、かの有名な(というか、塩野七生作品愛読者には有名な)レパントの海戦にも参加しています。ただし、スペイン王の指示により大した活躍はしてません。むしろキリスト教連合の足を引っ張ったぐらいの勢い。
さらに、米料理「ドリア」は、パリの料理店がドーリア一族のために創作したらしいのですが・・・ホントかよ。
続いてフェッラーリ広場。
話としては色々とあるのだけれども、こう、個人的にグッとくるものはなかったので詳細は割愛。
(じゃあ書くな)
クリストフォ・コロンボ(コロンブス)の生家。
狭いです、よくこんなところに住めてたなと思います。
という印象以外には特に見所無し。
ただ、ここの店番をしてたオッサンと話をしていたら、なかなか面白い情報を教えてくれたので城壁に登ることに。
何がそんなに面白かったのかと言うと、城壁の内側(港側)と外側(山側)で町の景観が違うということ。
城壁の内側。
城壁の外側。
多くの都市がそうだと思いますが、城壁の内側というのは金持ちが住んで、外側というのは、まぁ、それ以外が住むという構図が成り立っているわけです。なので景観は自ずと変わるわけです。
ただ、ジェノヴァの場合は、それに加えて、第二次世界大戦で城壁の外側が爆撃で焼け野原になったらしいんですね。内側は割りとセーフだったらしいんですが。で、城壁の内側は昔ながらの景観を保つことが出来たけれども、一方の外側は都市再開発対象になり、近代的な建物が乱立するようになったと。
でも、普通に考えたら、城壁の内側を(港を中心に)爆撃するんじゃないのかなー、なんて思ったりもするわけですが・・・まぁ、いいや。
そのオッサン情報でもう一つ面白かったのは、ジェノヴァでは派閥による抗争みたいなのがあったということ。まぁ、要はマフィア同士の抗争みたいなもんですかね。で、鉄砲でのドンパチが激化してきて、マフィアのボスたちはより高いところに住居を確保し、身の安全を守る(鉄砲で攻撃されにくい)と共に、高いところから敵を狙撃したと。
ただ、この情報もちょっと眉唾です。
確かにジェノヴァでは4大貴族(うち一つはドーリア家)というものがあって、お互いに争ったり、他の貴族と結託して共闘するみたいなところはあったみたいです。ただ、他の町と比べて別段、建物が高いとも感じなかったし、高いところから狙撃すると言ったって、それってそんなに効果があるとも思えない。
ま、実際のところはよく分かりません。
もしかしたら単に自分の勉強不足かもしれません。
そんな感じです。
あんまり見所ないよね風の紹介文になってしまいましたね、すいません。
ただ、言い訳をしておくとですね、ジェノヴァに行ったのは町を見るためじゃなかったんです。
生のガレー船を見ることが目的だったんです。
というわけで、次回は「船」について書いてみたいと思います。
多分、誰も興味無いと思いますが。
でも書きたいので書きます。
よろしくお願いします。
今日はガイドブックにも載ってそうな場所を紹介したいと思います。
ガリバルディ通り。
世界遺産。
残念ながらガルバルディじゃないです。
ライラ・ミラ・ライラとか乗っていないです。
アニメじゃない(アニメじゃない)、ホントのことです。
というZZな話はさておいて、ガリバルディ通りに関するマジメな話。
16世紀、ジェノヴァはフランスに統治されていたんですが、これがもうあんまりよろしく無いよねということで、当時、海軍提督だったアンドレア・ドーリアがスペイン王と結託、フランス艦隊を破ったりだとかしてフランスの統治から脱却。その後、自由になったジェノヴァは隆盛を極め、金儲けしまくった当時の貴族たちがこのガリバルディ通りに豪邸を建てたというわけです。
そして話は飛んで19世紀。イタリア統一運動の結果として1861年にイタリアが国家として独立。そのときの「イタリア統一の三傑」の一人が「ジュゼッペ・ガリバルディ」。この通りはそのガリバルディさんの功績を讃えて名を冠しているというわけです。
