西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ロッシーニ

2007-02-28 10:12:14 | 音楽一般
今年は、うるう年でなく、29日がないので、ここに書きます。

2月29日は、イタリアの作曲家、ロッシーニの生誕日です(1792年)。

ロッシーニに関するベートーベンの言葉が残っています。「ベートーヴェンの言葉」(津守健二著)より(以下の引用も同様)。
「ボヘミア人は生まれながらの音楽家だ。イタリア人は、そのボヘミア人を手本としなければならない。イタリア人は、その国の多くの有名な学校で、一体、どんな才能を発揮したというのだ? イタリア人の崇拝の的となっているロッシーニを見てごらん。幸運の女神が、もしこのロッシーニにすばらしい才能と美しいメロディーとをふんだんに与えなかったとしたならば、彼が音楽学校で学んだことといえば、せいぜい彼の大きな腹をふくらませたじゃがいもくらいの役にしか立っていない………」

ロッシーニは、1822年にオペラ上演のためにウィーンに来ましたが、ウィーン市民は、自国の偉大な音楽家のことも忘れ、このイタリア人オペラ作曲家に夢中になっていた。
ロッシーニは、この年に、人を介して“尊敬する”ベートーベンに会うことになった。
《扉をあけると、そこはひどく乱雑で、汚い屋根裏のような部屋でした。ことに、そこの天井がわたしの印象に残っています。それは、屋根のすぐ下で、割れ目があり、雨がふれば、そこからどんどん雨水が流れおちて来そうでした》これは、後に(1860年)、ワーグナーがロッシーニを訪ねて来た時に、ワーグナーにその時の様子を語った言葉である。ワーグナーは、「もう10年早く生まれていたら、ベートーベンに会うことができたのに」と語っていたそうだ。この時の、ロッシーニの言葉を、どんな気持ちで聞いていたかなどと思ってしまう。

ロッシーニは、先ほどのベートーベンの言葉にもあるように、大食漢として有名だが、ベートーベンの生活について、次のように述べている。
「さらに、わたしは、もし、すべての金もちが、ごくわずかの寄付金の約束さえすれば、ベートーベンが何不自由なく余生をおくるだけの年金を与えることくらい、何でもないではないか、ともいいました。だが、この提案には誰一人として賛成してはくれませんでした。」
ロッシーニは、1829年に「ウィリアム・テル」を発表した後、1868年に亡くなるまでオペラを書くことはありませんでした。はっきりとは理由がわかっていません。ベートーベンとの、先ほど述べた1度の出会いも、何か関係しているのかななどと思うこともありますが、どうなのでしょうか。

グノー

2007-02-28 09:35:04 | 音楽一般
今日は、グノーの歌劇「シバの女王」の初演された日です(1862年、パリ・オペラ座)。

グノーというと、何といっても歌劇「ファウスト」ですね。中でも「ワルツ」が有名です。最近「ロメオとジュリエット」もCDなどを見かけることがありますが、「ファウスト」を越えることはなさそうです。グノーは教会オルガニストを勤めていたこともあり、宗教作品にも傑作を残していますが、私はグノーの歌曲が気にいっています。中でも「セレナード」はいいですね。ビクトル・ユゴーの詩に付けたこの曲はグノーの旋律の豊かさを示すものと言えるのではないでしょうか。一音一音が旋律をなしている、などとグノーの作品を評する人もいるようです。辞典によると、グノーは169曲の歌曲を生み出しているようですが、まだその全貌に接する機会はありません。ドイツ系のリートは、かなり網羅的に録音されているようですが、ぜひグノーなどフランス系の歌曲もその多くを聴いてみたいものです。