渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

旋回の際の体重移動 ~二輪走行法~

2024年08月01日 | open



オートバイでの旋回では、
体の上体を立てて真横
にヤジ
ロベエのように倒
すのではな
く、軸重はマ
シンのセンター
に置いた
まま腰をひねって車
体の
「前」の「下」にねじり
込むように体重移動をさせる。
ステアリングは外圧をかけず
決してこじらない。

下半身で身体はホールドする。
インステップには加重させな
い。足が外れては不安定にな
るので荷重はしているが加重

はさせない。
尻を完全にシートから外すハ
ングフォームでも、
尻を半分
シートに残すセミ
ハングフォ
ームでも、イン
側の膝は硬直
させずいつで
も開度を自在に
取れるよう
に脱力させる。
外側の太腿と足部のステッ
でマシンホールドし、背
骨は
前傾させて腰部分にか
けて
「くの字」に自然に曲
がるよ
うにする。

上半身には一切力は入れない。
これ、ハングさせないウイズ
のフォームでも原理は同じだ。
大切な事は、上体を起こして
頭部が高い位置のまま真横
ヤジロベエのように車を
倒さ
ない事。

そのような事をすると、路面
からのトラクションや接地感
感知や挙動変化への機敏で正
確な対応は一切できなくなる。
地蔵搭載のような載り方では
二輪
車の適正旋回はできない。

ハングさせない場面でも原理
は同じ。


二輪車の旋回において極めて

安定かつ有効なハングフォー
ムは1970年代中期~後半に世
界チャンピオンのケニー・ロ
バーツが完成させたとされて
いる。
だが、重心をインにずらして
イン側の膝を開く乗り方は、
1960年代初期のWGPではすで
に多くの世界トップライダー
によって実行されていた。
リーンウイズのままだとバン
角が深くなりすぎるからだ。

ケニー・ロバーツ。二輪ロード
モデルの走りの基本。ケニーの
メソッドが二輪走行のバイブル
だ。
世界チャンピオンになった
時点
で、すでにそのテクニック
は歴
史上普遍性を持つ程に完成
され
ていた。




武士の本物写真と明治庶民のポーズ写真から見える事

2024年08月01日 | open


1868年慶應4年(9月8日から
明治
元年に改元)の洋式兵装
の武士たち。戊辰戦争によ
る疲労感と同時に決意が表
情から読み取れる。武士た
ちの性根が引き締まってい

る事がよく捉えられている
一葉だ。

明治時代初期に外国人向けの
土産用に撮影された絵葉書の
写真。


刀の帯び方、甲冑の着付け等
から士族ではない事は明白。
出鱈目な着装をしているし、
刀の持ち方、鍔の扱い、帯刀
方法等々、悉く大出鱈目。
これらは庶民のモデルであり、
決して旧武士階級の士族では
ない。甲冑武具刀槍弓馬とは
無縁の人たちが撮影用モデル
となっているだけだ。
それは見れば即断できる。
士族以外は武士の装いについ
てまったく無知であった事が
よく判る歴史的な写真である。

だが、こうした事例は、実は
21世紀の現代にも多く発生し
ている。
武士ではないやり方での着装
や帯刀、立ち居振る舞い、下
げ緒さばきなどが大手を振っ
て蔓延っているのが現代だ。
それは「武士の文化」につい
て興味が薄く、本物もニセモ
ノも識別も区別もつかない勢
力が、そ
うした事をあたかも
武士の伝統であり武士の武

であるかのように推進して

る。
殆ど韓国人や中国人の忍者装

束でアチョー、というのと変
わらない。
だが、真実はそれは日本の武
士の伝統や文化とは一切無縁
のものだ。
特に巻き畳表切断主義者たち
に非常に多
く見られる。
ひどいのになると畳表の事を
巻き藁とか藁斬りとか称して
いる。
物事の識別も区別もできない
勢力が
日本の伝統や武士の真
実を
捻じ曲げて集客集金しよ
うと
しているし、やっている。
だが、それらは実在した日本
の武士の武技や日本固有の武
士の伝統的文化の流れとは一
切無縁だ。全く別物。

 






【ツイセキ】国の史跡・三原城のお堀に絶滅危惧種「ニホンウナギ」が棲息! 歴史を伝える証人? その謎を探る 広島

2024年08月01日 | open

【ツイセキ】国の史跡・三原城
のお堀に絶滅危惧種「ニホンウ
ナギ」が棲息! 
歴史を伝える証人? その謎を探る
広島


三原市内には実は天然ウナギ
がウハウハいる河川がある。
極めて細い河川だが。
「あっこはよう釣れるでぇ」
と地元の友人も言っていた。
ただ、これは昔よく毎週一緒
に新橋で飲み食いした私の知
人の
東大の生物学者が初めて
解明
したが、日本のウナギさ
んた
ちは太平洋上のはるか遠
いある場所
に行って産卵して
稚魚が日本
に返って来る。と
てつもない生命力を以て。

この三原城の100尾程のウナギ
たちは、実は「海に出られな
く」なって困っているのでは
なかろうか。



広島県三原市内で殺人

2024年08月01日 | open






市内郊外の田園地帯での事件。



口論となり知人切りつけか
逮捕の男
「殺すつもりは
なかった」

広島・三原市(2024年8月1日)



