日々雑感

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1億円の高額所得

2010年06月26日 | Weblog
1億円の高額所得

下司の僕は計算した。月々30万円の生活費で何とか暮らせる。1年で360万。10年で3600万円 30年で1億800万円。
日産のゴーンが8億を、1年間でもらったそうな。僕は生涯かかっても稼げない金を1年間の年俸で稼ぎ出す。1億円以上の年俸を貰う人が企業経営者の中に何人もいる。それ相当の業績を上げたのだから、その報酬と言えばそうだが、そんなに貰って一体どのように使うのか気になった。

今の日本は不景気で失業者が沢山いて、たとえ職業についても年収200万円以下と言う人が何百万にもいる現状を考えると、こういう社会のあり方に疑問が起こっていた。

察するに月15万円で生活出来るのだろうか。普通の生活費は子供でもいたら年収300万円が必要では無かろうか。それでやっと並の生活が出来るのだとしたら、一億円プレーヤーは300所帯の収入を独り占めにするわけだ。そして年収300万円の人と1億円の人との人間的な差とは一体何なのだろう。金儲社会だけの差ではないのか。

かって中曽根総理はかかりつけの歯医者で所得税がこれほど多くかかるのなら午後の診療はやめて遊んでいた方がましだと訴えたと語っていたが、本当にそう思うなら午後休診を続ければよい。高額所得で税金を払うのがばからしいと言う考えが、間違っている。稼いで国家社会のために大いに貢献する事に国民として喜びや誇りを感じないのか。
高所得者は火の付くような生活圧迫感を感じないのであろうか。年越し派遣村の人々の生活を思いやる気持ちが湧かないのであろうか。

この世に生まれでたら、生きていく最低限度の生活費は不可欠だ。富は無限にあるわけではないから、国民総生産という富を出来るだけ大きな差を付けずに国民全体に分配することを考えるのが、政治ではないのか。

リーマンショックを見てアメリカの自由主義が如何に不合理なものか、誰でも思っただろう。アメリカが共和党から民主党に代わったから、高所得が非難された訳はない。常識から考えても、余りにも納得できない事だから、世界全体で企業トップの高年俸に非難が起こり制限を加えようという動きになったのだ。
一億円プレーヤー がいてもよい。その8割を税金として再配分する税制さえあれば。
個人の自由意志に任せて等ときれい事を言っていたら、まとぞろ革命の足音が聞こえるようになるんではないか。