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日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

ムンバイの乞食

2009年05月15日 | Weblog

                          テロ事件のあったタージ・グランド・パレス

 

 

その時僕は必死になって列車に遅れないようにインド人のバスガイドと打ち合わせをしていた。インドでは僕ら日本人が立ち止まると何処からともなく乞食が周りに集まってくる。その中の一人。西洋中世の魔法使いみたいな格好をした老婆の乞食がうるさく僕につきまとった。お恵みを受けなければ今日の食事にもありつけないという事情でもあるのだろうか。 片方の目は白濁していた。長いマントのようなぼろを身にまとい彼女はしつこく手を出した。僕は自分のことで精いっぱいで乞食の相手する余裕はない。無視したが執拗に手を出して物乞いをする。ただでさえ気が立っていらいらしているところに、こんな邪魔が入って僕は切れて爆発した。乞食はそれでも何事もなかったような顔をして、食いついてくる。もう逃げる他はなかった。  夜行バスに乗ってから僕はあの乞食のことを考えた。こちらが余裕のある時ならまだしも、顔をひきつらせて、ばたばたしているときによくもまあ物乞いが出来たものだと感心した。僕は今乗っているこのバスに間に合うかどうかが大問題で、これに間に合わないと、ボンベイで1泊する羽目になる。それがいやだから38時間も掛けてカルカッタからここまでやってきたのに、そして今そのバスに間に合うか、合わないかの瀬戸際なのに。 よりによって、どうして僕につきまとうのか。もらえるか、もらえないかは与える人の自由である。与えてくれそうな雰囲気を作らないともらえないことは自明の理だ。だのにどうしてあんなにしつこくつきまとうのか、僕はあきれてものがいえなかった。 アウランガバードでこの話をしたら、僕以上に乞食はもらうことに一生懸命だったんだよと誰かが言ったが、その通りだ、と僕は思った。そうだ。乞食も今日生きる事に精いっぱいなんで、人の事情を斟酌する余裕はなかったのかも知れない。だけどいくら一生懸命になっても、それでルピーにありつけるわけではない。やはり考えて行動すべきだ。其れが僕の結論だった。           


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (未知)
2009-05-18 11:28:24
コジキの身になって考えると面白いかも知れません。一般に薄汚れた風体から追い払われてますが、
中には恵みを施す人もいるでしょうからね。
大勢の人を見極められるのはコジキの特権でしょね。コジキも知恵のある人はいるでしょう、タイミング
とかテクニックとか。
ターゲットの一番は観光客でしょうね。
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自分の生活は (kc)
2009-05-19 08:44:28
どんなに頭良くても、この世で生きていく知恵が欠けていたり、特別な考え方にこだわったりすると、どうしても生存競争には勝てません。人柄がどんなに良くてもこの世に生まれたら自分の生活は自分の生活力でするのがまともだと思います。だから乞食もそういう生き方をして欲しい。他人のお恵みだけを当てにして生きるというのは感心しません。風聞だがコルカタでは牛と乞食をトラックに積んでデカン高原に捨てに行ったと言うじゃありませんか。社会的には彼らは人間として扱われていないのです。捨てに行く思想はいただけないけど、捨てに行きたい気持ちもわかります。
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