縄文人たちの建築技術力

2024年08月01日 | open



これさぁ。
これは復元建築物だけど、
原本が建築されたのは縄文
時代だよ。
縄文時代の前期中頃から中
期末葉(約5900-4200年前
の時代の集落。
もうね、鉄器など無い時代。
どうやって作ったのかと思
うけど、昔の人たちって凄
いよなぁ。
鉄器どころか文字さえない
時代だよ。着ている物は麻
の布袋みたいなのを被って
いるだけの時代。

日本の縄文土器は現在世界
最古の人類の土器となって
いるけど、それもまた驚愕。
今の日本に繋がる古代の列
島の人たちというのは何と
いう高度な文明を持ってい
たのかと感嘆する。
その文明人の血が脈々と数
千年も続いて今の私たちが
いるのだから、日本の技術、
モノヅクリの才というのは
遥か6000年近くの昔から
連綿と続く血があったとい
うことなのだろう。
6000年?
どっしぇ~だわ。
と驚いてはいけない。
日本の縄文時代は1万5000年
前あたりからだ。
その頃すでに縄文文明があっ
たという事。
そして、縄文遺跡は日本列島
各地に分布しているが、極端
に少ないのが中国四国地区で、
逆に極端に多いのが現在の東
京を中心とする関東エリアと
九州の北部と南東部。


縄文時代は世界史の中でも
「縄文文明」と呼べるほど
の文明だったようにも思え
る。
やがて原初日本人は大陸南
方から移住してきた人たち
と混血を繰り返して現代に
いたるが、実は弥生人たち
が大量に移住してきてから
はかなりの間、縄文人と弥
生人は混血せずに住み分け
していたとの研究結果が最
近では主流になりつつある。
ある特定時期から一気に混
血が進んだ模様。
面白いね。
ただ、昔も今も共通している
のは、原初稲作は縄文時代に
既に存在したが、ある特定の
時期から貧富の差というそれ
まで存在しなかった社会構造
が発生して列島内部で初めて
殺し合いの戦争が始まったと
している説。
結局、戦争による殺し合いは、
富める者と貧しい者が存在す
る社会構造によって引き起こ
されている。
これは古代も現代も。
学習能力ないよなぁ、人類て。
貧富の差が無くなる社会構造
を築けばいいのにさ。ニセモ
ノでなない、本当の意味での
世界人類みな兄弟、というよ
うなものを。

地球には国境などなく、地球
が一つのクニである、という
ようなものを作らないと、地
球上の戦
争は未来永劫消滅し
ない。

戦争の一番よくないとこは、
死にたくないと思っている
人たちを殺す事だよ。
人には人を殺す権利などは
与えられていないのに。




シフトアップ

2024年08月01日 | open




私は公道であっても、市街地
の低速走行以外の走行シーン
では、シフトアップ時にクラ
ッチは使わない。レーシング
コースでのレーシングマシン
と同じ操作を実行する。
シフトアップ時はスロットル
を瞬時にやや戻して、ミッシ
ョンの回転負荷を抜いた瞬間
にシフトアップする。コンマ
秒単位で。
そのため、私の走行時の加速
シフトアップはレーシングマ
シンの音と同じ音がする。
2ストならばパァーンパァーン
となり、4ストならばコォーン
コォーンと繋がる。
スロットルオンしたままでク
ラッチを切ってシフトアップ
させてエンジン回転を空回転
でウィンと瞬間過回転させて
いる動画を最近動画サイトで
よく見る。
それはド素人もいいとこだ。
サーキットでさえもそうした
誤操作をやっている人たちも
多いので目を疑う。

私はシフトパターンは、かつ
ては公道車であろうとサーキ
ット用の競技車と同じ逆シフ
トパターンにセットしていた。
現在はかき上げでアップの正
シフトに全ての車をしている。
正シフトと逆シフトの意味は
走行状況の違いによるものだ。
レーシングマシンが踏み下し
でシフトアップであるのは、
深いバンクでの左旋回中でも
シフトアップを可能にする為。
かき上げ式だとシフトレバー
の下にバンク中に足が入らな
いから。競技で速く走るため
のシフトパターンが逆シフト
だ。
公道車で一般的な踏み下しで
シフトダウンする構造は、
「止まる事」を前提にした構
造であり、競技車両のように
速く走る事は前提としていな
い。

ただ、これらは物理的な事で
あるので、好みの問題は実は
関与はしない。
実際のところでいうと、レー
サーの逆シフト方式は公道で
も実に使い易い。
シフトダウンは車体が起きて
いる状態で行なうので、かき
上げ方向でシフトダウンする
のには何ら物理的問題は生じ
ない。
そして加速の時に確実にシフ
トを入れるのは、かき上げよ
りも踏み下しのほうが完全に
確実だ。

ただ、上記のように、公道車
両は加速時よりも減速シフト
ダウン時に主軸を置いている
ので、一般販売車両はすべて
正シフトにされている。
シフトリンクがある二輪車な
らば簡単に正逆を替えられる
ので興味のある人は試してみ
るとよい。

但し気をつけないとならない
のは、逆シフトになると加速
させようとして間違ってかき
上げしてしまう例もある。
瞬間的ミスで。
そうなると、エンジンは超過
回転で、2ストなら大丈夫だ
が、4ストの場合はバルブが
飛ぶ。
これをサーキットで何度も
やらかした人を私は知って
いる。F3四耐マシンで。
ハイチューニングアップされ
たカムやバルブは即破損する。
筑波の裏ストで何度かやって
いたので、レーシングショッ
プのメカニックから呆れられ
たりしていた。
そういう間違いも公道でも
起こりうるので、レーサーと
同じ逆シフトにするには注意
を要する。
要は慣れなのだが。
私はかつては全車逆シフト
(直に後ろ向きのガンマ以外)
にしていたので、別段公道で
もコースでも間違う事は無か
った。
また正シフトを標準パターン
とするようにしてからも間違
う事は無かった。
これはたまたまではなく、乗
って操作する時に瞬時であっ
ても適正判断をして運行させ
ているからだ。
エンジン壊すの嫌だし。

