閑居して不善はしない
先生は几帳面な性格を生かして毎日日記をつけている。
定年退職をしてのち先生は何もしていない、。仕事はもちろんのこと
社会奉仕も、勉強も、何もしないで、1日ごろごろとして、時を過ごしている。
先生は、年はもいかない若い時から働き、続けてきたので、定年退職を契機にして、自分の人生を見つめ直すとういうことに、関心を寄せている。
と同時に、先生は、毎日新聞とテレビで、ニュースを必ずチェックする。
そして自分と、意見の違うことや、意にそわないことがあったら、彼は、日記に、自分の思いをつけて書く。こういうことは、まめに書くし、しかも真面目に取り組んでいる。 独断と偏見に満ちあふれる部分もあるが、たいていは小市民の常識の上をなぞって文章を書いている。どちらかといえば、毒にもならない薬にもならない。
可もなし,不可もなしというところであるが、これが、唯一の先生の生き甲斐であり、暇つぶしである。
先生はいつも細君から、かさだかいと、小言を言われている。夜にしか返ってこない男が、朝から晩まで、べったり、家におられたら、奥さんは、それまでの気楽さに比べて、窒息しそうな気分になる。そこで、先生に、健康を兼ねて、散歩にでも行くとか、何かスポーツをするとか、そういうことを勧める。
もともと先生は、飲む、打つ、買うという、男の楽しみを知らない。
それほどまじめで、堅物かというと、そうでもないのだが、大体先生は、遊びというものは無駄であるとしか思っていない。
たぶん貧しい育ちがそうしたのだろう。そのせいだろう。先生は勝負ごとは、まっなく、興味を示さず駄目である。
競輪競馬競艇などは、見学にすら行ったことがない。したがって、そのルールが分からない。ルールが分からないから、お金をかけた勝負など出来るはずがない。
大衆化されたゴルフについても、そうである。先生は、誘われて2,3回コースへでたが、クラブで、ボールを叩いて見て、このゲームは、自分とは、まったく縁がないものだということを体験的に知った。
先生はまた酒が嫌いである。体質に合わない。と言うのか、体質が受け付けないと言うのか、晩酌など、生まれてこのかたしたことがない。ひとり酒だけではなくて、アルコールの入ったものはすべて嫌いなのである。
ビールであろうが、梅酒であろうか。飲む気がしない。
これは自分の体質が受け付けないからだと体質の問題と割り切っているが、飲む同僚からは人生の半分は損していると言われているが、これをからかいだと受け止めて耳を貸さない。
それでは買い専門かというとそうでもない。もちろん男だから、女が嫌いであるはずがないけれども、細君の目を盗んででも、というような気力も行動力もない。
細君には、自分がいかにもてるか、ということを口一杯のこと言うが、それは悔しいさの裏返しである。
今日はどこそこの誰にもてたなどというセリフを持てる男が、細君に言うはずは無い。そういうことは細君の目を盗んで、こそこそとやるのが男である。
ところが先生は、細君を恐れているわけではないが、外出するときには、今日はどこへ行って、誰にあって、どういう話をして、何時に帰る。と明細書をつけて、外出する。
そして、はんこで押したように、明細書を通りの時刻になったら帰ってくる。
40年もつれ添った細君なら、その辺のことが、わかりそうなものなのに、細君もこの先生によく似た、硬い部分を持っている。
話し合いで先生は、ついつい細君を相手におしゃべりをしては、
自分の自慢話を聞かせる。また始まったか、と思いつつも、細君は近ごろ気が短くなったのか、あるいはおとなしいと思っているのに、先生にかみつく。
もともと筋の通ったことを言うわけではないから、理屈を通せば先生は引き下がらざるを得ない。そして気分を悪くして先生は、自分の部屋に閉じこもる。
そこからくよくよが始まる。こんな気分の悪いことになるのなら、初めから話しをしなければよかった。いくら言っても男と女は、通じ合わない部分があるから、これからこういう手の話はぜんぜんヤメにする。と何回も自分には違うが、友達も親しい人も、身の周りにも話し相手がいないので、どうしてもまた細君を相手にして、ぐちゃぐちゃ喋ることになって、気分を悪くする。
毎日毎日、こういうことの繰り返しで、時間は過ぎていく。
こういう状況のなかで、先生はある日、日記を書くことを、思いついた。自分が思っていることを自由自在に、紙に書いていけば、それなりに胸の内は吐ける。
しかも日記を書くということは、一方通行だから、日記の方から先生の方へ向かって、口応えしてくることは全くない。そこが、細君とは決定的に違うところでる。 だから先生は、せっせと、日記を書くのである。
これじゃ高等遊民名ならぬ、単なる遊民、平たく言えば怠け者だ。勿論先生にも言い訳がある。
教師をしていただけあって、ものを書いたり、読んだり、することは、わりにまめに行う。そうとは言っても、難しい本や文章は、とても読んだり書いたりする事が、億劫になって、できていない。せいぜいに日記帳にかける程度の文章量と、その程度の質の文章を日記に書いている。
これが唯一の仕事というは仕事である。これが唯一の楽しみかというと、それはそうでは無い。が、何もしないで、1日を過ごす事自身は、相当な苦痛である。
小人閑居して不善を為すと言うが,積極的に、害を撒き散らすことはないにしても、当たり障りのないことをして生きているわけだから、小人閑居して不善もしないという部類である。