トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

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体の大きさに関する2つの絵本①/「おおきく おおーきく なりたいな 』

2010-06-26 01:30:07 | 絵本・児童文学
おおきく おおーきく なりたいな (わくわく世界の絵本)
アナベラ ハートマン
小峰書店

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 今回読んだ2冊の本は、当初は意識していなかったのだが、身体の大きさを巡る二つのお話であった。
 最初の『おおきく おおーきく なりたいな 』は、子どもの成長にとって、とても大切な自己肯定感に関するものであった。現代の子どもは、自己肯定感の喪失という危機を迎えている。※関係ないことであるが、一時代前に「現代っ子」という言葉が流行したことがあった。

 ある王国の生まれた王子様は、生まれつき、とても体が小さかった。カール君という王子様の身体は、大きなチーズを3つ積み重ねたよりも小さかったというのだから、周りの世界はどんなに大きく感じられただろう。当然のように、王子様は、おおーきくなりたかった。3歳の誕生日のプレゼントには、すごーく大きなおもちゃが欲しかった。王様に池のように大きな船が欲しいといった。でも、ダメだって。次に木のように大きな三輪車が欲しい言った。これもダメだって。とうとう怒りだして、お城ほどの大きさのゾウが欲しいと言いだした。
 その晩、夜中に目が覚めたカール君は、不思議な感じがしながらいお城のドアを開けてみた。誰もが寝静まった夜のこと、そこで城よりも大きなゾウにであった。アーキーという名前だった。かくれんぼをしても、隠れたお城から体がはみ出してしまう。その晩は、ずっとアーキーと遊んだ。そして、すっかり疲れ果ててベッドに寝込んでしまった。何と不思議な誕生日だったのだろうか。

 翌朝、王様に、つまりはお父さんに、アーキーの事を話した。でも、夢でも見たのだろうと信じてくれなかった。
 それからもらったプレゼントは、何と、カール君と同じように小さな体のゾウであった。ゾウは、カール君を見て、にっこりと笑った。

 もう、体が大きくなりたいとは思わなかった。アーキーは、カール君と同に小さかったんですから。カール君は、そのままの自分が幸せだと思えました。

今年もランドセル地蔵のことを

2010-06-25 01:16:23 | 日記
 今年は、相即寺でのランドセル地蔵の御開帳には、まだ行っていません。
6月23日の1回目の御開帳の日は、沖縄慰霊の日でもありました。当日は、雨の降る日でした。映画「ひめゆり」を観に行っています。長編ドキュメンタリー映画の「ひめゆり」は、各地の上映が中心で、テレビ放映やDVDの販売はなされていません。記憶を次の世代に伝えていく沖縄の「おばあ」達も、いずれはいなくなってしまいます。しかし、映像で長い時間をかけて丹念に記録されたこの映画は、映画館の中で、これからも少しでも記憶を共有できるように上映が続けれられるでしょう。忘れてはならない記憶の伝承。

 八王子で、東京から集団疎開に来ていた神尾明治君とお母さんを巡る記憶も、次の世代に伝えていかなくてはなりません。地元でも、このままでは、住民の記憶にも残らないことになってしまいそうです。もう一度、ランドセル地蔵のことを、1人でも多くの人に伝えるにはどうしたら良いのか、考える必要がありそうです。昨年訪れた時に、近所の子ども達がお地蔵さんに会いに来ていました。そうした動きが希望につながるのでしょうか。

 7月8日の明治君の命日と、1人でも多くの子ども達に来てもらえるようにというお寺さんの意向で、夏休みの8月8日にも御開帳が行われます。

 今年も、平和への巡礼の意味も込めて、じっくりと徒歩で会いに行きたいと思っています。


沖縄慰霊の日 映画『ひめゆり』(BlogPet)

2010-06-24 11:49:42 | 政治
トッペイの「沖縄慰霊の日 映画『ひめゆり』」のまねしてかいてみるね

長編ドキュメンタリー映画「ひめゆり」HP6月7日はいけない思いであった島の日は9月7日は行われたあの戦が、211名が死亡。
ひめゆり学徒は、日本の軍国主義の命を集めた日以後も良かった者も良かった日は、宝の命を集めたこの作品はいけない思いでいく...

*このエントリは、ブログペットの「ゴン」が書きました。

沖縄慰霊の日 映画『ひめゆり』

2010-06-24 01:29:24 | 日記
長編ドキュメンタリー映画 「ひめゆり」HP

 6月23日は、沖縄慰霊の日であった。死ななくても良かった島の人たちが、日本の軍隊と、日本の軍国主義の教育により、宝の命を多く失ったあの戦が組織的に終結された日である。その日以後も、散発的な戦いは行われ、降伏文書の調印が行われたのは9月7日であった。

 ひめゆり学徒は、211名が死亡。生き残った者も、申し訳ない思いで生き続けてきた。生存した女生徒達22人の証言を集めたこの作品は、忘れてはいけないことを伝える。いずれ、生き残った者も年老いて死んでいく。映画の中で、いつまでも語り伝えていくことへの、彼女達と監督の思い。

 私達は、直接の戦争体験は無い。でも、平和の思いを次の世代の語り継いでいくことはできるし、しなくてはならないことである。そのためにも、この映画を観ることの意味は大きい。

 東京・ポレポレ東中野での上映には、昨年に続いて2回目の参加であった。昨年は、ろう者の米内山明宏さんによる手話弁士の試みがなされた。映画に合わせて、米内山さんの日本手話と体による表現が映画「ひめゆり」と共鳴していた。たくさんの人が開幕を待つ間、入場できるか心配であった。

 今年は、沖縄慰霊の日に、早朝1回だけの上映会であった。今年は、政権交代に失望した年。しかし、諦めてはいけない年であった。

 映画の終了後には、寿(KOTOBUKI)のミニライブがあった。柴田昌平監督の挨拶もあった。
 観客にも、映画を観て、課題が科せられたようだ。寿から、自由の森学園の高校生による「普天間基地の閉鎖・撤去を求める署名」の呼び掛けが紹介された。署名用紙は、「普天間基地撤去を求める高校生の会」のサイトからダウンロードできる。

 若い人たちに、平和を求める声が上がることはうれしいことだ。ネット上では、ゆがめられた歴史観を持たされた若者達の声が氾濫している。ネット右翼と呼ばれる若者たちが。