逆シフト、実は使い易い。
そして、スポーティー走行で
の加速中のシフトアップでは
一切クラッチは使用しない。
なんとかかんとかクラッチと
いうシステムが無い車両だろ
うと、簡単に操作だけでミッ
ションに負担もかけずにシフ
トアップができる。
また、たとえデバイスが着い
ていようといまいと、シフト
ダウンでは私はブリッピング
をする。
(実はサーキットでは2スト
では一々ブリッピングしない
場所も多い)

交通法規とは関係なく、教習
所乗りのみが二輪の全ての乗
り方ではない。
特にスポーティーなスパルタ
ン走行をするならば、シフト
アップ時のノークラッチシフ
トアップと減速シフトダウン
の際のブレーキングブリッピ
ングシフトダウンは、二輪の
運転では必須の技術だ。
ごく当たり前のオーソドックス
な技術として。
これは、超絶速度違反走行で
はない法的速度内の走行であ
っても、二輪の基本操作とし
てスポーティー走行では必須。
道の左側に寄ってレール上の
トロッコのような走り方をす
る場合には必要ない。
そういう走路が安全かと思い
込んでいる人たちは、舗装路
であろうと左側の砂利道を通
って、速度を落とす為に後輪
ブレーキを思い切り踏み込ん
でいればいい。

キープレフトは実は二輪では
危険。道路の端にはいろいろ
な二輪走行阻害要因があふれ
ているからだ。
停車時に左足を出して支える
のも実は公道では危険。
左足支えが安全なのは掃き清
められた教習所の閉鎖空間の
みの事だ。
ここにも教習所洗脳教育の嘘
がある。
教習所教えは非現実的であり、
実際の公道の道路状況とは乖
離している。現実とは全く合
致しない、まるで妄想族のよ
うな教えを為すのが教習所だ。
だが、覚醒して真実を見つめ
ない人たちは教習所洗脳のま
ま公道で二輪車を運行させて
事故を起こす。
教習所は一切責任は取らない。
判断を誤り、誤操作や誤運転
をしたのは自分だ。
自分で自分の在り方がどうだ
ったかを見つめるしかない。

簡単な事なのだ。
手のリンゴは手を広げると
地面に落ちるよ、という物理
的な事を理路整然と頭で理解
するだけで、二輪の安全維持
確立は飛躍的に向上する。
教習所と安全協会の大嘘教え
の洗脳を解いて、真実を見つ
めれば、安全確保の近道は目
の前にすぐに開けてくる。
私は1985年から公道ではオー
トバイの走行では一切無事故
無転倒だ。
それまでは1982年から1985年
までは実によく転んだ(1970
年代の高校時代は公道では無
転倒)。
転ぶたびに「なぜだ」「どう
してそうなった」というのを
徹底的に解析しまくった。
精神論に逃げずに、物理的な
現象を正確に把握する事に務
めた。
そして、ある事が見えた時、
公道では一切オートバイで転
倒しなくなった。かなりスパ
ルタンな走りをしていても。

安全運転とは、速度を落とし
さえすれば実現できると思っ
たら大間違いだ。
大切な事は、「適切な判断」
と「適合した適切な操作・操
縦」だ。
規制速度、法定速度を守りさ
えすれば安全、と盲信してい
たら、それはもう最初から危
険世界行きの指定券を買って
いるようなものなので、とて
も危ない。
速度落としは当たり前の事で
あって、それにより安全が確
保されるのではない。
状況判断の仕方、運転の仕方、
つまり「走り方」こそが安全
を身近に引き寄せる。
そこのところ、心得違いをし
てはならない。
瞳に鱗着けの目曇りのままだ
と、確実に危険。





自動車教習所

2024年08月01日 | open



私は普通自動車免許は港区の
三田にある三田自動車練習所
で取得した。山手線田町駅か
らすぐのところ。山手線の線
路ぞいにあった教習所だ。
芸能人たちはほぼすべてここ
で免許を取っていた。私の時
も80年代一番可愛かっただろ
う声の小さい爆発人気の女性
歌手が来ていた。教習者たち
は別段騒ぎはしなかった。そ
れは都民の常識行動。街中や

建物内で芸能人を見かけても
詰め寄ってサインを求めたり
はしない。芸能人などうじゃ
うじゃ普通に歩いているから
だ。また、彼らのプライベー
トを侵す事は都民はしない。

