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英語と子育て

英語を通して子どもたちの夢をサポートするブログです

きみはなにがしたいのか?

2018-03-08 | 教育一般
先日サタデークラスを手伝ってくれているTeacher's helper(先生助手)のMeiちゃんと話をしました。

アメリカからの帰国子女で英語は得意です。来年から高校2年生。そろそろ進路を考えなくてはいけない頃。

私  「そろそろ進路だよね。」
Mei   「そうなんだけど、何したらいいかわかんないの 
私  「文系? 理系?」
Mei  「理系科目が全然だめだから、私文というのは決めたんだけど、外大になる?」
私  「何がやりたいの? 英語を専門にするの? 英語でなんかやりたいの?」
Mei  「あっ! そうか、外大じゃなくてもいいのかあ~ 」
私  「英語の先生とか、通訳を目指すなら、英文だけど、英語で何かやりたいなら、その何かを探さないとね。英語で物を売りたいとか、英語で日本を紹介していきたいとか、そういうこと」
Mei   「はあ~、全然思いつかなかったわ。。。」
私  「~~~

英語が得意ですと、とかく英語だけに目がいきます。

私もそうでした。

将来は「英語の先生」「通訳」「翻訳家」「CA (キャビンアテンダント)」とか・・・エトセトラ。

しかしアメリカに留学した時に、英語以外にもっているものが私にはないことに愕然したことを鮮明に覚えています。

「英語がただのツール」と認識した初めての経験です。

      

私のスクールでは小学校6年生で卒業する子どもたちに一冊の本をプレゼンとしています。



その名も「13歳のハローワーク」

2003年発刊、130万部売り上げたベストセラーです。

2010年には「新 13歳のハローワーク」が発刊され、現在は「13歳のハローワーク 公式ウェッブサイト」ができていて、自分の興味から職業を選びだしたり、人気職業の紹介などされています。

現在の人気職業ランキング5位は、
プロスポーツ選手
ゲームクリエイター
医師
パティシエ
保育士

だそうです。時代の変遷を感じます。

我が家の息子たちも中学~高校にかけて、何度となくこの本をめくりました。

「へえ~、こんな仕事あるんだ
「こんなんやってみたい

と親子で本を覗き込んだものです。

で、Meiちゃんはというと。。。

私  「13歳のハローワーク、見てみた?」
Mei  「ああ、どっかにあった。あんまり見てない
私  「あらあら  」と、説明。

「帰ったら見てみるわ!」と嬉しそうに出て行きました。

なんか見つかるといいね 






貴族と奴隷

2017-03-10 | 教育一般
あなたは「文系」ですか? それとも「理系」ですか?

私自身、からきし理系はだめで、高校二年で「数2B」も「物理」も諦め、私立文系にまっしぐらした口です。

昨今は「リケジョ」という言葉が生まれるほど理系女子が増えていますが、スクールを長年運営していて、生徒の性差をみると女子が多いのは事実です。

読み書きについていえば、小学生クラスでは女子の方が集中力があり、嫌がらずにどんどん自分でやります。一方、男子は総じて「書く」ことが嫌い
不思議だなあ~  と思っていました。

これは性差による脳の違いということを、先日武田邦彦先生とお話しして再認識しました。

「ここ数年、政府が子どもたちの「英語力アップ」に力を入れていますけど、もしこれが「電気」や「滑車」になったら、あなた、どう?」

と武田先生に言われて「う~ん、困ります」と思わず答えてしまいました 

かつてノーベル賞を受賞した益川先生も、授賞式で「私は英語は話せません」とだけ英語でおっしゃって、あとは通訳に任せてらっしゃいましたね。

ただ、核心はどのレベルの「英語」が必要ということじゃないかと思います。

すべての人が「通訳」になるほどの英語力を持つ必要はないと思いますが、グローバル化の現在、ほかの国の人とコミュニケーションがとれるほどの英語力、「グローバル市民」としての英語力はあった方がいいですし、英語は所詮、国語と一緒、言語ですから、国語の力が伸びれば、英語も伸びるのです。

