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イタリア旅行記(13)フィレンツェの歴史はかなり面倒くさいのですよ

2010年04月15日 | 旅行とか出張とかアレとか
というわけでフィレンツェです。



再び何をどうやって書くか迷うところですが、まずは例によって歴史をものすごいダイジェストでお送りしたいと思います。
と、思ったのですが、いざ書いてみたら、ダイジェストなはずなのにものすごいことになってしまいました、予めすいません。
というか、フィレンツェの歴史的事実が凡そダイジェスト(消化)出来るシロモノじゃないのです。

ちなみにフィレンツェに関しては塩野七生作品以外に、「ピエール・アントネッティ著、中島昭和・渡部容子訳『フィレンツェ史』」を参考にしていますので、興味がある方はご一読あれ。



さて、フィレンツェというのは今でこそああいう町ですが、元々はエルトリア人が紀元前10世紀から住んでいたそうです。
エルトリア人というのは、まぁ・・・ここではイタリア先住民ということにしておきましょう。
エルトリア人の話は、これはこれでなかなか面白いんですが、ここではあんまり関係無いので割愛します。

で、紀元前10年、ローマ帝国軍がヒョイと現れ占領。
占領地をローマ帝国退役兵たちの「植民耕地」として利用したわけです。
例の「フィレンツェ史」からの引用。

フィレンツェ(「フロレンティア」)の名はカストゥルム(前述の植民耕地)が「花遊びの祝日(ルーディ・フロラレス、四月三十日から五月三日まで)」の期間中に建設されたこと、あるいはコロニア(植民市)が「花咲く野(アルヴァ・フロレンティア)」のなかに位置していたことに由来する。



ローマの植民市としてスタートしたフィレンツェはその後、ゴート族(という蛮族、ヴェネツィアもその昔攻められてました)にやられたり、ビザンチン帝国に制圧されたりと、なかなか散々な目に合うわけなんですが、9世紀初頭にカール大帝により統治され、町としてはそこそこ安定するわけです。ところが、12世紀初頭にフィレンツェは神聖ローマ帝国に反旗を翻すわけです。で、何だか色々とあって自由を獲得しちゃったわけです。

独立してからのフィレンツェは繊毛業などの加工・輸出でボロ儲けして経済的にはドンドンと発展をしていくわけなんですが、一方の政治がですね・・・これがものすごいドロドロだったわけです。まぁ、その何ですか、要はですね「みんな権力争いに夢中で、都市としての一体感がまるで無いよね」状態に陥ってしまうわけです。

この権力争いというか対立というか抗争というか・・・のきっかけは、前述の「フィレンツェ史」に書かれている内容が面白いので、そのまま抜粋します。

しかしながら、貴族の軍事的比重は依然決定的に重く、一方商人はより強い政治権力を得ようとしていたから、両者のあいだには絶えず軋轢が生じていた。そしてフィレンツェの経済力も、そこから生まれる政治的危機を覆いかくすには至らなかったのである。

(中略)

この脆い均衡が、一二一六年、一見些細なひとつの出来事によってふたたび危うくされる。

ブオンデルモンティ一族の青年、ブオンデルモンテと、アミデーイ家の娘とのあいだに婚約がととのった。ところが青年はドナーティ家の娘を妻とするよう説き伏せられてしまう。ドナーティ家はアミデーイ家と敵対する門閥であった。慣例を無視したこの許しがたい侮辱は、一二一六年の復活祭の日、ブオンデルモンテ青年が花嫁を伴って大聖堂へ赴く途中、ポンテ・ヴェッキオ橋のほとりで流血をもってそそがれることになった。



この挿話は、当時の野蛮な風習と同族の連帯意識の強さを物語って典型的であるが(侮辱に対する報復はアミデーイ家の親類縁者一同が一致して決めたことであった)、これが以後数十年にわたってフィレンツェの町を血で染めるグエルフィ対ギベリーニの抗争の発端となった。


というわけなんですねー。
怖いですねー。



で、グエルフィとギベリーニというやつなんですがね、これがまた色々と面倒なわけです。

グエルフィというのは「教皇派」。
「俺らさ、ローマに近いし何かとローマ側の権力に付いてた方が良いよ。あとさ、キリスト教連合の国も周りに多いから、いざというときに助けてくれるっしょ」という人たち。

一方のギベリーニは「皇帝派」。
「いやいや、何だかんだで武闘派の神聖ローマ帝国の方が良いよ。あいつらいつも勢いあるし、もし攻めて来られたらアウトでしょ。だったら今のうちに媚び売っておこうぜ」という人たち。

言ってみれば「お前、野球どこファン?」と聞かれたときに「最近は巨人が強いから巨人ファンかな?」とか言ってる感じです。
長いものには巻かれろ主義。



さて、そういう「どこの勢力に属する」的な話が過熱する中で、そういうのに便乗した権力・利権争いも発生したわけです。
「俺、アイツのこと個人的に嫌いなんだよね。だからアイツとは違うグエルフィに俺は付くわ」とか「あいつが潰れてくれると俺が商売で儲かるから、俺はギベリーニだな」とかそういったレベルの話があっちでもこっちでも。

何だか気付けばみんな私怨・私利私欲を丸出し。

で、こういう派閥抗争みたいなのが、貴族・銀行・商人・職人・近郊豪族、ありとあらゆる職業階層に跨って発生して、両者間での仁義なき戦いが繰り広げられて、気付けば今度はグエルフィ内で不和が発生して「白派」と「黒派」が出来て、負けた「白派」が権力奪還するためにギベリーニ側に付いて、収集がつかなくなったから誰かが調整に入ったんだけれども、でも最終的には「黒派」がやっぱり勝ってうんたらかんたら・・・


あーもー、めんどくせーなー、オイ。


というわけです。
多分、雰囲気は感じ取ってもらえたと思うので以降の詳細は割愛します。



で、そういう中で登場するのが、かの有名なメディチ家(元薬局)の方々です。



というところで今日は終わりにします。
メディチ家の栄枯盛衰っぷりは、また後日、シニョーリア広場のことに触れながら書きたいと思います。


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