三田の教習所が芸能人御用達
だったのは、最
都心部で一番
駅近の公認教習
所だったから
だろう。芸能人
たちは三田か
目黒での免許取得が多かった。

自動二輪の免許も四輪普通免
許も私は一時限も落ちた事は
無い。
だが多くの人がそうなので、
それは当たり前の事だろう。
バイクも車も。
一発で合格困難なのは自動二
輪の限定枠解除の一発試験
だった。これは壮絶な試験
として実施されていた。不合
格にさせるための試験。
集合時に態度が警察官と同じ
でなくば不合格。返事が小さ
いと即不合格。白いジェット
ヘルメットと黒いブーツでな
いと不合格。試験官=警官の
意に沿わないと即不合格。
自動二輪の限定解除は5回、10
回受験は当たり前だったのが
1975年10月以来の社会的事実
だった。それでも首都圏はま
だよかったが、広島県などは
全国一厳しい(というより
無茶苦茶)試験だったそうだ。
広島県の旧限定解除者による
と、
数十回受験などの実例も
聞く。私と同じ齢の年代で。
乗り方見ると上手いのになぜ?
と思うが、かつての
一発試験
の合否は技術や法規
遵守が実
質的な審査基準にあるのでは
ない。それを広島県警察は確
実に実行していたのだろう。
なんせ、特定衣服を国民が着
用したら市条例違反
で犯罪者
とするというような
都市が県
庁所在地であるのが
広島県だ。
日本国憲法も無視する全
国的
に特殊な県。(「市民の力」
によって最高裁合憲判決まで
引き出している。その判決
自体が違憲性が強い。広島の
排除意識と行動は法律をも
凌駕する。つまり法などは関
係ない)

あまりに自動二輪限定解除試
験が厳しいので、首都圏に

住して試験に臨んだ人も
知っ
ている。広島は国家公
安委員
会の方針を忠実に県警
が実行
していた県だったのだ
ろう。
1980年代当時、大阪、千葉は
意外と甘いとい
う噂もあった
が真実はよく知
らない。とに
かく東京、神奈
川、埼玉は厳
しかった。

態度と着装については、新人
警察
官と同じものが求められ
た。
直立、敬礼、みたいなも
の。

現代の警察の市民への態度と
はまるで異なる。まるで戦時
中の軍隊のような事が社会で
実行されていたのが事実だっ
た。後方確認の角度も決めら
れた角度でないと即不合格で
検定中止。返事や仕草も警官
と同じでないと即不合格。
そんなもん。

一番重要な事は試験が遵法
行動の審査ではなく、警察官
の心象
によって✖か〇が即決
められ
たのが特徴的だった。

私が普通車免許教習を受けた
教習所は、現在は消滅した。
通っていた頃から「よくこん
な都心部で教習所のような広
い敷地を維持できるなぁ」と
は思っていたが、やはりやが
ては消滅した。慶應義塾の三
田キャンパスの近くだった。
慶應女子の高校生も多く公認
三田自動車練習所に通ってい
た。高校3年で自動車免許を
取得するためだろう。慶應女
子の制服のまま教習所に来て
いた。慶應女子は慶應義塾大
の向かいにある。不思議な現
象としてめちゃくちゃかわい
い子だらけ。あれは日本の謎。
偏差値77で全国4800高校の中
で学力全国10位以内を過
去も
現在もキープしている高
校だ。

三田自動車練習所は消滅したが、
私が16才で初めて自動二輪を取
得した線路沿いの教習所は、現
在は「屋内コース」も備わって
いるようだ。三田も所在地域が
珍しかったが、ここもまた施設
が珍しい。


教習所というものは、広大な
土地が必要なので、都会であ
ればあるほど維持費が大変だ
ろうなぁと思う。
それと公的機関である免許セ
ンターの試験場も。そちらは
税金で維持だろうが。
鮫洲、府中、二俣川、鴻巣、
大宮の二ツ宮(廃止)等々。
三田で教習を受けた人たちは
警視庁鮫洲運転試験場で試験
を受ける。都内23区の違反者
たちも免停講習は鮫洲に行く。
免許更新も鮫洲。
鮫洲試験場はメシが美味い。
これは大昔からそうだったが
今も美味しいらしい。




別に港区女子でなくとも、都
内23区在住者は一発試験や学
科試験、違反者講習は鮫洲。
都民おなじみの場所。

女子高校生が原付免許取得にチャレンジ! 鮫洲運転免許試験場で食堂グルメと警察限定グッズをチェックしてきました!!

女子高校生が原付免許取得にチャレンジ! 鮫洲運転免許試験場で食堂グルメと警察限定グッズをチェックしてきました!!

16歳から取得できる原付免許。16歳になったばかりの高校生が原付免許を取得! 東京都にある鮫洲運転免許試験場で午前中の適性検査、学科試験を受けて、すべての課程を終え...

バイクのニュース

 

現在は楽に自動二輪大型免許
が教習所で取れるので便利だ。
広島県三原市内には大型二輪
の公認教習所が存在しなかっ
たが、ごく最近、ことしの春
から三原市内にも大型二輪が
取得できる教習所が登場した。
7月末までの入校だと料金が
40%オフという特典まであっ
た。
予約殺到になったのではなか
ろうか。
予約さえ取れれば、実技講習
は普通二輪を持っていれば
最短1週間で大型二輪免許は
取得できるようだ。
1975年~1995年の限定解除時
代からは隔世の感がある。
ただ、免許制度は今は簡易に
なったが、罰則規定が限定解
除時代より最悪のシステムに
なっている。免許取得初年度
に3点以上の違反をしたら、
ほぼ免許取り消しの道しか無
い制度に変更されている。
ソーッと秘密裏に。
教習所卒ではない一発試験で
免許を取得した者はまず初年
度違反でほぼ取り消しの道し
か進めないようなシステム。
警察国家が得意の飴と鞭の政
策だろう。
免許取り消しの恐ろしさは、
他の種目の運転免許も全て
同時に消滅する事だ。
そうなると、欠格期間を待っ
て運転免許証を再取得するし
かない。
二輪などは、大型二輪はかつ
ての限定解除時代よりも取得
自体は考えられない程に簡単
になったが、その裏にある罰
則規定は、これまた考えられ
ないほど厳しい中身に変更さ
れるようになっている。
警察はただ免許取得を簡単に
変更などはしない。裏で必ず
カタキを取るような事は常套
手段だ。現行免許制度は実は
とんでもなく厳しいものが存
在させられている。
理由は「事故が最近増えてい
る」という言。
この言も得意で、大昔から
警察は必ず言う。「最近事故
が増えている」と。
何年何月のいつと比較してと
かは関係ない。大昔からの
常套句だ。「最近事故が増え
ているから」というのが。
大昔から増え続けているのか
というとそんなことは無い。
科学的根拠の無い事=存在し
ない事を口にして取締強化を
善行であるかのように偽装す
るのが警察の手口だ。
必ず言う。「最近事故が増え
てますのでお気をつけくださ
い。安全運転でお願いします」
と。

