嫌いだ。
トナム人を殺す爆撃機がバン
バン飛んでる時代に、なにを
寝言を歌っているのかと、
小学4年の私でさえ思ってい
の反戦闘争やベ平連の反戦運
動や学生の全共闘運動ともキ
ッパリと袂を分けていた。
西口広場のフォークゲリラや
新宿騒乱事件とも方向性を
異にしていた。
って戦後の平和な時代に生ま
れた子どもの「僕ら」は、
戦争なんて野蛮な事は無縁
ですよ〜、戦争はんたぁ〜
い、という趣旨の曲だ。
つもりで何を言ってるのか、
このおっさんたちは?
いた。
これは、嘘だ、と。嘘を歌
っている、と。
だからこそ私は1970年に
反戦演劇の脚本を書いた。
そしてそれは翌年採用され、
全校の演劇として横浜の
母校で上演された。
リーに戦争加担していた。
の基地からは戦争のために船
舶、航空機がひっきりなしに
出撃していた。
車には、ベトナム戦争用のタ
ンクがすずなりに積載され
てそれが毎日線路を通って
いた。
それを目の当たりに小学生
でさえ日々見ていた。
自分たちは関係ありませぇ
〜ん、という立場を取る
「大人」がいる事のほうが
頭おかしいのでは?とか小
学生の私は感じていた。
反戦のヘルメットを被った
労働者が機動隊にどつき
争に参加しているほうが
「人としての心の真(まこ
と)」があるように思えた。
も、聞いていて難しい言葉が
多くて小学生にはよく分から
ない所もあったが、言いた
い趣旨は小学生にでも理解
できたし、反日共系全学連
のアジ演説は聞き入らせた。
と。それだけは理解できた。
今のベトナム戦争の加担者な
のである」という自覚の大切
さだ。
立場に刃を向ける全学連(反代
々木系)の大学生のお兄さんた
ちにある種の漢を見た。演
説を聴いてそう感じた。
60年代末期の首都の風景だっ
た。
しに加担してまでも自分ら
の城内平和を謳うムラ意識
のエゴイストたちのニセ平
和讃歌であるこの曲が流れ
ていた。
事を10才の私は知った。
このレコードジャケットの
場所を見よ。
ベトナム戦争で人がどんど
こ殺されている時に、お祭
り騒ぎで日本は平和でああ
良かったね、の大阪万博の
カーニバル会場だ。
この曲を歌う連中の心根が
よく判る。
私も万博には行ったが、払
拭できない違和感がその場
でもずっとあった。
10才のその時に。
このお祭りは何なのだろう、
と。
ベトナム戦争は関係ないの
だろうか?
本当に僕らと関係ないと、
この浮かれた人たちは本気
で思っているのだろうか、
と。
だとしたらそれは何なのだ、
と。
小学生の少年はそう思った
のだった。
オートバイは「乗っていて
楽しい」という車が一番か
と思う。運転操縦そのもの
が面白いモーターサイクル。
このヤマハRZ350は本当に
面白い二輪だった。
私の経験では過去最高。
エンジンパワーとかシャシ
剛性とか、ブレーキの利き
だとか、そういうのだけで
はオートバイの面白さは測れ
ない。
RZ350は、とにかく乗って
いて楽しい車だった。
トータルバランスというか、
なんというか。
そして、ハンドリングは最良
だった。旋回中でも自由自在
にラインを変更できる。ホン
ダのようにアンダーステアだ
ったり逆に突然のインへの切
れ込みが発生したりも皆無だ。
ヤマハの完成されたグッドハ
ンドリングを完璧に体現して
いたモーターサイクルだった。
2010年代後半に欧州で発売さ
れてヨーロッパやイギリスで
爆発人気となったXSR700は、
デザインイメージはRZをかな
り参考にしたと開発総責任者
本人が私に語っていた。
本人は大学の時にRZファン
だったが、かつてのような
乗り捨て使い捨ての車では
ないテイストを主軸に対置
させるところから開発コンセ
プトが模索され、その中で日
本刀斬鉄剣製作に関わる私の
存在を知り着目したと言う。
私のネット日記は2003年から
の物を全て読んだそうだ。
RZ350。
至高のオートバイ。
日本人は、毎年、8月6日
のみ戦争を思い出すような
風潮はやめて欲しい。
毎年、この日のみ平和を願
う国民かのような顔をした
がる。
そうではなく、1年365日
心に刻むべきだろう。
海上保安庁のダイバーは右
利きの場合、左脛の内側に
ナイフを常備するらしい。
ルを下向きに装備するとい
う。
でのナイフの運用方法。
彼は言った。
が、海に向かう律は、陸上
の自動車の運転免許より
もずっと高い人間的質性
が求められる事を知った。
RZの1型4U0のノーマルバー
ハンドルは、前から見ると
セパハンのように見える。
状のアングルシルエットの標
準バーハンドルはほぼ無い。
