渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

鉄輪(かんなわ)ゲストハウス ~九州別府~

2024年08月23日 | open

3年前に諦めたあの秘境へ
モンキー88でリベンジ


ここのオーナーさんとは波長
合って、結構遅くまで一緒
にリビング談話室で飲
みなが
ら話し込んだ事がある。

オーナーさんはバイクで全国
を転々としたが、
阿蘇を身近
に走りたいがために
鉄輪に北
国から移住した人。

ナイスガイだった。
宿泊した時の2年前に一度集
団予約したが台風で関東組の
船便が結構したのでやむなく
キャンセルした時の事もよく
覚えていてくれて、ようこそ
いらっしゃいましたと温かく
歓待してくれた。
バイク大好き、バイク乗り大
好きマン。
基本素泊まりだが、台所も
洗濯機も使わせてくれる。
私たちが行った時は2階の大
部屋を使わせてもらった。
宿泊所ぽくなく、学生時代の
一人暮らしの友人の家に泊ま
りに行ったように寛げるゲス
トハウスで、おすすめ。
我々が行った時、やはりこつ
ぶちゃんと同じ回転寿司店に
行ったが、同じように早期閉
店になっていた(笑
そのため食事は焼き肉屋へ。
店主の方も感じよく、よい
店だった。
入った温泉は、同じくひょう
たん温泉だった。
街中温泉だらけで、刀を腰に
差してたら刀錆びちゃうん
じゃない?てくらい街全体
が温泉の湯けむりの場所。

その晩は別府鉄輪で台風を
やり過ごし、翌日3日目連続
の阿蘇にまた向かったのだっ
た。
台風一過で晴れてよしよし、
ではなく、台風の爪痕で南阿
蘇の道路状況は最悪だった。
泥水が路面に流れ出して厚さ
5センチ以上で路面コーティ
ングしてしまっている道だら
けと変貌し、多くの二輪車が
滑って転倒していた。
「ここ危ないね~」という事
で、一服休憩した路上で通行
二輪に速度ダウンを手信号で
みんなで知らせたが、それで
もドガシャーン転倒する二輪
があとを絶たなかった。
台風通過でピーカンでも道路
は前日、前々日と一変してい
た。
台風通過後の山の道は要注意。
広島帰還時は台風余波の雨雲
を負う形となり、途中から急
激な気温低下で体温を奪われ
始めたので、インカムで連絡
取り合い、SAに急遽寄って真
夏なのに防寒の為に全員カッ
パを着こんでの高速走行に切
り替えた。

しかし、こつぶちゃん、女性
看護師が殺害された現場の温
泉によく一人で行くなぁ・・・。
8/20現在以降は完全に立ち入
り禁止。
犯人は強盗殺人罪および強制
わいせつ致死罪で起訴されて、
大分地裁は無期懲役の判決を
下した。検察側弁護側も控訴
せずに刑が確定。人を強姦し
て工具で撲殺し金品を奪って
も死刑にはなっていない。
看護師の遺族は強く死刑を望
んでいた。
人をゆえなく強姦して殺して
強盗してもその犯人は生きな
がらえている。死刑制度の存
続の是非云々以前に、そのよ
うな現実が日本には存在する。
人を強姦し殺しても自分は死
なない。極めて不公平だ。
それが高度な文明社会?
私はかつては死刑制度廃止論
者だった。殺人を行う事を罪
とする法律が刑により殺人を
実行するのは制度として法的
整合性確保の精神に反すると
判断していたからだ。国民に
人を殺すなとしながら国家が
人を殺すのはどう考えてもお
かしいからだ。
だが、今は真逆だ。
凶悪犯罪者は完全に冤罪の虞
なき場合には片っ端から死刑
にすればいいと私は思ってい
る。被害者や被害者遺族より
も殺人者の人権が守られ過ぎ
という現実があるからだ。
ただ、日本には量刑が死刑し
か存在しない罪がまだある。
それは「外患誘致」。
外国勢力の手を借りて国家転
覆を計った者およびそれの準
備をした者には無期は無い。
死刑という量刑しか存在し
ない。
つまり、国民の命よりも国家
の命のほうが重いという法律
概念が存在している。
これまた一般殺人犯の量刑と
比して法的整合性は担保され
ていない。おかしい話なのだ。
尊属殺人が一般殺人よりも重
犯罪であるとする前時代的量
刑規定は1973年に違憲判決が
確定し、1995年に法的に撤廃
されたのは法の整合性確保の
上ではそれはよい。
だが、人を殺しても死刑には
ならないケースも多い。
かつてヤクザがヤクザを殺し
ても5年程で娑婆に出て来れ
た。
実態はそんなものだ。
人が人を殺しても自分は殺さ
れない事が多い。
日本はそのようなシステムに
なっている。
そして、日本の法律は矛盾だ
らけの場合がかなりある。
総体として犯罪者には手厚く、
被害者には酷な構造になって
いる。
そうした構造に乗っかり、日
本は「安全で平和で治安の良
い国」ではなく、実質的には
凶悪犯罪大国となっている。
結局、日本は国家国体のみを
最重要として護り、国民の命
は重要視してはいない体制な
のである。
何が平和で良い国なものか。