「ご安全に」という完璧に間
違った日本語を警察が使わな
いのだけが救いだ。
(退職警官では日本語に疎く、
「ご安全に」と声掛けする
日本語を知らない元公僕も
結構いる)

現代においては、免許証は一
発試験ではなく、教習所に行
くのが賢明だ。
それは罰則システムが巧妙に
変更されているからだ。
一発試験場試験通過者には
教習所卒業者よりも実質的
に厳しい免許取り消しのルー
トへ導く構造になっている
からだ。初年度3点の軽微な
違反によって免許取り消し、
というような。
国民の知らないところで、世
の中はどんどん変えられてい
る。
ソーシャルナビゲーションの
ように社会的にアンテナを張
っていないと、国民は思わぬ
自分の意思とは異なる構造の
中に絡めとられる。
一番恐ろしいのが、国会審議
など一切通さずに法案を通過
させて成立してしまう動きだ。
これは実は岸田内閣はばんば
んやっている。安倍ちゃんで
さえやらなかったような事を。
そして、内閣府とは関係のな
いところで、警察関連法案
はどんどこ警察の思うように
法律改訂や新法成立をさせ
ている。
こうした動きは1980年代には
存在しなかった。
国民の国家監視がきちんと機
能していた時代だったからだ。
今は国民の目さえもザル。
どんどん世の中は危険な状態
に向かっている。
二輪免許についていえば、か

つては試験担当警察官が上か
らの意向で横暴な態度と試験
結果を出していた(違法性大
いにあり)だけだが、現代は
あたりは柔らかくなったもの
の、その実裏ではきっちりと
首を合法的に掻くような制度
を完備させているのである。
国民に大々的に知らせる事な
く巧妙に。
時代は確実に閉塞と完全画一
的国民管理と型はめ社会に
移行している。
その免許の歴史的動向一つか
らも、現代
は「戦後」ではな
く「戦前」
であり、国家権力
が準備態勢
を整えていること
が看取でき
るのである。

そしてまた、モータースポー
ツやモーターリゼーションに
関与するマスメディアは、現
代においてはジャーナリズム
を消滅させているので、一切
社会的な問題に焦点を合わせ
て報道する事は停止している。
翼賛準備態勢に沿うような姿
勢し
か四輪二輪関連報道者は
取らない。ジャーナリズムそ
のも
のが不存在の時代に既に
入ってい
るからだ。
この不気味な総体の動きに対
して危機感を抱く国民も、か
てと逆転して少数派になっ
た。

「準備」は着々と進んでいる。
なお、戦前戦時中に日本の侵
略戦
争を大讃美して国民を煽
って
いたのは「朝日新聞」で
ある。

戦後は一切反省も総括も説明
もせずに、社名さえそのまま
で、今度は民主主義の旗手で
あるかのような顔をし始めた。
そういうのが朝日新聞。
乗り換え変わり身早く、ある
意味、現代報道業界の姿を
先取りしている。




[歴史探偵] 古代出雲CG復元でよみがえる謎の高層神殿

2024年08月01日 | open

[歴史探偵] 古代出雲CG復元で
よみがえる謎の高層神殿 | NHK


縄文時代からの日本固有の
建築技術の粋。
古代出雲大社。

こちらも見応えのあるドキュ
メンタリー映像(1998年)。
古代出雲の本殿建築は国内

随一だった出雲の製鉄技術
と密着していた。
出雲大社の高層建築 
日本の神社建築 
The high-rise building of
Izumo Taisha Shrine
Japanese shrine architecture


ブリッピングシフトダウンとシフトアップ ~モーターサイクル~

2024年08月01日 | open




教習所ではブレーキングブリッ
ピングシフトダウンなどは教
えない。
前輪ブレーキをかけながらの
シフトダウンの回転同調の
ために1回アクセルを煽って
シフトダウンで繋ぐのは、四
輪車でのヒール&トゥと同じ
操作だ。
そのまま高回転域からギアを
ポンとシフトダウンして繋ぐ
とエンジンが過回転になって
しまうからだ。つまり、オー
バーレブ。エンジンは壊れる。
なので、高回転で全速力で突
っ込んできたコーナーの手前
では、ブレーキングで適正減
速させながら、コーナーの立
ち上がり時に適したギアまで
下げる。
その時、ブレーキングしながら
クラッチを切ってアクセルを煽
ってシフトを落とす事を全て
同時にやる。
それがブレーキングブリッピン
グシフトダウンだ。
レースでなくとも、公道であっ
てもエンジンを即パワーバンド
に持って行くスパルタンな走り
の時には絶対に欠かせないテク
ニックだ。