武田先生の話で一番面白かったのは、モティベーションの話です~「貴族」と「奴隷」

「奴隷」という言葉は使いたくないですが。。。。と一言あって、

「貴族」 幸福感がある、能動的
「奴隷」 幸福感がない、受動的、そして  「やらされてる」感が大きい。

との対比でした。

これが学習のポイントだと思いました。

本来「学習」というのは「学んで問う」という能動的なもの。

それが「やらされている」という気持ちになっては「学問」になりません 

「貴族の子どもを育ててください 」という武田先生の締め言葉に大きくうなずきました。


英語になった日本語

2016-06-08 | 教育一般
私が留学をしていた1980年頃は、カリフォルニアでもまだ「豆腐」は珍しくて、ちょっと高級そうなヘルシーフードストアにちょこんとのっているのを見つけたことがあります。

「え~」と声をあげるくらい高い値札の横に'TOFU'と書いてありました。 知らない人はこれだけじゃ、なにがなんだかわからないだろうな~と思いました。

その豆腐、以前は'bean curd'と言って説明しましたが、ちっとも理解されず、ある意味「謎の食べ物」でしたが、世界に和食ブームが広がり、今や英語の'Tofu'で通じるようになってきました。

和食ブームのおかげでたくさんの日本語が英語化しています。気が付いただけでも、例えば、

sushi 寿司
tempura 天ぷら
wasabi  わさび
sukiyaki すきやき
teriyaki てりやき
miso   みそ
sake   酒

食以外でも私のスクールの講師は「karaoke」「karate」「anime」「tsunami」を知っています。

先日カナダ講師と話しをしていて日本文学の話題になった時に彼が'harakire'(と私には聞こえた)と言いました。「なんのことだろう~」とよくよく聞いていればなんと「腹切り=切腹」のことでした。

グローバル化が進むと言語もグローバルになるんですね。英語の世界で日本語が使われる例がどんどん増えています。

先月のTIMEマガジンに掲載されていた記事がこれ ↓



「え~、先輩って今や英語!?」とおどろきました。

昔見た映画で「カラテキッド」というのがありましたが、この映画で「カラテ」「センセイ」というのは出てきていました。今や「センパイ」も仲間入りなんですね。

そんな中でも「ガイジン」という言葉だけは使わないように気を付けたいです。

「ガイジン=外の人、よそもの」というイメージから、差別をされているような気持ちにさせてしまうようです。

あるアメリカ人が「ガイジンは差別用語だ」と言っているのを聞いたことがあって、私たちが何気なく使っていても、そうなふうに受け取られるのは危険だなと思いました。

日本語はわからなくても、この「ガイジン」という言葉を理解できる人も多く、誤解を生まないように、「外国人=他国出身の人」と言うように気を付けていきましょう。

これもひとつの「国際化」だと思います 

BIとAI

2015-03-21 | 教育一般
みなさんは携帯電話を持っていますか?  スマホですか? パソコンやタブレットを使っていますか?

周知のとおりこういうテクノロジーは急激な進化を遂げました。

80歳の母でさえ、最初は「アナログ人間だからわからない」と言い続けていたのに、今では携帯電話で、私より凝った絵文字つきのメールを送ってきます。最近は乗り換え時刻を調べたいからスマホにしたいと言っています 

今や携帯電話スマホ普及率は40%。それもたった5年でこの伸び率です。


業界ではインターネット以前の時代を’BI’ (before Internet)、そして後を’AI ‘(after Internet)と呼ぶそうです。

私が就職した1980年代前半、日本はまだBIの時代で、社会人1年目にオフィスにファックスが登場しました。

ものすごい大きな鐵の箱がやってきて、所長以下7名の職員がそれを取り囲み、箱から出てくる文書に「お~!!」と感嘆の声をあげました 

その後すぐにIBMのパソコンがやってきて、30センチ四方のフロッピーでデータを保存。タイプはワープロに変わりました。

1990年に入り、スクールを立ち上げてしばらくした頃、アメリカの友人から「メッセージはEmailで送って」とファックスが届き、同僚とひたすら首をかしげて、「Email? はて いったいどういうものなんだろう?」と話したのはついこの間のよう 

1990年代後半に私は大学に戻り、コンピューターによる英語教育を学び、当時一世風靡していたMacを使ってプログラムを作ったり、ユードラというメールソフトでやっとEmailの実態を把握しました。