性の面からもなぜだろうと考
えたが、ふと気付いた。
準のセパハンが運輸省に認可
されたからだ、と。(国内初
の認可セパハンはホンダCB
750F)
登場したならば、何もセパハ
ンの角度のバーハンドルにす
ることはない。今でも車検に
通らないスワローやコンド
ルのようなものは別物と
クリップオンの形状的な棲
み分けが「事実上」(法律用
語)として歴史の中で登場し
た、という事なのだろう。
代の黎明期、60年代の揺
籃期を経て、70年代の
飛躍期の次に80年代の完
成期が来た。
性は1980年代にほぼ確立
された。
あり、今世紀初頭は新たな
世界的環境基準の中での技
術の再開発期といえるだろ
う。
の強制的消滅に伴う衰退期
を間もなく迎える。
は地球上から無くなる。
これはもう決定事項だ。
機や船舶はどうするつもり
なんですかね。地球の産業
が終わると思うけど。
振り回す綺麗事の非現実的
な先走り政策に翻弄される
期間がどれくらい続くか、
だろうなあ、実際には。
で、船舶を乗っ取り無法を続
ける叛乱自衛官を島の岩陰か
ら三村隊員が狙撃するシーン
がある。
プで船上の2名を瞬時に射殺
するのだが、その狙撃銃のス
コープは横抱きマウントされ
ている。
サイドマウントはなかなか
実は中国地区関西地区から
九州別府大分入りするには、
陸路だけではなく、フェリー
を使って神戸大阪からと山
口県徳山から、そして四国
愛媛から九州に上陸するル
ートが複数ある。
中国地区からは徳山から大分
県国東半島の竹田津に就航し
ているフェリーを使うのも手
だ。
瀬戸内海最短ルートを通って
約2時間で徳山から竹田津に
到着する。
そこからは陸路で90分で別
府に着く。
水行2時間、陸行1時間半だ。
船内では休息を取ることがで
きる。
直線距離で約60km。30海里
ほどか。
かつては広島の港から別府ま
でフェリーが就航していたが、
10年程前に廃止となった。
三原から愛媛今治行きのフェ
リーも廃止となり、非常に不
便だ。出来る限り高速道路で
陸路を使わせようとするので。
自動車を持っていない人には
不便になった。
徳山から竹田津へのフェリー
は、一般的な瀬戸内海を走る
フェリーで、さんふらわあや
東九オーシャンフェリーのよ
うな大型船ではないが、こう
したフェリーの就航は足とし
ては便利なのである。
最近なにかとマナーが問題視
される「撮り鉄」は昔から多
かったが、「撮り船」という
船舶撮影
マニアとかもいるのだろうか。
いるんだろうなぁ。
はかなり面白い。
造密売する中国人黒幕が雇っ
た元ネイビーシールズ出身者
で編成した傭兵たちに次々と
倒される。
して殺害した主人公を中国軍
の演習地で演習に紛れて抹殺
する事だった。そして、隠
したウイルス兵器を搬出す
る事。
傭兵たちと戦う。
チの地雷はほぼ存在しない。
(らしい。聞きかじりだ)
森林での戦闘シーンは殆
どサバゲ状態に近い。
実際に演習の時は模擬ペ
イント弾で青軍と赤軍に
分かれて中国軍は訓練し
ていた。
そこに傭兵部隊が侵入し
て実弾配備されて実戦と
なった。
最後に、国境まで逃げ切
ろうとした傭兵は草原に
出る。
これも日本のサバゲフィ
ールドのような地形だ。
これはまるで日本のサバゲ
フィールドそのもの。
敵はしぶとく被弾しながら
も逃げる。
この場面も、サバゲに激似
のシチュエーションだ。
ここで撃ち合ったら、ゲー
ムではほぼ同時ヒットで両
方ともヒットアウト退場に
なるが、映画はそうならな
い。
ストーリーを楽しむよりも
映像そのもののアクション
シーンを楽しむ作品だ。
だが、チャチな点がほぼ無
く、存分に楽しめる作品に
仕上がっている。
岸部史郎のような麻薬王の
悪役が無表情でかなりよい
演技。
主人公は、カンフー映画の
主人公のようなキャラクタ
だ。
ただ、やたらと同志愛や同
胞愛、家族愛を場面に差し
込むのは中国ならではか。
だが、本作は「ハリウッド
映画」と言われても納得す
る程の出来に仕上がってい
る。
中国がこのような映画を撮
れるというのは、もう中国
は40年前の全員人民服で自
転車乗っていた中国とは違
うのだなぁと思える。
なお、軍の装備は全て西側
の戦闘服や銃器(中国オリジ
ナル95-1式等)を参考にして
装備大改編をしている。これ
は現実でもそう。
ヘリの国籍マークさえも、
ただの星ではなく、米軍の
帯付きを模倣して星の両脇
に帯のマーク。
それが妙にカッチョイイ。
真似して本家以上の物を作
るのは日本のお家芸だった
が、中国もかなりやる。