教習所でブリッピングを教えな
い理由は三つある。(推定)
それは、教習所内はせいぜい
40km/h程までしか出さない固定
低速閉鎖コースである事が一つ。
そして、その領域を走るまでに
高回転域までエンジンを回さな
いギヤ選択を強制的にさせる事
が一つ。つまり不適切なシフト
アップを強要する。公道に出て

発進後すぐにトップまでギアを
あげてしまう素人が異様に多い
のはそのためだ。30km/hでさ
えも不適切な高いギアで走行

させようとする。危険。
そして、最後に、受講者は素人
であるので、素早い複数の同時
操作がほぼできないから、とい
うものがある。

付言するならば、教習所では
教習所で教える事が全て正しく
公道でも通じると思っている
節があるが、それは現実とは
遥かに乖離している誤認だと
知ろう。

教習所の乗り方などで公道で
安全が確保できる要素が無い。
教習所は二輪の運転のやり方

を教える場所ではなく、それ
となく操作ができて公道を
交通法規を守って運行できる
事を「認める」公認機関だ。
教習所で運転がマスターでき

るなどと思うとしたら大間違
いだし、教習所の乗り方では
公道の実践通行では危険が多
すぎる。操作そのものが間違
いが多すぎるから。
後輪ブレーキも教習所内での

超低速時と行動での実走行で
の状況はまるで異なるのに、
後輪ブレーキで走行時の制動
が得られると大誤認している
人を大量発生させている二輪
社会問題がある。
事実、後輪ブレーキを自動車
のように踏めば減速すると
思っている人間が異常な数
現在発生している。
60km/h走行で後輪ブレーキ
で制動などはできない。
後輪ブレーキは制動目的では
なく、二輪の構造から車体姿
勢制御に機能が発生する。
これは二輪の原理だ。
そして、教習所内での走行

速度とはまるで異なる公道
において、その差異が認知
できない人たちによって、
後輪ブレーキペダル踏み込み
による制御不能発生での事故
が異様に現代は増えている。
あまりに下手くそが増えすぎ

たので、前輪も後輪も制動
動作中に制動を断続的に解除
するという極めて危険なABS
が二輪にまでも装着されるに
至っ
てしまった。タイやロッ
させる人間=適正制動を操
制御できない無能力者=が
量に増えたからだ。
そのため、ロックによるスリ
ップを回避するために制動
そのものを断続的にやめる
という機構が付与された。
つまり、ブレーキを利かなく
させる装置だ。
だが、ABSがあろうとも、

現代のブレーキ性能では不適
正圧力を加えると、ABSが作
動する以前に二輪は簡単に
ロックスリップダウンする。
事実、そうした事例の事故が
多発している。
それは乗り手が「二輪車を
運転できない免許持ち」だ
からだ。

二輪操作操縦での教習所の大
間違いとしては、そもそも、
前輪ブレーキのやり方を危険
な指放しの四本掛けを教習所
は強制する。

スロットルグリップを一切
指で保持しない、親指を引っ
掛けるだけでブレーキせよと
教える。
極めて危険だ。
ブレーキング時は親指とどこ
かの別の指できちんとハンドル
グリップを回して保持するのが
正しい。
そのためには、右手はOKマーク
か野球の投手の直球のような
指の形でハンドルグリップを
保持する。親指以外の全指で
グリップを放してブレーキを
握るなどという危険な事はや
ってはならない。
万一、その時、ギャップを拾っ
たりしたら、右手はハンドル
から振り払われるように離れ
てしまう。
日本のみが強制的に教えて
いる右手四本掛けブレーキ
は大変危険な誤動作なのだ。
しかも、四本掛けというのは
二輪車の前輪ブレーキがまだ
利きの非情に悪いドラムブレ
ーキ時代に握力で握りしめる
事によってブレーキを利かせ
る60年以上前のやり方なのだ。
そんな時代錯誤の方法を頭の
固い教習所は「正しい事」と
21世紀の現代でも教えている
だけなのである。
実際、警察の白バイはその方
法は危険すぎるので実走行で
は前輪ブレーキは指2本掛け
を励行している。全白バイが。
警察は合理的に四本掛けなど
は既にとうに廃止している。
教習所と一発試験の現場のみ
が60年以上前の誤った操作を
現代でも国民に強要している
のである。
とても珍妙な事だ。不合理。
しかも、現代バイクでは危険。
四本掛けで急制動などしたら
前輪は軽くロックするし、四
本指での圧力調整などは極め
て難しい。

私は16才での教習所での実技
講習や卒検、それから後年の
限定解除
の一発試験などでは、
外形は合格
のために四本指を
伸ばして四
本掛けのように見
えるように
して、実質は中指
と薬指のみ
でブレーキレバー
を操作して
いた。
それでないと急制動や細かい
繊細なブレーキ調整などはで
きない。四本指でくそ握りな
どは。これは剣道の竹刀や日
本刀などでもそう。四本指全
てを握りしめるような方法で
微細な可変を必要とする手の
内の冴えなどは絶対に出せな
い。
なお、私は公道の一般走行で
の信号停止や微細減速などは
右手は指一本でレバーを操作
する。ハードブレーキングで
あっても指二本だ。
四本掛けでは回転同調のブリ
ッピングがそもそも物理的に
できない。スロットルを掌で
なで煽りのようになるからだ。
1250rpmだけ上げるとか、
1320rpmだけ上げるとかの
状況によっての繊細で的確最
適なブリッピングなどは、な
つけるような形の掌ではで
ない。グリップを手で包ん
でいないと無理。