携帯電話に至っては、めちゃくちゃ大きくて重いIDOの電話を車で使ってましたが、あっという間に小さくて軽い携帯電話になりました。

こうしてBIからAIまでほんの20~30年の間にテクノロジーは恐ろしいスピードで進化していて、私はそれを体感していることになります。

次の表を見ると、インターネットは5年で 20%以上の普及率。


出所:http://www.citylab.com/tech/2012/07/how-technology-spreads-1-chart/2752/


このスピードに追いつくべく、私自身がどうやってハイテクを学んだか、というと、教室で授業をうけるよりも多かったのが、「とにかく触って使ってみる」という時間です。

当時はパソコン教室などもなかったので、とにかく自分で使ってみて考える、そしてどうしてもわからないことがあると、詳しそうな人を誰でも捕まえ、わからないことは聞いてみるーこれの繰り返しだったように思います。

先日MITメディアラボ所長の伊藤譲一さんのプレゼンを改めて聞いて、そのとおりだよな~と唸ったのが次の言葉。

「誰かに教わるのが教育、自分から求めるのが学び」

そして、私たちは、

「どうやって学ぶかを学ぶべき」であり「地図よりは羅針盤を持て」とのこと。

今の子どもたちのことを考えると、おけいこや塾で忙しいけど、塾へ行くだけで「賢く」なるわけではなくて、自分の頭で「不思議」を考えることで、人は賢くなるんじゃないかと思うのです。

「知識」より「知恵」が大事。

「受け身の教育」じゃなくて、「攻めの学び」のチャンスを子どもたちに与えてやりたいものです 

音楽と情操教育

2015-02-09 | 教育一般
その昔、長男がバイオリンを習っていたある日、合奏をするグループレッスンの時に先生のお友達という青年が蓄音機を持ってやってきました。

子どもたちは蓄音機などというものを見るのも初めてだったのですが、その時にかけてくださったのがクライスラーのレコードでした。

CDで何回も何回も聴いて弾く練習をしていたので、耳には馴染んでいるはずなのですが、目を閉じると、クライスラーが今そこに居て「愛の喜び」を弾いているような感じがして、とても感動したのを覚えています 

先週末、同僚と名古屋の宗次ホールで開かれた赤松林太郎氏のピアノコンサートに行ってきました。

とてもこじんまりしたホールなのですが、暖かい雰囲気が素敵なホールです。

「闘うピアニスト」と称される赤松氏は、36歳にしてハンガリー国立リスト音楽大学の講師としても活躍していらっしゃるだけに、そのピアノは激しく、リストにしてもアクロバット的な技法を見事に聴かせてくださいました。

なによりびっくりしたのは、普段チェロやバイオリンで聴くピアソラのタンゴを力強く演奏してくださったことです。奏でる音楽がまるでホールの天井や壁から降ってきて身体にさせるように感じました。

実はこのコンサートの途中でミニトークがありましたが、そこにテレビでよく拝見する武田邦彦先生が登場して「音と情操教育と脳科学」についてほんの少し語られました。

そのお話の中で興味深かったのが、音と脳の関係です。

先生曰く「都会の音の音域は限られているけど、自然界の音は全音域」―要するに自然界に身を置いていると聴覚が研ぎ澄まされていくんですね。そしてそれは脳にも影響していると。

実際、音というのは「耳」でキャッチしているけれど、聴いているのは「脳」であるということです。

田舎より都会の人の方が認知症の方が多いというデータもこういうところから来るのではないか、と武田先生はおっしゃっていました。

数日後、赤松さんのピアノをCDで聴いたのですが、コンサートで聴いたものとは別物だと思いました。やはり「ナマの音」というのは心にも脳にも響くのでしょう。

私は母がピアノ好きだったこともあって小学生の頃から毎年中村紘子さんのクリスマス・コンサートに連れていってもらって、ナマの音を聴くチャンスがありました。これも「情操教育」のひとつでしょう。

暗記中心の学科勉強以外にも、こうして音楽などを通した情操教育で、子どもたちの脳が育ってほしいと思います。

私はというと、これからもナマの音を聴きにコンサートに足を運びたいと思います。

認知症予防にもなるかしら?