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イタリア旅行記(9)イイカゲンが好い加減

2010年04月07日 | 旅行とか出張とかアレとか
さて、ジェノヴァです。

何をどうやって書こうかなー、というのは相変わらず悩みどころなのですが、単なる観光日記だとアレなので、単に自分が書きたいことを書くことにします。
というわけで、まずはジェノヴァの歴史だとかについて。



ジェノヴァの歴史を掻い摘んで書くと、元々は紀元前6世紀あたりから人がジェノヴァに住みついていたらしいです。ただ、自治都市として独立したのが1100年頃。その後、イタリアの近隣国家や外国の勢力に併合されたりしたりを繰り返して、今に至るといった具合です。

我ながらものすごい乱暴な説明だな。
ま、いっか。



さて、ジェノヴァの最大の魅力は、何と言っても「港」。



中世のイタリアにおいては、ジェノヴァ・ヴェネツィア・ピサ・アマルフィ、これらが「イタリア四大海洋国家」と呼ばれていたわけです。
端的にそれぞれを説明しておくと;

ヴェネツィア:世界屈指の海洋国家。大航海時代までは。
ジェノヴァ:詳細は割愛するとして、基本的には貿易で大成功。
ピサ:一時は貿易で莫大な利益を得つつも、国内の内紛があったり、ジェノヴァとの海戦で大敗を喫したりと、 散々な目に遭いながら衰退。
アマルフィ:これも強大な海洋国家だったのだけれども、歴史的イベントの要所で活躍が出来ずに、貿易航路をヴェネツィアやジェノヴァに独占されてしまい国家としては衰退。

といった具合です。

ただ、いずれの国家にも共通していたのは「海しか頼るものが無かった」ということ。
以下、塩野七生「海の都の物語(3)」からの抜粋。

では、なぜこの四つの町だけが海運国として発展したのかと問われれば、地勢的にまた歴史的に、ある程度までの解釈は可能だ。まず、ナポリ湾近くにあるアマルフィだが、ナポリ湾の西の端にあるポッツォーリが古代ローマ時代の重要な港であったことから、歴史的に船というものに、慣れ親しんできたと言えるであろう。地勢的にも、猫のひたいほどの土地とはこういう場所のことかと感心させられるほど、狭くて耕作に適していない。

(中略)

海に出て行くより仕方がなかったのだと納得させられる点では、北イタリアのジェノヴァも南イタリアのアマルフィとよく似ている。ジェノヴァも背後に山が迫り、





町中には坂が多く、耕作地など薬にしたくてもない。





今日のジェノヴァはイタリア第一の港であるから、並列する高層建築で目をまどわされるが、



人間の住む環境としては、現代でもあまり恵まれているとは言えない。

(以下略)


ということだそうです。
まぁ、要はですね、この四大海洋国家というのが「海に依存している、海が無いとマジでヤバイ」という個別の事情を抱えていて、その中でもヴェネツィア、ジェノヴァは色々とうまくやりながら繁栄することが出来たんですよ、という話です。
(じゃあ最初からそう書け)



四大海洋国家の話ついでに、イタリアの商船旗について。
こういうやつです。



基本的には、皆さんご存知のアレをベースにしているんですが、ポイントは真ん中の紋章。
左上がヴェネツィア、右上はジェノヴァ、左下がアマルフィ、右下がピサの国旗なんです。
これら四大海洋国家の国旗が紋章に組み込まれているというアレ。

・・・当然、塩野七生「海の都の物語(3)」の受け売りです。



国旗の話が出たので、ジェノヴァの国旗についても。
ジェノヴァのこの国旗、町の至るところにあるわけなんですが、



そういえばイングランドの国旗と同じだよね、と。

で、調べたわけなんですが、ものすごい掻い摘んで書くと、その昔、イングランドが地中海との貿易中に、海賊に襲われたりだなんだで困っていて、じゃあ、誰かに護衛を頼まないとなー、と。
で、その護衛役に白羽の矢がたったのが、当事、海戦では無類の強さを発揮していたジェノヴァ。
というわけで、ジェノヴァさん、護衛よろしく。友軍の証にあんたたちの国旗を掲げとくよ、というところが起源らしいのです。

つまりは、イングランドの国旗は元を辿ればジェノヴァだったんですよ、という話らしいです。



で、じゃあ、ジェノヴァの国旗はどこが元になっているのかという話になるわけですが、これは多分、第一回十字軍の影響です。

第一回十字軍が行われたのが1096年から1099年。
そしてジェノヴァが都市国家として独立をしたのが1100年。

恐らく、第一回十字軍での功績が認められて、国家としての独立が法王から許されて「じゃあ国旗どうしよっか?もう十字軍の時に使ってたやつで良いんじゃね?」とか、多分、そういうノリです。これは全く裏付けありません、個人的な推測です。



という、かなり適当なことを書いていますが、身も蓋も無いことを言うと、歴史というのはそもそもかなりイイカゲンなんです。真田信繁(幸村)がどこで死んだかについて諸説があったりだとか、聖徳太子って実際は厩戸で生まてないよねだとか、坂本竜馬も確かにすごいけど、もっと日の目を浴びても良いようなすごい人たちはゴロゴロいたのだよだとか。全部日本史だけれども。

まぁ、それはともかくとしても、要するに、世の中で認識されている「歴史」というのは、得てして根拠がアヤフヤだったり、伝承やら神話だとかが混じっていたりだとかして、眉唾インフォメーションに頼っていたりすることが、ままあるのです。

ただ、イイカゲンとはよく言ったもので、この類の話というは曖昧で適当な方が楽しくて「好い加減」だと思うのです。
夢を膨らませるだけの余白があるから面白くて、存在しない真実にいかに近付けるかを模索するから楽しくて。
そして、塩野七生・司馬遼太郎・池波正太郎作品がいずれも面白いのは、この歴史の行間を豊かな感性で埋めてくれているからなのだと。
そこに書かれていることが全て真実かどうかなんていうのは、二の次で良いんじゃないかと個人的には思うのです。

何だか意外とマトモな結論に落ち着いてしまいましたね。
自分で言うのも何ですが、予想外でした。

というわけで、今日はこんなところで。
明日はもうちょっと普通のこと書いてみたいと思います。


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