なお、ブリッピングでの回転
煽りでシフトダウンするタイ
ミングは、タコメーターを見
て回転が上がり切って下がる
瞬間(下がる前)にダウンした
シフトを繋
ぐ。
それはほんの一瞬の事だ。
2ストならば、パァーーンと
来て、ブレーキングを始めて
パンパンという具合。
4ストならば、コォーーンと
来て、ブレーキングを始めて
フォンフォンという感じ。
のんべんだらりとはしていな
い。ブレーキとクラッチ切り
とシフトダウンとブリッピング
とクラッチ繋ぎをほぼ同時に
やるのだから。
たとえ初心者であろうとも、
要領の良い人は即覚えるが
ド素人には無理。
大型乗りを自称する人間と一
緒に走った事があるが、まる
で出鱈目で教習所と同じよう
な(あるいはそれ以下)の超
絶ド素人運転しかできなかっ
た。免許を見たら本当に大型
二輪だったが、あそこまでド
下手クソは見た事が無かった。
阪奈で大型で原付にぶち抜か
れるとは言っていたが、二輪
やめたほうがよいと思えた。
身体の四肢と指の動作が鈍す
ぎて話にならない。
また、探究心も研究心も努力
も一切しない。
二輪運転走行には向いていな
い。

あと、よく旧車會のやんちゃ
乗りで、シフトアップの時に
一回空ぶかしという物理的に
意味のない事をよくやる人が
いるが、あれのシフトダウン
のパターンでブレーキしなが
らというのがブレーキング
ブリッピングシフトダウンだ。
四輪車のヒール&トゥの操作
と同じ目的の動作。
私はGTRやロードスターなど
に乗る時にはH&Tは多用する
が、ミニに乗る時にも常用だ
った。
それと、バイクでも市街地で
の超低速で信号停止の前も
300乃至500rpm煽りでブリッ
プシフトダウンさせている。
2ストであろうと4ストであろ
うと、エンジンブレーキを制
動に使用する事は一切しない。
エンジンが壊れるからだ。
制動はすべてブレーキで行な
う。エンジンは制動の為にあ
るのではない。
4ストでシフトダウンの時に
は、バックトルクを逃がす
ための半クラ繋ぎも状況に
より使う。BTリミッターが
ついていないマシンは勿論、
ついているマシンでもクラ
ッチ操作は乱暴にせず車に
見合った繋ぎ方を私はする。

それともう一つブリッピング
シフトダウンには効果がある。
それは、それを恒常的に常用
すると、エンジン内部の傷み
が非常に少なくなる。
これ、ほんと。
適正負荷をかけて、不適正な
逆負荷での負担をクランク
に負わせないからだ。
長距離実走エンジンになれば
なるほど、この違いは出て来
る。
一番エンジンに傷みが少ない
のはごく低回転を続ける事
だが、それでは車は走らない。
シフトダウンではブリップに
よってエンジンをいたわる運
転が好ましい。
それには右手のみでエンジン
回転を自在に10rpm単位で
上下させる事ができないと
ならない。
それゆえ、素人や初心者には
困難なのでブリッピングを公
的に教える場所は少ないのだ。

ちなみに、私の妻は、ごく普
通にブリッピングを常用して
いた。パァーンと来てパンパン
と。勿論ブレーキングしなが
ら。
二輪操縦操作の常識だから、
常識の当たり前の事をやって
いただけだ。飲み物を飲むの
に手でコップを持つのと同じ。
やり方は私が一から教えた。
オートバイでのブレーキをか
けながらのブリッピングシフ
トダウンは私は12才の春にマ
スターした。
四輪のH&Tを覚えたのは13才
の時だ。

なお、暴走ちゃんや旧車會が
よくやるシフトアップの時に
一発空ぶかしをやるのは、
れは二輪車の「鋭い走り」に
一切関係が無い。
無いどころかエンジンによく
ないし、トロいチンタラ加速
しかあれではできない。
加速しないバイクをカッコい

いと思う時点でずれている
気もする。
エンジンに良くない事などは
「コール」をする人たちはお
構いなしなので、全く関係な
いオハナシなのではあるが。
私個人としては、コール自体

はエンジン可哀そうだなぁと
は思うが、上手い人のコール
リズムは嫌いではない。耳で
受ける音としては。下手くそ
な音を聴くと「あ~あ」と
思う。
あのコール自体は私個人は
段騒音だとも思わない。

夜中に街中でいきなりラッパ
を大音量で吹くなよ、とは思
うが。
ただし、物理的にエンジンは
極度に傷むし、悲鳴を上げる。
キャブ車などでは過度の負圧
開閉速度から蓋の軸受けがす
ぐに変形摩耗する。やがては
キャブの
同調取りが不能にな
る。つまりバイクを壊してい
る。
極言すれば、コールはドラム
の音を出そうと、棒でバイク
のタンク
を連打してみている
ようなも
のなのだ。
コールはエンジンを大切に思
うのであるならば、一つも良
い事は生じない。



 


本質を忘れた武の道の家の者への甘やかしをする現代日本

2024年08月01日 | open

 

スポーツを歪める阿部詩の大号泣とメディアのお涙頂戴報道…「非常に残念な振る舞い」と識者バッサリ(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース

スポーツを歪める阿部詩の大号泣とメディアのお涙頂戴報道…「非常に残念な振る舞い」と識者バッサリ(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース

 案の定、29日の朝刊スポーツ紙には感傷的な見出しが並んだ。 パリ五輪柔道女子52キロ級が行われた28日、圧倒的優勝候補に挙げられた阿部詩(24)が2回戦でまさかの敗退...