ちなみに「三傑」のジュゼッペ・ガリバルディは軍人、他の二人は政治家。
まるで明治維新。もしくはカストロとチェ・ゲバラ。
そう考えると、革命ってのは政治と武力の両輪が回らないとダメなんだな、っていうことに改めて気付いたりするのだけれども、その話をし始めると脱線するのでやめておきます。
やばい、このペースだと何も紹介出来ない。
さっさといきましょう。
先ほども出てきたアンドレア・ドーリアの屋敷。
ちなみにアンドレア・ドーリアのあだ名は「地中海の鮫」。
カッコイイ。
あとは、この人の甥の息子、ジャンアンドレア・ドーリアは、かの有名な(というか、塩野七生作品愛読者には有名な)レパントの海戦にも参加しています。ただし、スペイン王の指示により大した活躍はしてません。むしろキリスト教連合の足を引っ張ったぐらいの勢い。
さらに、米料理「ドリア」は、パリの料理店がドーリア一族のために創作したらしいのですが・・・ホントかよ。
続いてフェッラーリ広場。
話としては色々とあるのだけれども、こう、個人的にグッとくるものはなかったので詳細は割愛。
(じゃあ書くな)
クリストフォ・コロンボ(コロンブス)の生家。
狭いです、よくこんなところに住めてたなと思います。
という印象以外には特に見所無し。
ただ、ここの店番をしてたオッサンと話をしていたら、なかなか面白い情報を教えてくれたので城壁に登ることに。
何がそんなに面白かったのかと言うと、城壁の内側(港側)と外側(山側)で町の景観が違うということ。
城壁の内側。
城壁の外側。
多くの都市がそうだと思いますが、城壁の内側というのは金持ちが住んで、外側というのは、まぁ、それ以外が住むという構図が成り立っているわけです。なので景観は自ずと変わるわけです。
ただ、ジェノヴァの場合は、それに加えて、第二次世界大戦で城壁の外側が爆撃で焼け野原になったらしいんですね。内側は割りとセーフだったらしいんですが。で、城壁の内側は昔ながらの景観を保つことが出来たけれども、一方の外側は都市再開発対象になり、近代的な建物が乱立するようになったと。
でも、普通に考えたら、城壁の内側を(港を中心に)爆撃するんじゃないのかなー、なんて思ったりもするわけですが・・・まぁ、いいや。
そのオッサン情報でもう一つ面白かったのは、ジェノヴァでは派閥による抗争みたいなのがあったということ。まぁ、要はマフィア同士の抗争みたいなもんですかね。で、鉄砲でのドンパチが激化してきて、マフィアのボスたちはより高いところに住居を確保し、身の安全を守る(鉄砲で攻撃されにくい)と共に、高いところから敵を狙撃したと。
ただ、この情報もちょっと眉唾です。
確かにジェノヴァでは4大貴族(うち一つはドーリア家)というものがあって、お互いに争ったり、他の貴族と結託して共闘するみたいなところはあったみたいです。ただ、他の町と比べて別段、建物が高いとも感じなかったし、高いところから狙撃すると言ったって、それってそんなに効果があるとも思えない。
ま、実際のところはよく分かりません。
もしかしたら単に自分の勉強不足かもしれません。
そんな感じです。
あんまり見所ないよね風の紹介文になってしまいましたね、すいません。
ただ、言い訳をしておくとですね、ジェノヴァに行ったのは町を見るためじゃなかったんです。
生のガレー船を見ることが目的だったんです。
というわけで、次回は「船」について書いてみたいと思います。
多分、誰も興味無いと思いますが。
でも書きたいので書きます。
よろしくお願いします。
楽しみにアレしてます。
代わりに、フィレンツェ絡みの本を取り出して、今から復習です。
・・・ホント、ゼミのレポート書いてるみたいです。