Yahoo!ニュース

 

 

パリ五輪女子柔道・阿部詩のギャン泣きに賛否…《コーチが早く場外へ連れ出すべきだった》の辛口意見も|日刊ゲンダイDIGITAL

パリ五輪女子柔道・阿部詩のギャン泣きに賛否…《コーチが早く場外へ連れ出すべきだった》の辛口意見も|日刊ゲンダイDIGITAL

 東京五輪金メダリストで、パリ五輪でもメダル獲得が期待されていた柔道女子52キロ級の阿部詩(24)が2回戦で世界ラ...

日刊ゲンダイDIGITAL

 

泣いてもいいだろう。
泣きたければ。別な場で。
だが、相手への礼さえも忘
れ、会場で感情のままに場
もわきまえず号泣して
試合
運営を妨げた
のは紛れもな
い動かせない事実だ。

泣くならば、独り人知れず
泣けばよいではないか。
武道家ならば。
甘やかしてベタベタ慰める
人々は、
詩選手を擁護した
いあまり、
柔道の本質と大
切な柔道の心さえ
も踏みに
じろうとしている。
「人として」とかの偽造美

辞麗句を枕詞にして。
人としてであるからこそ、
柔道が柔道の一番大切な
事を無くしてはならないの
だ。
柔道の心を捨象させて行く
疑似的な虚構のいたわりに
よって、武道の尊厳を根底
から踏みにじる。ニセモノ
のナァナァよしよしの慰め
で。
それは断じて許せない事な
のだ。
相手への礼無き柔道は、も
はやただの軍鶏の喧嘩だ。
武道は殺人テクニックとし
て鍛錬された時代の武術で
はない。「道」なのだ。
心得違いを心得違いである
と教育指導しないのは、そ
れはもはや武道でも何でも
ない。

かつて、モーターサイクル

ロードレースで日本で初め
て女性で国際A級になった
小沼賀代子選手は、ノービ
ス時代にワンワンと大声で
泣いた。サーキットで。
「男に負けた」と泣き喚い
ていた。見ていて痛ましく
なる程に。

だが、それはそれでもいい
のだ。ロードレースは日本
武道ではないから。
日本の武道家としての心得
が厳格に求められる武道の
場ではないから。
だが、柔道や剣道や合気道
や弓道や相撲等の場でそ
をやっては絶対にいけな

のだ。
ましてや、試合の
相手への
礼を忘れる無礼を
働いて、
試合進行を妨げる事まです
る試合会場で試合
直後に号
泣して居座るなどという

は、あってはならない事

のだ。それはたとえスポ

ツ化されて国際的に世界

競技されるようになった

柔道でさえも。
否、柔道であるからこそ、
やってはいけない。礼を
忘れる行為は一切。
剣道ではガッツポーズを

したら即失格だ。敗れた
対戦相手を慮らず、自己
欲しか大切にしない心は
邪心である、という日本
の精神がまだ剣道の世界
には「伝統的な日本人の
礼節」として生きている
からだ。相撲もガッツポ
ーズは禁止事項になって
いる。


私は柔道を知らない訳では
ない。
小学生時代は剣道と共に柔
道もずっと道場に通って学
んでいた。柔剣道をずっと
やっていた。

そして、今でも私は剣道連
盟に属している武道に身を
置く者だ。
金銭的不正や人に対する嘘
偽り、試合上の不正、
礼節
の無視などは武道に身
を置
く者は絶対にやっては
いけ
ない事なのだ。
それを忘れるならば、武道

の世界からは身を引いて別
のエリアに行った方がよい。
これは段位や実力の優劣、

知名度などは一切関係ない。
武道をやる全ての人間に課
された絶対命題なのだ。
心無き武道などは、ただの

相手を倒してやり込めて喜
ぶ事に価値
を求める非人間
的な腕力で
しかない。
やめたまえ、腕力は。
それは、柔道の心でも剣道
の心でもない。
心正しからずんば、剣体また

正しからずだ。
君よ、人が人でなしになる
事に武道を利用するのはや
めよ。周囲も含めて。
原点をもう一度見つめよ。
柔道の心「自他共栄」から。


「自他共栄」
(嘉納治五郎の教え)
自他共栄とは柔道の開祖嘉納
治五郎が掲げた柔道の指針。
相手を敬い、感謝する事で信
頼し合い助け合う心を育み、
自分だけでなく他人と共に
栄えある世の中にしようと
いう理念。
他人のために尽くす事に理由
を求めるのではなく、自らの
保身に走らず他人のために尽
くす事の大切さを説く。
その心が無く、自分勝手な行
動ばかりでは、やがて己も人
も破滅させてしまうという事
を戒める柔道の最重要な教え。
嘉納治五郎が掲げた柔道理念
の大切な教えが「自他共栄」
である。
これは「柔道の心」の一つと
なっている。
柔道を学ぶ者は、この柔道理
念の教えをまず学び、礼の意
味と深さを知りて実行する。